09Q 2
黒子が診察を終えて一同が帰る頃には、真っ青に透き通っていた空が、少し色付き始めていた。
一同は列をなして、何やら絵が描かれた高架下の壁沿いを歩く。
「それにしても、橙野くん。普段から思ってたけど、今日再認識したわ。やっぱり貴方、帝光1軍ってだけあって相当のやり手でしょ」
白美の傍を歩いていたリコが、何気なく切り出した。
それを聞いて、日向も会話に入ってくる。
「黄瀬もマジヤバかったけど、確かに、あの殺気には俺もちょっとビビったわ。帝光マジどうなってやがるし」
「あ〜、俺も」、「ビックリだったね」、などと、それを聞いていた他の面々も声に出す。
白美は、僅かに苦笑した。
「さっそく言われましたね」
と、黒子が横から話しかけてくる。
先程の話を踏まえての言葉だ。
少しその頬が緩んでいるのを見て、白美は内心貌を顰めた。
が、それは貌に出さず、「そんな……」と困ったように言う。
ここぞとばかりに、白美に黒子は更なる言葉をかけた。
「謙遜しないでください、僕なんて、ミスディレクションがあって初めて1軍だったのに、橙野くんは、順当に実力も上げて、他の人たちを抜いて、天才5人もいる中でかなり早く1軍入りしたんですから」
「とはいっても、今はプレイできないけどな」
黒子に軽く釘を刺そうと思い、そう言えば、思い通り一同が一気にシーンとなった。
が、そこで引き下がる黒子ではない。
「はい。でも、プレッシャーをかけるつもりは全くありませんが、僕は橙野くんの事、信じてますから。経過次第では、またプレイできるんですよね?」
「――まぁ」
「それに、橙野くんの眼も頭脳もまた一流です。観察眼にしろ、予測するにしろ。実際、今日、僕たちは橙野くんの言葉に助けられた。何より第一に、僕たちはチームです。一緒に戦ってるんだ。だから、そこまで自分を控えなくても、もう少し出してもいいと思うんです。僕が言えることじゃないかもしれませんが――」
黒子は、白美の眼をじっと見上げて言った。
少し前は「信じています」としか言えなかったが、彼の自分に対する態度が少しずつ変わってきた以上、今なら言えると思ったのだ。
そして、黒子から言葉を貰った白美は、暫し本気で驚いていたようだった。
目を丸め、じっと黒子を見下ろして、動かない。
「――どうした橙野」
白美らしからぬ珍しい反応に、日向が真顔で尋ねた。
リコや皆も立ち止まり、首を傾げる。
数拍して、見られていることに気付いたのだろう、白美は瞬きをパチパチとするとぎこちなく笑った。
「い、いや、そんな風に言われるとは思ってなかったので、ビックリしてしまいました。すみません」
「なんだか、僕たちと橙野くんの間に、少し距離があるように感じてしまって。チームなのに」
(っ……)
黒子は、白美に真っ直ぐな眼を向けて言う。
眼鏡の奥、灰色の向こうで、何かが揺れたのを黒子は確かに見た。
「確かにな、お前、あんま喋んねぇし。それにめっちゃ礼儀正しいしすげえと思うけど、ちょっと遠い気がするっつーか」
「そうねー。うん、橙野くん!」
「はい?」
日向に続くリコの言葉に、白美は彼女の方を向く。
「今から、敬語禁止!!」
リコは、仁王立ちするとビシッ、と指さして笑った。
「へっ!?」
対し、白美は素っ頓狂な声をあげる。
「いいでしょ? だって、ねぇ。まずは形からでも、こう、近づいてみましょうよ!」
「で、でも。本当に構わないんですか?」
「いいのよ! ホラ、タメ口で何か言ってみなさい」
試合に勝って機嫌が良いからだろうか、最早なんだか楽しそうなリコに言われて、白美は苦笑しつつ「そこまで言うなら」とリコに近づいた。
一同は、歩道の端に固まって二人の様子を見守る。
白美はさりげなく眼鏡を外し、ポケットに入れると、無表情になってじっとリコを見下ろした。
――数秒経過。
端正な顔立ちに真剣な眼で、間近からじっと見下されるリコ。
(えっ、と……何で私が緊張してるのよ……)
ドキドキしているのは気のせいだと思い込み、リコもじっと白美を見返し、二人が見つめあうこと数秒。
白美は、視線をリコから逃げるようにサッと動かし、指で顔をポリポリと掻きながら口を開いた。
「先輩……」
「な、何?」
「自分なんかが、その先輩に……こんな風に喋っていいのか、あの」
「う、うん」
「その、先輩にもっと、近づけるように頑張るから、だから――」
「……」
そして、白美はリコに一歩近づくと、視線を合わせてニッコリと王子様スマイルをする。
「もうちょっとだけ、待ってて欲しい――、……です」
放たれた声は、低く、半ば囁くようなものだった。
この際、敬語うんぬんはもう関係ない。
イケメンから至近距離で放たれたイケボの威力は、想像に難くないだろう。
数拍の沈黙。
そして、真っ赤になったリコの顔からボフッと煙が出た。
「カ、カントクッ!?!?」
「ええっ!?」
予想外のリコの反応に、日向や周りのチームメイトは素っ頓狂な声をあげる。
日向が慌てててリコの肩を掴んだが、リコはポワワワンと何処か違う世界に意識を飛ばしている様で、ぼうっと白美の貌を見上げていた。
「ワザとですね」
「さぁ何の事だろうね」
脇で黒子と白美の会話がコソコソとされたが、一同は聞いちゃいない。
「おい! カントク! 戻ってこい!!」
「……」
日向は相変わらずリコの肩を揺さぶるが、リコは旅したままだ。
そして、日向の眉間に皺が出来た。
ニコォ、と日向の顔いっぱいに笑みが広がる。
「おい、橙野くん? カントクをどうしてくれたのかな」
「――橙野くんは天然のタラシですから」
「えっ!? ちょっと、何を――」
「ハハッ、そうだった聞いたの忘れてた俺が迂闊だったハハハ、なあ橙野、橙野、ちょっと景虎さんに首絞められて来い」
「ええっ」
日向がゴゴゴゴゴとブラックなオーラを放ちながら、白美に迫る。
白美は、そのままジリジリと後退した。
「敬語じゃなかったのはこの際どうでもいい、もういいお前はやっぱり敬語で十分だ――ただ――カントクが戻ってこないのはどうすればいいんだ、橙野」
「め、目の前で手を……叩いてみるとか駄目ですかね」
「催眠術じゃねえんだよ」
「やってみないとわからないと思うんです、ハイ」
そう言って白美は、引き攣った笑みのままリコの目の前でパンと手を叩いた。
「キャッ!?」
途端、白美の言葉通りリコが現実に戻ってきた。
リコはまず白美の貌を見てビクッと肩を揺らし、辺りを見回す。
「あれ、私今何してた!?」
「ええええええええぇぇぇっ!?」
「ホラ、言ったじゃないですか」
「えっ、おい、お前が橙野にタメ口やめてみろってやらせて――」
「え? 私そんなこと言った覚えないけど」
リコは、意味が分からんと首をかしげる。
そんなリコに、一同は「えっ」と互いの貌を見合わせた。
「ハッ? お前――大丈夫か」
「何よ、そっちの方が大丈夫? ……まあいいわ。橙野くん、何回も言って悪いけど、私たちはチームよ。馴れ合いでも独りでもないわ。厳しさと志を共有して、互いに磨き合って、高め合っていくの。もっと、ガツガツ来ても何も言わないわ」
「先輩……」
そうして、リコと白美は歩きはじめ、混乱する一同は外野として何やら真剣な貌で話をしだした。
「えっ、っちょ、どういうことコレ!?」
「いえ、僕にもわかりません。催眠術でも使ったのではないかと」
「いや、しらがでも何でも、普通使えネェだろ有り得ねえって黒子」
「うーん、確かにそうかもしれません」
残された一同は後を追いながら、困惑する。
「無理に、とは言わないけれど」
「――わかりました、もう少し、意識してみます。……時に先輩、お腹が空いたんですが」
「あら」
「――もう話題変わってるし。……なんていうか、俺、ますます橙野の事がわからなくなってきたんだが」
「奇遇だね、俺も俺もー」
彼等はもうこれ以上は無駄だと思い、白美のことについて話すのを止めた。
ところで、腹部をぎゅうっと締め付けられる感じを覚えていたのは白美だけではなかった。
「そういや、あー、俺も腹減ったな」
「僕もです」
「俺も俺も〜」
「……」
火神、黒子、小金井に続き、水戸部もうなずいて同意する。
他のメンバーも、そういえば、と顔を見合わせた。
激しい運動の後――、気付けば全員腹ペコだ。
一度信号で止まり再び歩き出す。
一同は商店街の様なところに差し掛かった。
斜めに差した光が、誠凛の面々が歩く道沿いに立つ店々のガラスに、眩しく反射する。
「こうなったら帰り、どっかで食べてこうぜ」
一向の声を受けて、伊月が提案した。
「お〜、何にする」
伊月の後ろを歩いていた日向が、一同に問いかける。
「安いもんで〜。俺、金ねぇ〜」
そのまた後ろを歩く小金井が、笑いながら言った。
「俺も」
「僕も」
「現金持ってないです」
(クレジットはあるけど使うと緊急時用だし……)
後に続くメンバーも、小金井と同じだと口をそろえる。
(もしかして、皆持ってない……?)
リコは、彼らの言葉を聞いて険しい表情になった。
足を止め、一同に声をかける。
「ちょいまち」
「ん?」
人通りのない歩道の真ん中で、彼らはそろってリコを見た。
「今、全員の所持金、交通費抜いていくら〜?」
信号が、青から赤に変わった。
そして、直ぐにはじき出された全員の所持金合計に、リコは顔を引き攣らせた。
――二十一円。
駄菓子を一つ二つ買えるかどうかの金額だ。
当然、リコの手に置かれたそれを覗き込む誠凛一同の表情は、暗い。
「――、帰ろっか」
「うん」
日向と小金井が、しみじみと言った。
先程までの勝利の喜びは何処へやら、溜息を付きながら落ち込んで歩く彼らを前に、立ち止まっていたリコはため息をつく。
その時だった。
何気に向けられたリコの視線の先、一台のトラックが車道を走りすぎていく。
――「ステーキ無料 村上牛」。
牛のイラストと共にトラックの側面に書かれたその大きな文字が、リコの目に飛び込んだ。
トラックが残した風に髪を揺らしながら、リコは大きな目で、トラックが去った車道の方向を数秒見ていた。
直後、リコの貌がパアッ、とそれはそれはキラキラと輝き、夕暮れ時だというのに周囲までもが明るく変化する。
重いみじめなオーラを発しながらトボトボと歩いていく誠凛一同に向かって、リコは軽く走ると首にかけていたホイッスルを鳴らした。
その勢いで、砂埃が軽く地面を舞う。
「ん?」
振り向いた先では、リコが満面の笑みで口からホイッスルを離していた。
「大丈夫! むしろガッツリ行こうか! 肉っ!!!」
「は?」
二十一円で肉とはどういう事だ。
落ち込みのあまりトラックを見逃した白美や一同は、「何言ってんの」という目でリコを見た。
(a farce)
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