13



随分人数の減った調査兵団が本部へ帰還した。
皆暗い顔をしている。新たな知性ある巨人と接触したという収穫はあったものの、捕獲は失敗。上層部や他の兵団が納得するような成果は皆無だった。
連れ去られそうになったエレンは無事回収できた。
ミカサも怪我はない。リヴァイも怪我ひとつなく帰路についている。

カナフは自身も怪我もなく帰途についていることを喜んで、そしてエレンの今後について思いを馳せた。




エルヴィンと別れた後、リヴァイと合流したカナフは、女型の巨人に叩き落されそうになっているミカサを庇う、リヴァイに襲い掛かる腕を肩から切り飛ばして女型の巨人の顎の筋肉を削いだ。ボトリと切り離された腕が宙を舞って地面に落ちる。
一瞬の事に目を奪われ意識を逸らしたのはミカサだけで、リヴァイは驚きはしたものの、デロリ、と飛び出した意識のないエレンを引き抜いて飛び出していた。

「オイ!ずらかるぞ!」
「先に行けー」
「!? おい、カナフ!」

「このまま置いてくってのはー、ナシだろー」

スイッチ入ってやがる。
女型の巨人の肩に立ち、冴え冴えとした眼差して射殺すように巨人を見下ろすカナフを見て、リヴァイは奥歯をガシリと噛み締めた。
また危険な橋をたった一人で渡ろうとする。リヴァイを庇ったのだって今回はたまたまうまくいっただけだ。簡単に命を賭け金にするカナフはいうなればエレン以上の死に急ぎ野郎だった。


「いい加減にしろ!また死にたいのか!」


死ぬ、という考えがなかったのかカナフは瞠目して、見るからに焦っているリヴァイを見つめた。
リヴァイは怖かった。また、今度はこんなことで。
泣きそうにさえ見えるリヴァイの切迫した表情に、カナフの表情から獣が消え、情けない表情でブレードを仕舞って女型の巨人から離れた。
その様子にリヴァイは、ほ、と息を吐き出して正面を向き直る。

リヴァイはミカサと何かを話しているようだったがカナフの耳には入らなかった。
カナフは何も調査兵団の為に危険を冒そうとしたわけではなかった。このまま放っておいたら、また近いうちにエレンを襲いリヴァイを危険にさらすことになるだろうという予見から、カナフは今ここで仕留めておきたいと思っていた。
それを止められ悔しい思いをしたのも確かだが、リヴァイを悲しませたくも無くて仕方なくその場から離れていた。
ただでさえエレンとリヴァイに危害を加え、リヴァイ班全員をはじめ数々の兵士を殺しておきながら見逃すなんて真似はしたくなかった。このまま尻尾を巻いて逃げたら、殺された兵士の魂はどうなる。エレンは一体どうなる。成果を上げる事を条件にエレンは調査兵団に入団したはずだった。巨人の子供がいても成果を上げられなかったら。
エレンは一体どうなる。

「お前もだ、カナフ!」
「はっ?」

急に話を振られて驚いて声を上げ、きょとんとリヴァイを見つめる。
何の事だ、とその表情は物語っていて、たった今の事さえ分からないのかと青筋を浮き上がらせる。

「作戦の本質を見失うな。 自分の欲求を満たすことの方が大事なのか」
「作戦の本質?エレンを餌にアイツを捕獲する事だろう。見失ってたか?俺が」
「すでに撤退命令は出た」
「目の前に、すぐ捕獲できそうな状態でそこにいるのに見逃すってのは理解できねぇな」
「エレンは助けた、そいつも無事だ、最後に出た命令はなんだカナフ」
「さあ、記憶にねぇな」
「撤退命令だ!テメェ新兵なら上官の命令には従え!」
「っ」

リヴァイの発言に息をのんで、カナフは気まずそうに視線を逸らした。エレンとリヴァイが危険な状態にあってカナフは十分に頭に血が昇っていた事を今自覚した。冷静な状態だったのならあの状況ならカナフも間違いなく退避することを選んだはずだった。それなのに。
ギリ、と歯を鳴らしたのは、今度はカナフだった。

「……すみません、取り乱しました」
「それでいい」
「でも」
「?」
「……兵長が無事だった事は安心しました。けど、このまま逃げ帰ったら、エレンはどうなるんですか。他の兵士達だって報われない。……すぐそこに、捕獲できそうな状態で目標がいるのに」

カナフの掠れた発言にリヴァイは顔を顰めて、そしてカナフの行動を理解した。
調査兵団が壁外調査で成果を上げられた経験はほぼ皆無に等しい。そのたびに無駄に兵士は死んでいく。無駄に。今回だってそうだった。それを諦めるのは相当な覚悟が必要だった。敵を逃がす、覚悟が。
そして、エレンの今後を考えてカナフは危険を冒してまであの巨人に執着していたのだと。
チャリン、と存在を主張するように胸元のネックレスがリヴァイの服の中で跳ねた。

「今は、無事帰還する事だけを考えろ」
「……はい」







正しいんだと、最善だと信じた道は、本当にそうだったのだろうか。
考えたって答えは出なかった。







本部に帰還して。
重苦しい空気の中、土や埃や血以外にも何かが黒く淀んだ何かで握りしめられているような気持ち悪さで、カナフはすぐに体を流し替えの服に袖を通したにも関わらず大してすっきりなんてしなかった。リヴァイを追っている時、見つけた4人分の死体。リヴァイはまた近しい人を失くした。リヴァイの様子が気掛かりで声を掛けようかと思ったが、リヴァイの傍にいるのはエレンだと自分に言い聞かせて自室に籠る。
励ますのも、隣に座るのも、慰めるのも、守るのも。愛するのも。
それをするのはもう自分ではなくエレンなのだと思うと、苦しいとは思ったが寂しくはなかった。ようやく自分の立ち位置を見つけたのかもしれない。それとももう寂しいと思う気持ちすら麻痺してしまったんだろうか。


エルヴィンの執務室に入室する。
約束を果たすためだ。


エルヴィンを机を挟んで正面から見据えて、意を決するために一度目を伏せすぐに視線を上げ、なけなしの笑みを浮かべた。

「返事、しにきた」
「そうか」

お互い分かっている雰囲気があった。
実際言わなくても分かっていた。妙な緊張感はあったが、予想に反してカナフの手のひらはさらりと乾いていた。これを言えばきっとエルヴィンを傷つけるだろうとカナフは思っていた。いくら答えは伝わっているとはいえ、言葉にすれば聞かなければならず、聞くという事は再認識するという事だ。僅かでも心を痛めるという事だ。
カナフが意を決して声を発する、少しの間に。
エルヴィンはその隙間を縫うように声を滑り込ませた。


「みんなを失くして、さぞ消沈しているだろうね」


それがリヴァイの事を指す事は明かだった。しかしエレンの事を指しているようにも取れ、逡巡の間があく。唐突な話に虚を突かれたものの、班員を失くしたリヴァイの事を言っているのだろうと見当を付け相槌を打ち頷いた。

「ああ……そうだな」
「慰めにいかないのか?」
「……どっちを?」
「リヴァイ」

一体なぜこんな話を、と思いながら、カナフはそれでもエルヴィンの意図の読めない質問に律儀に答えていた。エルヴィンからの告白の返事をしに来たはずだった。それなのに、その話を遮ってエルヴィンはなぜリヴァイの話をするのだろう。
カナフには理解できなかった。出来なかったが、エルヴィンがこの話をしたいと思うのならと答えを返す。
リヴァイを慰めるのは、自分の仕事じゃないとカナフは思っていた。

「リヴァイの事ならエレンに任せたんだ。今更しゃしゃり出れるかよ。……エレンなら励ましに行こうかとも思ったが、……それも、俺の出番じゃねぇだろ。付き合ってる二人で、乗り越えていくことだ」
「俺の知っているカナフは、泣いている人を放って置けない人物だと思っていたがね」
「エルヴィン……」

エルヴィンは自分に何をさせたいのだろう。
カナフはエルヴィンの突然の話に困惑していた。
なるべく考えないようにしていた内容だっただけに、言葉で伝えられるとカナフに重くのしかかる。そんなの、カナフ自身が一番そうしたいに決まっていた。それが叶わなくて、上手くいかなくて、こんなにもいろんな人を傷つけたというのに。
泣き出しそうな顔をしていたカナフを、今度はエルヴィンが包み込むような柔らかい笑みを浮かべていた。


「そんな君だから、俺はカナフを好きになったんだよ」


泣きそうだ、と。カナフは思った。
苦しめてばかりいた、酷い事ばかりしたエルヴィンからこんな優しさを向けられてカナフは申し訳なくなった。自分はエルヴィンに優しくなんてなかったはずなのに、エルヴィンはこんなにも。そう思うと苦しかった。
エルヴィンはカナフにリヴァイの傍に行けと言う。
そんな事できるはずもなかったが、カナフはついリヴァイの傍にいる自分を想像した。夢みたいだと思った。自分に笑みを向けているリヴァイを想像して、けどそれはベルネットだった自分に向けられたものを思い出しているに過ぎなかった。現実は違う。同じ建物の中にはいても、自分ではない人物と一緒にいて、そいつに笑みを向けるだろう。そんな事わざわざ戒めなくても分かってる。
今だってカナフは、その腕に抱きしめたリヴァイの感触や香りや声を覚えてる。苦しいほどに簡単に思い出すことが出来る。すっぽり腕に収まるリヴァイを離したくなくて、一晩中抱きしめていたことだってあった。思い出すんじゃなかった。考えるんじゃなかった。泣き喚いている時のように喉が痛んだ。泣きたいのだろうか、と考えてカナフは分からない、と思った。
それと同時に幾度となくリヴァイを悲しませ苦しませ、泣かせた事を思い出す。
どれだけ背中を押されても、俺は。
考えを振り切るようにカナフは小さく首を振った。
しばし間を置いて、エルヴィンは深く鼻で息を吸い、口を開く。

「そういえば先ほど、エレンから話を聞いたんだが」
「……?」

いつの間にか俯いていた顔を上げてカナフはエルヴィンを見た。
エルヴィンは一瞬手元の書面に目を落とし、すぐに視線を上げてカナフを励ますような眼差しを向けた。


「『自分にリヴァイ兵長は手に負えない』、そうだよ。だから、君になんとかしてほしいそうだ」

「……、」


カナフは再び目を伏せる。
エレンは、気付いたのだった。自分ではリヴァイの傍に立てない事。壁外調査でも足を引っ張ってばかりいて、ミカサからカナフとリヴァイが助けてくれた事を聞いていた。リヴァイはカナフが好きで、カナフも当然リヴァイが好きで。どうして自分は二人の間に挟まるようにリヴァイと一緒にいるのかと思ってしまった。同時に、勝てない、と思った。
その事実はエレンを苦しめるどころか、そう気付くと同時に妙な解放感を味わっていた。爽快感さえ味わって、その足でリヴァイの部屋に訪れ、着替えている最中のリヴァイに別れ話を告げていた。
リヴァイは謝る事しか出来なかった。エレンはそんなリヴァイを笑って慰め、「でも、まだ好きです。ごめんなさい」と謝って部屋を出る。
エレンはここまで細かく報告はしなかったが、何故かエルヴィンは手に取るように分かっていた。エレンの気持ちがわかる分余計に伝わったのかもしれない。
「カナフに、返します」と、涙を流しているのに気丈に笑って見せたエレンの顔はきっと一生忘れる事は出来ないだろうと思ったエルヴィンは、これで二人が上手くいかなかったらどうしてくれようとやや物騒な事さえ思っていた。
黙り込んだままのカナフに顎をしゃくってエルヴィンはカナフを促した。

「行ってやれ。きっと待ってる」
「……なんか、情けねえな、俺」

カナフは泣きそうに笑う。
リヴァイが自分を待ってくれているかは別としても、行っていいのかと思ってしまう。行きたかった。会いたかった。触れたかった。何もない胸元を癖で握りしめてしまいながら、のこのこ会いに行って拒絶されたらと恐怖に震える。震えるのに、それでも。
片手を腰に当てて、体勢を崩し、窓の外を飛ぶ鳥を目で追い再び目を伏せた。その姿は何処か心臓を捧げる敬礼にも似ていた。
先ほどより悲壮感の感じないカナフに、今度はエルヴィンが視線を逸らして書面に目を落とす。

「何がだ」
「たったひとつ、掲げた目標さえ達成できねぇで、周りにお膳立てしてもらって、みんなを傷つけて、引っ掻き回して、結局これか」
「気付いたのなら、これからが大変だな」

笑っても怒ってもいない声でぽつりとエルヴィンは言った。ほんの一瞬、ひどく疲れて見えてカナフは申し訳なさに眉根を寄せる。
言おうかどうしようか葛藤の末、エルヴィンは未だ煮え切らない様子のカナフに伝える決心をして、少しばかり笑みを引っ込める。

「カナフ、彼の事を忘れられないのに離れる決断をした君を、もどかしく思いながら同時にチャンスだと思った。けど、お前にどうしても必要なものは、俺には最初から分かってた。分かってたけど、お前がそれに気付かなければいいと思ってた。カナフに、傍にいてほしかった」
「エルヴィン……」

カナフに、必要なもの。
それは誰の目から見ても明らかだったが、カナフだけがそれに気付いていなかった。そこにつけこみたかったが卑怯な気がして踏み込みきれなかった。神聖だとか思っていたわけではなかったが、これほどまでに長い間気持ちを温めていると、単純な欲で汚したくないと思ってしまうのだった。そこまで真っ直ぐ思われてカナフは純粋に嬉しいと思ったが、応えられず傷つけてしまう事が辛く思えた。

「このことは、無かった事にできないだろうか。虫のいい話だが、君とは、……君たちとは、今まで通りでいたいんだ」
「無かった事になんてしない。……エルヴィンを、傷つけるだけかもしれないけど、でも俺はあの時伝えてくれた、これまでのお前の苦悩や寂しさや悲しさまで無かった事になんてしたくない。応えることは、そりゃできねぇけど、無かった事にするんじゃなくて、秘密にするってのじゃダメなのか?」
「リヴァイが怒るぞ」
「俺が宥める」

俺の周りにいる人たちは、どうしてこんなにやさしいのだろう。
守りたいのに守られてばかりだとカナフは泣きたくなる。強くなれば守れると思っていたんだ。けど自身の手で守れたものが、果たしていくつあるのだろう。守りたいのに傷つけてばかりだった。少しも守れてやしなかった。
エルヴィンは泣きそうに笑みを浮かべ、カナフも似たような表情を浮かべた。
エルヴィンは思っていた。カナフは、どこまでも優しいのにどこまでも厳しい。無かったことにするということはエルヴィンの感情の幾つかも無かったことにするということだった。秘密にするということは、エルヴィンの伝えた気持ちをカナフが背負うという事で、同時にエルヴィンはその苦悩を抱えたまま生きるということだ。忘れることなんて出来やしないが忘れたふりさえ許してくれない、どこまでも真っ直ぐなカナフがこの時ばかりは憎らしかった。他者の苦しみをカナフは受け入れ受け止めて、重いはずなのに平然と立つカナフは一体いくつの傷をその身に抱えているのか。そんな事まで引き受けなくていいとエルヴィンは思うのに、そんなカナフだから好きになったこともまた事実で。できるならその荷物や傷を分け与えて欲しかったが、分け与える相手は自分ではないという事をエルヴィンは分かっていた。
カナフは目が覚めたように力の戻った目をしていたが、表情は痛切なまま、踵を返して扉に歩み寄り、扉に手を掛けたところで躊躇いがちに背を向けたまま口を開いた。

「エルヴィン」
「なんだ」
「俺、お前の事好きだよ。けど、俺が愛してるのは、やっぱりあいつだけだ」
「……早く行け」
「ごめん。……ありがとう」

エルヴィンは最後まで毅然として、カナフを優しい笑みで励まし続けた。
行くな、と。真逆の事を感情は叫んでいるのに、エルヴィンはそれを理性で押し留めて口を開く。
ぱたりとしまった扉に向かい。


「そんなの、最初から、分かってたよ」


エルヴィンにとって本当に必要だったのはカナフだったが、カナフにとってはリヴァイだった。そしてリヴァイにはカナフだった。本当は仕事なんてとうに終わっていたが、手持無沙汰でファイルから適当に引っ張り出していた書類を束にしてデスクの隅にまとめる。
椅子を回転させて背後の窓を見ると、ちょうど白い鳥と黒い鳥が、仲良くじゃれ合いながら飛び去って行った。

調査兵団の両翼の、間に割り込めるはずがないじゃないか。掻っ攫えもしなかった。
間に入り込んでも、片方しかなくても、駄目なのだ。
白い翼と、黒い翼、両方が揃って初めて、空を飛べるのだから。

長年抱え込んでいた想いを手放す時がようやく来たのだと知って、
エルヴィンは人知れず泣いた。



***


静かだ、とリヴァイは思っていた。
この部屋に入り浸るクソガキがいなくなってとても静かだと思っていた。
強がりだった。本当は辛かったし、申し訳なかった。優柔不断なグズ野郎は俺じゃねぇかと思い、そして自嘲する。自分なんかよりもずっと強かったな、とエレンの泣きそうな笑顔を思い出す。「あなたの隣には立てません」と言った、綺麗な獣を思い出す。
あの意志の強い獣さえ退かせるほどだったのだ、自分の、カナフへの想いが。そう思うと自分の未練がましさに笑うしかなかった。

エレンと別れたからと言って、カナフと付き合えるわけじゃない。
カナフへの想いを押し込めてエレンに触れていた時、幸せよりも罪悪感の方が強かった。どれほど気付かない振りをして酷い違和感を自身で処理しても、誰も幸せになんてなれなかった。エレンは気付いてしまったし、リヴァイも気付いてしまった。自分の心に誰がいるのか。誰を見ている時一番、心が動くのかを。
そして気付いたところで引き返せやしなかった。ただエレンを傷つけただけだった。ただでさえ一人矢面に立つあいつを、少しも守れないまま傷つけ放り出す。これがカナフならもっとうまくやっただろうか。
俯いて、自嘲する。
もうあいつはこの身にに触れる事はない。


バン!と、
唐突に扉が壊れたかと思う程乱暴に開いて、その先にはたった今思い描いていたカナフがいた。

「!」

肩で息をしている。走ってきたのだろうか。
息切らして、静かに部屋入って、静かに扉を閉める。
その一部始終をじっと見つめながら、カナフがようやくリヴァイに向き直ったところでリヴァイは静かに口を開いた。

「……どうした」
「こ、……こんなこと、言うのダメだって、分かってる。忘れろとか言っておきながら今更、どの面下げて、どの口がって、思われるのも、今更、俺の事なんて何とも思ってないかも、もう俺の事なんて嫌いかもしれない、それでも、俺、……俺、は、」
「……」

何を、言おうとしている。
リヴァイは自身の心臓が強く脈打つのを感じていた。少し怖い気もするでも、今から伝えられる言葉が自分の待ち望んだものであるかのような予感があって無意識に呼吸が浅くなる。
カナフは、ス、と真剣な表情で真っ直ぐにリヴァイを見た。


「俺は、お前が好きだ」

「な、に、言って……」
「お前が、好きだ。お前以外いらない。お前の事しか考えられない。お前がいれば何も、いや、お前がいないと、俺は、ッ!」

何振り構わず、リヴァイは裸足のままカナフを激突する勢いで抱きしめた。
待ち望んだ感触が自身の腕からカナフの色々な事を伝えてくれる。カナフの体、カナフの香り、カナフの体温、カナフの脈拍、カナフの気持ちだって、長年一緒にいたら触れ合っただけで分かる。
信じられなかった。腕の力を緩めた瞬間にまたいつかの夢のように目の前から消えてしまいそうな気がして、ぎゅ、と更に強く抱きしめ、手のひらはカナフの背中の服を破れそうなほど握りしめる。
震えている。カナフは、リヴァイのどこか必死な様子に驚いて、そして予想外の行動に面喰ってそのまま動けず何も言えなくなった。


「遅ぇよ、グズ野郎……!」


胸元に顔をうずめて泣くリヴァイ見て、抱き返したくて腕を上げるのにリヴァイに触れる寸前で動きを止め自身を抑えるようにそのまま拳を握りしめる。ごくり、と喉を鳴らしたカナフは声を発した。

「いい、のか」
「何がだよ……」

密着したまま話しているから声も話す時の振動も全てがダイレクトに伝わって、体中に満ちて酔いそうだと思った。
カナフも、リヴァイも。
触れていることが嬉しい。拒まれない事が嬉しい。自分に、自分だけに向けて声を発してくれることが、こんなにも。
カナフは声を発しているわけでもないのに徐々に振動が強くなる。それがカナフが震えているからだと気付くとリヴァイは堪らなく泣きたくなった。


「お前に、触れてもいいのか」
「馬鹿野郎……さっさと触れ!」


俺がお前に「触るな」って言った事があったか?
そんな悪態は号泣している時のように震える喉に阻まれて声にはならなかった。
エレンと幸せになれとカナフに冷たくあしらわれている時でさえ、感情に任せてそんな事を言った事はなかった。いつだって触れたかったし、いつだって触れられたかった。カナフに触れる為にこの体はあるんだと臆面もなくそう思えた。
カナフは恐る恐る、だが息が止まりそうなほど力強くリヴァイを腕の中に閉じ込める。待ち望んだ感触だった。リヴァイを抱きしめていると思うと、カナフに抱きしめられていると思うと、酒に酔った時なんて比べようもないほどくらくらした。
カナフの目から、次から次へと、まるで雨のように涙が流れる。

「お前しかいらない」
「遅ぇよ……!」
「ごめん」
「謝んな…ッ」
「一人にして悪かった。バカな真似して、いろんな人傷つけて、お前を、一番守りたかったお前を、傷つけて、本当、ッ」

リヴァイは、抱きしめる腕を解いてカナフの顔を両手で包み込んで背伸びしてカナフの口を塞ぐ。
ずっとこうしたかった。じわり、と唇から体全体に何か温かいものが広がる。
少し間を置いてからリヴァイはゆっくり口を離して間近でカナフの瞳を覗き込む。


「謝んなって言ったろ……」


酷い仕打ちをした自分を、リヴァイは何もかも許してくれる。
想いを告げる事を、そしてリヴァイに触れる事を。
堪らなくなってカナフは再び強くリヴァイを抱きしめた。


「愛してる」


二人の間、誓いのネックレスがチリ、と控えめに揺れた。






***


「ご、」
「許さねぇ」


あの林にエレンとカナフは二人でいた。
カナフの様子からエレンは自分に何か言おうとしているというのは分かっていたが、それが自分に対する謝罪だと知ると、カナフの口が開くのを見計らって先回りして口を開いた。
エレンの強い言葉に俯いたまま瞠目して、そして当然だとカナフは甘受し、さらに頭を垂れた。
許してくれるなんて思っていなかった。それだけの事をしたのだ。それでもエレンに謝っておきたかった。ただの自己満足だ、そんなことは分かっていたが、許してくれるはずがないというのを免罪符に謝らずにいる事ができなかった。それはエレンの気持ちを尊重しているようでそうではないのではないか、とカナフは思っていた。
エレンの事をどれだけ傷つけただろう。エレンをどれほど苦しめただろう、どれほど泣かせて、そして悲しませただろう。
考えただけでカナフも苦しい思いを感じていた。それを考えるだけで、謝らずにいられなかった。

「……、許さなくていい」
「、……絶対、一生許さねぇ」
「ああ、悪かった」

許してくれるはずがない。そう思いながら謝罪するのは傲慢な気がする。
頭を上げないままカナフはひたすらエレンに謝り続けた。償いきれない程の罪だと、思っていた。

「……絶対、一生、……一生、ゆるさねぇからな」
「分かってる」
「分かって、ねぇよバカ」
「、?」

エレンの言っている意味が分からずカナフは顔を上げてエレンを見た。エレンは、怒った顔のままカナフを睨みつけているのにどこか泣きそうにさえ見えていた。ますます不思議でカナフは小さく首を傾げる。答えを待った。

「一生、許さねぇ、ってことは、……一生、サンドバッグになれって事なんだからなッ 途中で死んだりしたら、ホントに、マジで!許さねぇって事なんだからな!」
「エレン……」

どうしてそんなに優しいんだ。
カナフは心臓がぎゅうと絞られるような苦しさを味わいながら、泣きそうだったエレンがフン!と顎を上げて生意気そうな表情でカナフを見下ろして、強く言い切たその後、すぐにまた力ない表情に戻って視線を逸らして目を伏せる。言葉を探しているのか、視線がうろうろ彷徨う。カナフは何も言えなくなってしまってエレンのくるくる変わる表情を見つめていた。

「今度、死んだりしたら……本当に、許さないんだからな」
「ありがとう」

それはエレンなりの、叱責であり優しさだった。
リヴァイも、そしてエレンも、カナフの事を許してくれるという意志表示を、それぞれの言葉で伝えてくれた。
俺の方なのに。
守りたかったのは、俺の方なのに。
強くしなやかなエレンの心に触れて、カナフは泣きそうに微笑んだ。

「俺、兵長の事好きだけど、……お前の事だって、好きなんだからな」
「!」
「そんだけ!じゃあな!」
「あっ……」

エレンのセリフに最近すっかり緩くなった涙腺が仕事をしそうになって必死に堪えた。
走り去るエレンの背中は子供なのに大人のように大きく見え、カナフが謝罪することを許さなかった。落ち込んだように俯いてカナフは立ち尽くす。俺の必要なものとカナフに必要なものは違うとエルヴィンはカナフに言った。カナフは、思えば最初からその通りだと思った。最初からカナフはリヴァイしか見ていなかった。それなのに随分な遠回りをしたもので、そしてその道のりであまりに人を傷つけた。後悔したって時間は戻ってくれやしない。
立ち尽くすカナフを見兼ねたのか、木の葉がかさりと揺れる。


「……エレンは強いな」

「守りたいとか俺が言えた義理じゃねぇな。すっかり守られてる」


太い幹にすっぽり隠れながらリヴァイは背後のカナフに声を掛ける。
カナフがどこか泣きそうな声を出していたことに、リヴァイは辟易としながらも胸を震わせた。懐かしい空気だった。相変わらず他人の心情にばかり心を砕くやつだと思っていた。それはリヴァイと付き合っていたエレンにさえ向けられている。そのうち敵にまでその心を無駄遣いするんじゃないかと、見えない先の心配さえしていた。そういう、時間が。
とても得難いもので同時に、幸せだと。
たった一人きり震えて耐えるあの日々の寒さを思い出していた。
未だ一歩も動かないカナフにリヴァイはそのまま声を掛ける。


「カナフ」
「ん?」

「、……寒ぃ」


小さく笑う声がリヴァイの耳に届く。
リヴァイがそう言ってようやく静かに動き出して、カナフはリヴァイを優しく引き寄せ抱きしめた。
自身の言葉を寸分違わず理解してくれた事に、リヴァイは涙みたいな液体が胸の内側に満ちるのを感じていた。

「すっかり寒がりになったな」
「誰のせいだ」
「俺のせいだから、俺が一生温める」
「当たり前だ」

あれほど躊躇った触れ合いを、呼吸するようなさり気なさでするカナフにリヴァイは顔を上げてカナフに口付ける。カナフは笑みを深めてそれに応え、リヴァイを囲む腕に力を込めた。
苦しいくらいリヴァイを愛していた。
感情があふれて窒息しそうなほどカナフが好きだった。
その想いを唇に込めて愛を閉じ込める。


祝福するように木から鳥が二羽飛び立っていった。
囀る鳥の鳴き声が幸せを運んで、束の間の平穏を知らせている。
長い冬が、開けたのだと。



End.


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2015/11/16 gauge.


SK

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