09Q 3
 間もなく、スマホで店の位置を確認したリコに先導される形で、一同は一軒の店にたどり着いた。
 リコはガッツリ「肉」と言ったが、実際、ガッツリも良い所だった。
 それぞれわかれて椅子に腰かけた彼らの前、テーブルに置かれたのは、余裕でステーキ皿からはみ出す超ド級の巨大肉だった。
 それは圧倒的な存在感を放ちながら、ジュージューといい音を発して美味しそうな香りの湯気を立ち上らせる。

「超ボリューム スーパー盛 4s盛ステーキ 30分以内に完食したら無料(タダ)!! ※失敗したら全額自腹1万円也」。

 壁では、デカデカとそう書かれたポスターが、派手に主張していた。
 ステーキ無料とはつまり、そういうことだ。

「どうしたの? 遠慮せずいっちゃって?」

 両手で頬杖をついて何故か幸せそうに笑うリコの向かいの列――、フォークとナイフを構えてステーキを前にした二年衆の貌は、死んでいた。

(ガッツリ行き過ぎじゃね!?)

 帰ろうとしたとき以上の重いどんよりオーラが、日向達から発せられる。
 しかしリコはオレンジジュースを前に、いかにもご機嫌といった様子だ。

「マジこれ食えなかったらどーすんの」

 日向が頬を引き攣らせて言う。
 だが、リコはジュースを一口飲むと、腕組みをした。

「え? ちょっと〜。何の為に毎日走り込みしてると思ってんの〜?」

 そう言うリコの後ろにある窓には、前かがみで左から右へ走り抜けるシルエットと、箒を持って何やら叫びながらそれを追うシルエットが映った。
 つまるところ、「食い逃げ」。

(バスケの為だよ!!!)

 二年衆は、一斉にリコに突っ込んだ。
 しかし、白美の表情は彼らとは違い、至って普通だった。

(火神いるし、大丈夫だろ。あ、いざというときは黄瀬に……)

 食い逃げなんてことには、冗談でも絶対にならない。
 白美は、落ち着いて目の前のステーキを片づけに取り掛かった。
 それに続き、一同は言葉もなく無心にステーキを頬張り始める。
 ナイフで切り、フォークで刺し、汁が滴り堕ちるそれを口に運ぶ。
 咀嚼し飲み込み再びナイフを動かす、その繰り返しを黙々と続ける。

(ああいう奴だとわかってたはずなのに……)

 日向は、心の内で溜息をつきながら、ステーキを片づけていた。

「――このステーキ、素敵」

 不意に、伊月がフォークでさしたステーキを前にして、呟く。
 小金井は、どうして今そういう事を言うんだ、と顔を顰めた。

「ごめん今そういうのマジうざい」

 30分で4キロ完食という海常との試合並み、またはそれ以上にキツいかもしれない条件を前にしている今、何故だじゃれを言うんだ。
 聞き流す余裕が無い状況下では、伊月のダジャレはそれなりの効果を持っていた。
 白美は、彼らの様子を片目に見ながら、火神の隣で着々とステーキを食べ進めていた。
 と、暫くして白美の目に、フォークとナイフを置いて無表情で口を拭く黒子の姿が映った。

(流石テッちゃん……)

 肉を頬張りながら、白美は黒子が諦めたとわかって苦笑する。

「すいません」

 黒子は、隣の日向に一言声をかけた。

「どうした、水か」

 日向は手を止め、隣の黒子に笑顔で尋ねた。
 隣のテーブルで肉を頬張っていた伊月も、貌を上げて黒子を見る。
 全然減っていない、まだまだ大きなステーキを前に、黒子は口を拭いていた白い布を下ろす。
 黒子は一言、衝撃的な言葉を発した。

「ギブです」

 その一言が、エコーがかかったかのように繰り返し日向や周りのメンバーの頭の中で、反響する。

「黒子ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」

 間もなく、下手したらステーキボンバー(店)が揺れる程の絶叫が、店内に響き渡った。

「っはー、テッちゃんの小食っぷりは素晴らしいな」

 白美は、絶叫の中誰も気付かないだろうというのを良い事に一人笑うと、ステーキの破片にまた食らいついた。







 壁に茶色い銃が飾られた店内――、ステーキボンバーの店内には、現在重苦しい空気が漂っていた。

「……」

 死に顔で、フォークに刺さった大きな肉の破片をしゃぶる、水戸部。

「はァ……」

 四分の三程を残したまま、机に突っ伏す小金井。

「う、ぁ、あ……」

 空になって氷のみが底にたまったグラスの奥、口から涎は垂れるがままに、顔面蒼白で呻きながら机に頭を任せる伊月。
 同様に机に倒れる丸テーブルの一年衆を背後にして、主将、日向もステーキの前に敢え無く膝を付く。

(死んだ……)

 日向は、腹をパンパンに膨らませて、口に大きな肉の破片を加えたまま、椅子に仰け反る様に脱力していた。
 口からはよだれがこぼれ、目は他ならぬ白。
 そんな中白美は、テーブルの一番隅の席でソファーに凭れてゆったりとくつろいでいた。
 リコと顔を見合わせて、ニコッと微笑むと笑う。

「あ、あら、橙野くんってば……」

 ジュースを飲み干して氷をくるくるしていたリコは、若干、否、カナリ引き気味の驚きに溢れた貌で、肉だらけの空間で至極落ち着いたオーラを発する白美を見ていた。
 それもそのはず、余裕の笑みを浮かべる白美の右手には、今やナイフではなく、スマホが握られている。
――机の上のステーキ皿には、綺麗に何もなかった。

「んなっ、いつの間に……」

 机に伏せていた小金井が、真っ先に白美の様子に気が付いた。
 もぞもぞと上げられた涙目の彼の口からは、日向同様肉片がはみ出ている。

「ステーキ食べ終え、真っ新な皿……」

 続いて伊月も気付いたといえ、倒れたまま見事な死に顔で呟いた。

「……」

 水戸部は、無言のまま死んだ魚の目でじーっと白美を見る。

「流石です、橙野くん」

 黒子は、無表情のまま小さく頷いた。

「……待って、どうしてコレがその腹に納まるの」

 丸テーブルで輪になって倒れていた一年の内一人が、呟くようにして白美に尋ねる。

「こうみえて、食べる時は食べるんだ」

 白美は、肉地獄で悶えている彼らの手前、くっと首を傾げて微笑んだ。

 なんというかこう、ワインの香りが漂ってくるような、酔った気分になりそうなオーラすら放たれる。
 白美だけ別次元、彼が座るその場所だけさながら大人の高級レストランの様に錯覚するから不思議だ。
 死んでいる一同からすれば、白美は憎いほど落ち着いていて大人な、イケメンだった。
――肉肉しい空間だというのに、何故、その透明感あふれる白い輝きを保っていられるんだ。なんかもう、信じられない。

 もう、ツッコむ気力と余裕も皆無。
 一同は、もう特にリアクションをすることもなく、「こいつバケモノか」という目で白美を見ていた。

「……、あぁ……」

 その中で、日向は相変わらず白目をむいて、己の精神世界を漂っていた。

「これほど美味しい肉が無料とは、素晴らしいと思います……。只、この店の売り上げが心配です。な、火神」

 どこからか、白美の声が聞こえてくる。

「え? あ、ああ。あ〜、にしてもうっめぇ! つかおかわりあるかな?」

 火神は、白美に返事をし、尋ねた。
 白美は、小さく微笑んで日向やら一同の皿を見る。
 そこには、ありあまった大量の肉、肉、肉。

(さぁて、火神がどこまでいけるか実験っと……)

 白美は、策士の微笑みをしながら、右手の差し指で火神の左脇をちょんちょん、と突いた。

「?」

 火神は、口に肉を詰め込んだまま首を傾げる。

 一方、先程の火神の歓声は日向や一同を現実世界へと引き戻すきっかけになったようだ。

「――っ!」

 日向はハッと火神の声に反応して身体を起こした。
 口からポロリと加えていた肉片が転げ落ちたが、構う者はいない。

「おかわりあるよ、ホラ」

 白美はアゴをくいっと動かして、火神の視線を日向達へ誘導した。

「んっ」

 火神が視線を向けた先では、日向をはじめとする一同が肉を放棄して死んでいた。
 それを見て、火神の貌がパアッと輝く。

「あれっ、いらないんだったら、もらっていい? ……スか?」

「えっ、いい、けど……」

「ど〜ぞ、ど〜ぞ……」

 日向と小金井が、真っ先に皿を自分から前に押し出して、あげますよというアピールをする。

「よかったな、火神」

「おう!」

 白美は、サッと立ち上がると俊敏な動きで、彼らの皿を火神の前へと運ぶ。

「お〜っ! まだまだ沢山あるじゃねえか!」

 火神は、それを見て大きな歓声を上げた。
 直ぐにむしゃむしゃわしゃわしゃと頬を膨らませて、次々と肉にガッツく。

(リスみたいに食っとる……)

 二年衆は、火神の恐ろしいほどの食欲を前にして、やっぱコイツ並みじゃねぇ、と思いながらも、言葉を失いただその姿を見ることしかできなかった。
 間もなく火神の前のテーブルには、肉の消えた皿が幾つも積み重ねられる。

「面倒ッスから、全部こっちへ持ってきてください!」

 因みに、まだ30分経過していない。

「お〜、火神、ありがと〜〜〜〜〜〜〜!」

 ステーキボンバーの店内には、今度は喜びや安堵に満ちた誠凛一同の声が響いた。
 これで、ステーキタダ食い、食い逃げをしなくてすむ。
 彼らにとっては、大食い火神はマジで神だった。

(もう、大丈夫かな。それにしても――火神ヤヴェえ、負けたわ)

 白美は、火神と只座る一同の姿を横目に見て、ほっと一息ついた。
 それから、手の中に納まっていたスマホの画面を一瞥し、皆が火神に集中しているその瞬間に、ちゃんと荷物も持ってスッと席を立った。
 別に気付かれたらどうとかいう訳でもないのだが、面倒なのでミスディレクションしてみる。
 白美は、静かに店のドアを開け閉めして、夕暮れ時の店前に出た。

(steak)

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