02Q 3
 現れた白く均整のとれた肉体を前にして、リコは思わず息を詰まらせた。

本能的に、一歩。後ずさっていた。


「どうだ、リコ」

 十数秒たったところで、シーンという沈黙を破って、日向がリコに尋ねる。

「……」

 だが、リコは揺れる瞳と噴き出る汗をそのままに、白美に視線を向けるばかりだ。
 何かがおかしい。日向はつ、と目を細めた。

「――リコ?」

「……」

「リコ」

「……」

 答えは無い。それどころか、目を大きく広げたまま瞬きすらしていないではないか。

 日向は思わず、思い切り息を吸って声を出した。

「リコ!」

「――へっ!?」

 体育館に反響する程の大声を聞いて、リコはようやくハッとどこかからこの場に返ってきた。
 だが、彼女は誰が見てもわかるくらいに、あたふたと不自然な動きをしていた。

(――なんで、こんな動揺してやがる)

 疑問に思ったところで、自分にリコの様な能力はない。だから、自ら確かめる術はない。日向はリコに歩み寄った。

 リコがどうにか自ら落ち着いた頃を見はからって尋ねる。

「おい、どうした」

「っ……あの、こんなことって、初めてなんだけど……」

 リコはそう言うと俯き気味に、怪訝な顔をして数拍沈黙し、また貌を上げた。


「彼の数値だけ、殆ど見えなかったわ」

「は?」

 いや意味が分からん、と日向は首を突き出す。

「だからね、彼の身体能力値――見えないの」

「は?」

 また一文字で返されて、リコはニタァ、と笑った。

「だーかーら、数値がー、ほぼー、?なのー。何度も言わせんなー」

「すまん」

――私の力不足? いや、そんなまさか。

 リコは内心、焦っていた。

 火神の場合伸びしろが?であることはあった。しかし、現状数値は見えていたのだ。それが、この男の場合、専ら「?」だったのだ。
 細身だが引き締まった筋肉。ある程度、彼の能力が相当高いということはわかる。
 
 しかし、それ以上が上手く読み取れなかった。


「でも、そんなことって有り得んのか?」

 二年たちがざわつく中、少し考えて、日向が首を傾げた。

「うん、だから私も戸惑ってるんでしょ? それにもし、私の力不足だったら――」

 リコの表情に、不安の色が現れる。
 日向は、何も言い返すことができない。

 沈黙――と、その時再び背景に溶け込んでいた黒子が、声をあげた。

「あの、監督」

「ん?」

 黒子は、傍らのTシャツを着た白美からリコに視線を映し、口を開く。

「彼の能力が見えないのは、仕方のないことだと思います」

(そうそ、わかってんじゃんテッちゃん)

 黒子の言葉に一同は首をかしげたが、白美は小さく微笑んだ。

「あの、黒子くん、それって――どういうこと?」

「おぉ、教えろ、黒子」

 もっと詳しく説明しろ、と言われ、黒子は白美を一瞥すると頷く。

「彼こそは、元帝光バスケ部一軍、橙野 白美くんです。試合こそ殆ど出ていませんが、実力は――。実の所僕は今日まで、彼がどこで何をしているか知りませんでした。それがまさか……こんなところで会うことになるとは、驚きです」

 黒子が言い終わる途端、シーン、と辺り一帯が完全に無音に支配される。
 全員の視線が、白美の元に集まった。

 そして。

「えぇええええええええええええええええええええ!?」

 ほぼ全員の声が合わさって物凄い声量となり、体育館に響き渡った。

 して、それが途切れると、一人一人がそれぞれバラバラと大声をあげる。

「帝光キセキの世代一軍ッ!?」

「帝光だけでもヤッヴェぇけど……、い、一軍って」

「ガ、ガッツリ、キセキの世代の当事者に準じてるじゃねえか……、確かに背、メッチャ高けぇし」

「いや、でもそんなスゲエ奴が新設校に来るとか、ふ、普通有り得ねェだろ」

「見た目的には、全然スポーツっぽくないんだけど」

 暫くすると、仮入部届けを見ていた二年生は「コイツが」と驚いて白美を見ていたのに対し、それを知らない一年の中からは、「嘘ではないのか」と黒子の発言を疑問視する声さえ上がり始めた。

(やれやれ)

 混乱する一同を前に、白美は内心溜息をついていた。だが、それを悟られないように困った貌をつくると、「あの……」と声をあげる。
 途端、一同の注目が白美に集まった。

 白美は、一呼吸するとゆっくりと話す。

「あの、嘘ではありません。確かに自分は、『故障』する前は、帝光バスケ部一軍に所属していました。天才5人とも一緒に練習していましたし、何回かではありますが試合に出させて頂いたこともあります」

 彼はこう言っているのに。

 しかし、何故だろうか。

 日向やリコ含む一同は、彼の言葉か口調かに対して、何か根拠のない引っかかりを感じていた。
 続いた無言に、白美は再び口を開く。

「信じがたいだろうというのはわかります。それに自分は、今や故障してバスケを満足にできない身です。プレイで証明しろと言われても、故障の為、恥ずかしながら応えられません。現に自分は、微力ながらマネージャーをさせていただきたいと思っています」

――「故障」。

 白美はその言葉を繰り返していた。

(そうよ、そういえば、あの仮入部届――『マネージャー希望』って書いてあったじゃない……帝光一軍の方にばっかり目が行っていたけれど……)

 思い出したリコは、「そうだったわね」と頷く。

 一方日向は、『故障』と聞いて眉根を寄せた。

「故障――って、どういうことだ」

 その問いには、白美の代わりに黒子が答えた。

「階段から、落ちたんです」

「えっ」

――試合で怪我したとかじゃ、ないのか……。

「そうです。階段からうっかり落ちて、それで――」

 言葉を濁す白美に、日向が問いかける。

「治るもんじゃねえのか?」

「……回復してきてはいますが、残念ながら、まだ。はっきりとはわからない状況なんです。日常生活や基本的な運動には何ら障害はありません。ただ、勝負のバスケやるとなると別です」

「……だったら、同好会に入ったら良かったんじゃ」

 リコはそう言ったが、白美は首を横に振った。

「できません。俺が好きなのは、本物の勝負のバスケ――、遊びじゃない。でも自分は、今バスケをできない。もしかしたら回復するかもしれないけど、でも。だからとりあえずは――せめてマネージャーという形で構わないので、チームの一員として――」


――頂点を、目指したい。

 そう言った白美の言葉は、リコや皆にはどこまでも真摯で、率直なバスケへの思いに溢れているように思えた。

 ただ黒子だけは、悲しそうな表情でそう言った白美の横顔に、鋭い視線を向けていた。


(そうやって隠すことが、君が君である証です)

(Because)

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