ある日、唐突に団長室に呼ばれたカナフは、首を傾げる一方、一抹の不安を覚えながら団長室の扉をノックした。
団長が呼んでいると呼びに来てくれたのはペトラで、一緒にいたエレンにはものすごく心配されながらも、エレンを宥める為に頭をぽんぽん撫でながら歩き出し、しかし一体なぜ呼ばれたのかと歩いている間中、頭を悩ませていた。

室内に入れてもらったカナフは、団長の「まあ掛けて」の一声に礼を言ってから手前のソファに腰を下ろした。
ゆったりも座っていられないと、リラックスするような座り方ではなかった。少し間をおいてからエルヴィンもカナフの対面に腰を下ろす。
僅かだが、嫌な沈黙が流れた。



「君、カナフ・ベルネットだろう」



断定的に話すエルヴィンにカナフは首を傾げて曖昧に笑みを刻む。
そう言えば、以前リヴァイにも同じことを聞かれていたと思い出しながらも、全く心当たりがないと首を振った。
エルヴィンは逃さないというような強い眼差しでずっとカナフを射抜いている。息がつまりそうだ、とカナフは首元を撫でた。

「何のことでしょうか?……そういえば以前リヴァイ兵長にも似たような事を聞かれましたが」

エルヴィンはふうと短くため息をついて前のめりに両ひざに肘をついて指先を組む。
目を細めるその姿は猛禽類を思わせるほど獰猛に見えた。重苦しい空気に酸素が薄くなったような心地を味わいながら、カナフはそれでもおどおどする素振りも見せずにエルヴィンを見返した。
良くは分からないが、何かしらの嫌疑を掛けられているようだ、と感じていた。

「君を少し観察させてもらった。考え方の癖、戦い方の癖、それ以外での君の仕草に至るまで、全部だ」

何が言いたいのかと訝しむが、カナフは何も言わずに言葉の続きを待った。
しかし続きはなく、両者とも黙り込んで室内を沈黙が包む。時計のカチコチという音が嫌に大きく聞こえていた。


「それら全てが、君をカナフ・ベルネットだと示している」


音が消えたように感じた。
エルヴィンの言葉だけが室内を満たし、カナフの脳内までも満たしていた。
つう、とカナフの頬を汗が流れ落ちる。息苦しさのせいだけではなかった。

「……おっしゃっている意味が、分かりませんが。以前ここにいた兵士の話だというのは、ペトラさんから聞いたことがあります。随分、……似ているようですね」
「それもだ」

話の流れにはない端的な言葉で、エルヴィンはカナフの言動を制した。
す、と指をさす先には、胸元をぎゅと握りしめるカナフの手に向けられている。
ハッとして自分の握りしめる自分の手元を見たカナフの表情は、徐々に冷静さを欠いているのが、エルヴィンには手に取るようにわかった。
カナフの様子に、ようやく頬を緩めてソファに背を預ける。余裕だった。捕まえた、と心の中では言っていたかもしれない。

「胸でも痛いのかい?」
「い、いえ、痛いわけでは……」
「そうか、では何かを握りしめてでもいるのかな?」
「……ッ」

理由なんてお見通しと言わんばかりの畳み掛ける質問に、ついにカナフは言葉を詰めた。
癖、なんて。隠そうといくら努力をしても無意識にしてしまう事だから癖というのに、隠し切る事は不可能だった。
ソファの肘掛に頬杖をついて足を組むエルヴィンは、カナフにはどのように見えただろうか。
息苦しいのと、言い訳を考えるのに必死でそこまで考えが回っていないかもしれない。先ほどよりも無意識に胸元を強く握りしめながら、ぐらぐらと揺れるような視界にどうしたらいいのか分からなかった。


「リヴァイから貰ったネックレス。……だと、踏んでいるんだがね」


エルヴィンの言葉にカナフはぎゅ、と目を瞑る。何かを葛藤しているかのように。
視界からは消えたのにそれでもその大きい存在感は消えず、より大きく感じてしまいながら、見のうちから湧き出るような何かを耐えるように眼も口もぎゅっと結んだ。

「白状しないのなら、君を調査兵団から追放する」
「……!」
「追放後もリヴァイには一切関わらせない」

エルヴィンは知っていた。カナフがどのような目的で調査兵団に来たのかを。
そんなことになれば、カナフの目的が果たせなくなってしまう。それだけはなんとしても避けたかった。
カナフは、諦めた。
そして、泣き出しそうな表情のまま器用に笑みを浮かべてエルヴィンを見る。


「……降参だ、エルヴィン」
「やはり、俺の知っているカナフだったんだな」
「ああ、そうだ。なんでか生まれ変わって、記憶にぶら下がってのこのこまた戻って来ちまったよ」


先ほどの堅苦しい座り方ではなく、エルヴィンの、リヴァイのよく知るカナフの座り方で座りなおして、肘かけに肘をついて手を開いて見せた。足を組み、その姿は団長よりも偉そうだと誰かが笑っていたのを、エルヴィンは思い出して苦笑した。
やはり、私の、私たちの知るカナフだったのかと、その事実はありえない奇跡のはずなのに思いのほかストンとエルヴィンの胸に落ち着いた。

「なぜ言わなかった」
「なぜだって? 決まってるだろ……俺はリヴァイを、裏切ったんだ。ずっと傍にいるとか言っておきながら、あいつの目の前で巨人に喰われて死んだ。今更どの面下げて生まれ変わりました、なんて言えるんだよ。どの面下げて、あいつの前に俺として立てるんだよ」

カナフの悲しみと苦しみと、そして後悔の滲む言葉にエルヴィンは黙り込んだ。
カナフの頭には昔も今もリヴァイの事しかないのだと思い知らされていた。最初に気付いたのはエルヴィンだった。リヴァイに聞いたときは、断定するための素材が一つ増えたくらいにしか思っていなかった。
最初にカナフに気付いたのは自分だと、理由のわからない優越感を感じていた。

「思い出させたくねぇんだ。悲しませたくない。……あいつ、泣かなかったろ?傷も悲しみも呑み込んで、目的の為に最前線に立ち続けるようなやつだ。俺との事だってきっと、そうやって乗り越えた。それなのに、会えるわけねぇよ」

しかし、その優越感もカナフの言葉に無残に砕け散る。
どうしたって敵わない。そう思ってしまうに十分すぎるほどの、カナフの言葉。
自分ではない誰かを見ながら、カナフは苦しげに言葉を重ねる。リヴァイもカナフに会いたがっている。そんなことは火を見るより明らかだ。できるなら墓から引きずり出してリヴァイに会わせてやりたいと、兵団にいた誰もが思った事だろう。
会えばいい。自分がカナフだと告げればいい。そうしたら、きっと。
しかし、それをいう事は憚られた。今更、そう思ってしまうのも、エルヴィンは良く理解できたからだ。

「随分勝手なんだな」
「俺らしいだろ?……俺はまた、あいつを守ってくたばるのが関の山だ。いや、むしろそれ以外の死に様なんて想像できねぇくらいだ。また死ぬのに、わざわざ言う必要なんてねぇんだ」
「……カナフ、リヴァイはエレンと、……その」

エルヴィンの言葉を濁す言葉に、カナフは綺麗に笑って頷いた。
その笑顔に虚を突かれてエルヴィンは瞠目する。

「付き合う事になったんだってな。知ってる。エレンから相談受けてな、ケツ叩いたのは俺だ」
「なぜそんなこと……」
「あいつは、大丈夫だ。エレンが傍にいる。エレンとなら、きっと幸せになれる」

この世で一番大切なリヴァイと、自分ではない他人をくっつけるような真似をするなんて、エルヴィンの理解を超えていた。なぜそんな真似ができるのかと疑うような眼差しでカナフを見つめるが、カナフはどこ吹く風と笑っている。
リヴァイには確かに幸せになって欲しいと思うエルヴィンだったが、それと同時に。

「君は?」
「ん?」
「君は、幸せにならないのか」

ふふ、と空気を漏らすように笑うのに、全然笑っているように見えないカナフにエルヴィンは、胸が裂かれるような感覚を味わった。痛い。自分がそう思うという事は、きっとカナフはこれ以上の痛みを感じているのではないかと。


「俺は、あいつが生きてそこにいるだけでもう十分幸せだ」


言いながら腰を上げるカナフを目で追いながら、言おうかどうしようか迷って。だが。僅かな葛藤の後、エルヴィンは、カナフが歩いて、ドアを開けて、閉めるその間際に滑り込ませるように口を開いた。



「カナフ、リヴァイは泣いたよ。人目も憚らず、脇目もふらず、君の喰い零された足を抱きしめながら君の名前を叫んで、君を思って泣いたよ」



カナフは思わず足を止め、ドアを閉める手を止めた。エルヴィンの言葉が信じられなかったわけじゃないが、ただそんなリヴァイが想像、できるのにできなかった。泣いてくれるだろうとは思っていたけど、そんな、何振り構わない方法で泣いてくれるとは思わなかったのだ。それも、カナフの、足を抱いて。カナフの名前を叫んで。その事実が、カナフには衝撃で仕方がなかった。それと同時に、嬉しい、と思ってしまった自分をすぐに恥じた。そしてそれなら尚更、リヴァイの前には立てない、と思ったのだった。

エルヴィンは何も言わずに静かに扉を閉めたカナフに、苦しい思いを抱いていた。二人が並んで立つその姿は、ウォール・マリアよりも尊いものだとその背中を見ながら思っていたものだった。この二人さえいれば、人類は勝てるのではないかと、そう夢を見たことさえあった。
カナフがそうしていたように、エルヴィンも自身の胸元を手で握りしめた。カナフと違い、エルヴィンの胸元には何もなかったが、カナフを目で追ううちにその仕草が移ってしまっていた。


エルヴィンは、カナフが好きだった。
気付いた時にはもう、カナフとリヴァイが付き合って少し経った後だったからエルヴィンは胸の内を焦がす想いにただ耐えるしかなかった。調査兵団としての本分を忘れて、リヴァイとカナフを取り合う気はなかった。自分の恋心は最奥の牢にぶち込んで忘れたふりをする。たまに靴擦れみたいに痛むのを甘受していた方がずっとマシだと思った。
エルヴィンはカナフだけじゃなく、リヴァイも好きだったのだ。リヴァイに対しては恋情ではなかったが、それでもその二人が苦しむ姿は何より見たくなかった。


突然降って沸いたかのような今の現状に、どうしようもなく心が湧き立つのを止められなかった。
リヴァイはエレンと付き合っている。カナフは今一人だった。


最奥の牢の鍵はすでに錆びついて壊れていたのだと、エルヴィンはこの時初めて気付いたのだった。






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2015/10/01 gauge.


SK

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