17Q 4
 白美は、秀徳の控室の傍らの壁に凭れ、長い前髪の下でフッと口角を上げた。
 暫くの間目を伏せて、過去に想いを馳せ、今しがたまでの試合とこの先待つ試合の様子を瞼の裏に浮かべてみる。
 そうすれば、ゾクゾクとした激しい感情と共に、自然と笑みがこぼれてしまったのだ。

「……こんなとこで、なに、笑ってんの?」

 ふと話しかけられて、白美は瞼をあげて傍らの男を見下ろす。
 扉の開閉音がした時点から、その気配には気が付いていた。
 この声を、その目を待っていたのだと、白美は壁から身体を起こして彼に向かって微笑した。

――「高尾 和成」。
 彼がニッと口角をあげて、周りの物に親しみを持って接する姿を、よく見かける。
 だが今の高尾の口元には一切の笑いが含まれていなくて、その声音は低く、何より白美を見る目は試合中のそれだった。

(ほんと、良い眼してんじゃん、和ちゃんよォ)

「ちょっと、君と話しがしたくて」

 白美は内心ニヤリと策士顔で笑いながら、例によって微笑の仮面をつけて高尾の問いに答える。

 一拍の沈黙。
 そして高尾はニッと口角をあげ、白美もフッと笑って肩の力を抜いた。

 但し、二人とも目は笑っていない。
 互いに一挙一動まで見逃さないように目を凝らし、腹を探り合う。

 その結果、ああ、イイ感じに警戒してくれていると、白美は心の内でますます笑みを深めた。

「あ、俺トイレ行くんだけど、よかったら一緒にどうよ?」

 誘ったのは高尾だ。白美は頷き、彼と歩みを合わせてトイレに向かう。

「さっきの試合、ベンチから熱心に見ていてくれてたよね」

 切り出したのは白美だった。

「ああ、中々見応えあったよ」

 高尾は、笑いながら答える。
 すると白美もクスクスと笑い、次の瞬間、立ち止まった。
 振り返った高尾にずいと迫ると、俄かに仮面を外す。

「っ……」

 ニタアと笑う白美に、高尾の警戒は本能的に強まった。
 極めて不気味な笑顔だ。

「俺としては、正直、ぜんぜ〜ん物足りなかったなァ」

 まさに嘲りながらそう言う白美の口調は、先程の試合の時に耳にしたものとは遙かにかけ離れていた。
 少なくとも、津川の言葉に悲痛な表情で言い返したあの誠実な男がする喋り方ではない。衝撃的な豹変っぷりだった。

「……」

 黙って自分を凝視する高尾を一瞥すると、白美はまたトイレに向かって歩き出した。

「んま、正邦如きに手ごたえ求める方が愚か者っつー。智ちゃんはさァ、俺達潰そうったって無駄だみてぇなこと言ってたけどさ……フッ」

 言葉が途中で止まったかと思えば、クツクツとなり出す白い喉。

「なんだよ」

「ッハ、正直、アイツら如き相手にするとか、蚊をつぶすよりよっぽど簡単なんだよなァ。――あの程度の雑魚に雪辱戦とか言ってる俺らの先輩もマジウケるけど、ま、段階的にもとりま黙っといて適当にフォローしてやっとくべきかなァ、つって」

「っ!」

「正直智ちゃんのおしゃべりにはビビったけど。でもま、俺の名演技どうよ、マジで。キミは気付いてくれたみたいだけどさ、真ちゃんまんまと騙されちゃって。ったく、この俺がんなこと言う玉かっつーの。しかもさ、チームに対して感動して泣くとか、フッ、ハハッ――」

 白美はペラペラと侮蔑の言葉を吐き、そして肩を震わせて、押さえながらも大きな嘲り笑いをした。
 生憎、周りには高尾と白美以外の人気がなくて、高尾は眉をひそめる。
 この男の本性が、今すぐにでも大勢に露呈してしまえばいいのにと思った。
 スマホの録音モードでも押せられればよかったのに、と後悔もしたが、今更どうすることもできない。

 衝撃とふつふつ湧き上がる嫌悪を高尾はなんとか抑え込みながら、白美の笑顔を無表情で見上げた。

 白美の貌からは、全ての笑顔がサッと掻き消えた。
 まるで感情の無いような無表情で、白美は一言「くだんねぇ、マジでバカ」と放つ。
 だが、その低まった小さな声には、白美の「仲間」等に対する荒んだ感情が明らかに滲み出ていて、高尾はギリと拳を握りしめた。

 何故自分は、こんな男に対して少しでも期待や興味を感じたのだろう。高尾は酷く後悔をすると同時に、彼に対してだけでなく過去の自分に対しても怒りを覚えた。
 自分を騙したこともそうだが、緑間を侮辱したことも、彼が彼自身のチームをバカにしたことも、正邦を見下していることも、気に喰わない。
 何たる外道なのだと、頭が痛くなった。

 ともすれば殴りかかりたくなる程に、高く積み重なる怒り。激しい嫌悪。
 ここまで誰かに強い憤りを覚えるのは本当に久々で、高尾はその感情を持て余しそうになった。

(いや、押さえろ……)

 そうして、耐えているうちに気付けばトイレにたどり着いていて、高尾は白美と並んでいた。
 互いに無言で用を足し、静寂が過ぎる。

 高尾は、白美に対して何時もの様にふざけて返すことができないままで、今白美と同じ場所にいることに対してすら感じる強い不快感を噛み締めるしかなかった。

 先に、その場を離れたのは白美だった。
 大股で通路を戻ると、さっさと手を洗う。
 そうして、手を拭きながら振り向きざまに高尾に視線を合わせた。

 また先程の不気味な笑みを浮かべて、「だから」と高尾に声をかける。

「……?」

 用を終えてこちらに向き直った高尾の目には、警戒をこした怒りすら見て取れた。
 白美はワザとらしい動作で首を傾げ、片手で髪を掻き上げ、もう片手を横に広げる。

「だからさァ、今からの試合、すっげえ楽しみにしてんだよねェ……。どうせ潰すんなら、強い相手の方がいい――」

「お前、まさか!」

 反射的に切羽詰まった声を出した高尾を、白美は楽しそうに、舐めるように見る。

「俺、ずーっと、この時を待ってたんだよねェ。姿くらまして、髪の毛の色抜いてさ、誠凛なんて弱っわい学校入って、毎日芝居して……」

「じゃ、怪我は……?」

 高尾の問いを、白美は鼻で笑い飛ばす。

「全中終わった日に、階段から落ちて怪我――、ヒヤっとしたけどね……、ッハ、1週間で完治しちゃったのよ、コレが。誠凛のだぁれもそんなこと知らないけどさァ。テッちゃんも。……おっと、余計な事しゃべり過ぎちゃったかなァ〜? んま、いいや。取り敢えずそういうことだから。Savvy?」

 白美は明るさすら交じった声音で言うと、ヒラリと身を翻して出口に向かって踏み出した。

「橙野ッ!」

 反射的に、高尾は白美を呼び止める。
 声に滲み出た感情を読み取り、白美はほんの一瞬目を伏せたが、またニヤリと笑って振り返った。

「まぁ、そういうわけだから、よろしくでっす☆」

 黄瀬よろしく、シャラッと笑ってウィンクまでする。
 そして間髪入れずにまた高尾に背を向け、手を肩越しにヒラヒラ振ってトイレから去った。



 トイレから明るい廊下に出て、数メートル離れたところで、白美は立ち止まった。
 ズボンのポケットに両手を突っ込み、長い白髪を垂らして俯く。
 周囲の喧騒と切り離された場所で、独り、白美は目を伏せた。

「――なーんて、ね……」

 ボソリと小さな声で呟き、フッと頬を緩めた。
 そうして、貌を上げると、また歩き出す。

 背筋を伸ばして、ポケットから手をだして、前を見据えて。

(これが、俺のやり方だ……)



 ただ白美は、水色の双眸が自身の一連の動作をじっととらえていたことに、気が付かなかった。



(I am sure that I was hated by you,but I don't mind )

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