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食事を済ませてホテルの部屋へ。室内に踏み込み、扉を閉めた瞬間に唇を重ねられた。腰を引き寄せられて身体が密着する。
「ん、……は」 「シャワー浴びてくる。……逃げるなよ」
すぐに解放されて熱が離れていった。くっついた時に陣平の陣平が勃ってるのがわかってしまったけど、陣平もそういう気持ちになってるってことでいいんだろうか。 浴室の扉が閉まって、ほどなくしてシャワーの音が聞こえてくる。ソファに座って待つことにした。 …実は、レストランでプロポーズされたりするのかな、なんて期待しちゃってたけどそんなことはなかった。やっぱりそういうの憧れちゃうよね、なんて話を萩原嫁としたものだ。まぁ陣平そういうの無頓着そうだし。でも……私たちって結局なに? だって好きとかあらためて言われたわけでもない。そりゃ、言わなくたって伝わってはいるけど。でも、一度突き放された身だから、言葉にしてほしいと思ってしまう。 薬指は空いたまま。籍も入れてない私たちは同居しているだけの他人だ。あの子の父親ではあるんだけど。これだったら、付き合っていた頃の方がよっぽど言葉にしてくれていた。
出てきた陣平と入れ替わりにシャワーを浴びる。バスタオルで身体を拭いていたら、扉が開いて陣平が乱入してきた。
「わ、」
まだ水滴が残っているというのに、バスローブを着せられて浴室から連れ出される。ベッドの淵に座らされた。その隣に陣平も座って、私の髪を指ですいていた。
「髪、切ったんだな」 「……ん、手入れも出来なかったから」
背の中ほどまであった髪は、今は肩の上でさっぱりと切り揃えている。陣平は私の髪を指先に絡めてくるくると遊ばせるのが好きだった。前のように絡めようとしてもするりと逃げていく毛先に、名残惜しそうに視線を送っていた。
「また伸ばせよ」 「うん」
隣の彼女の肩を押し、ぽすりとベッドに横たえる。その顔の横に腕をついて表情を窺い見れば、わずかに緊張が見て取れた。いいか、と聞けば、いいよ、と返ってくる。四年ぶりの御馳走に、心の中でいただきますと呟いてから唇を重ねた。 キスでとろけてもなかなか緊張が抜けない。なあもしかして、行為自体が本当に四年ぶりなのか。それとも、俺よりも相性のいい奴でもいたのか。
「……もしかしてさ、他に男作らなかったか不安になってる?」 「……」 黙秘する。
「高校のときの知り合いとかで言い寄ってくる人もそれなりにいたけど、陣平そっくりのあの子の顔を見たら皆苦笑いしてどっか行ったよ」 「……だろうな」
もともと性欲の強い方ではなかったことを思い出す。しかしその時だって俺の要求に付き合わせていたわけではなく、相手が俺だったからこそ身体を許していた。
「自分で? んー、最初の頃しようとしてみたけど、陣平のこと思い出しちゃって楽しくなくてやめたな」 「……今日はやめとくか」 「やだ。今しなかったらまた次の機会までうじうじするとか嫌だもん」
首に腕を回して絡めてくる。 ――あの日の俺の行動は、彼女の中に強く爪痕を遺していた。その事実を、後で更に思い知ることになる。
「っあ、んぅ」 「……っは、」
深く繋がって、息を吐く。此処にたどり着くまで本当に長かった。感慨に歯を噛みしめる。 とろけた瞳で俺にしがみついて彼女はじっと俺の肩を見つめた。 ふいに大きく口を開け、ガリ、と肩に歯を突き立てられる。
「いッッッてえ!!」 「私はもっと痛かった!」
俺の悲鳴は彼女の叫びに弾かれた。はっと顔を上げれば、瞳に涙を浮かべている。
「血がついたシーツは変えなきゃいけなかったし、傷が塞がるまでシャワーとか沁みるし! そのたんびにいっつも陣平のこと思い出して痛かった!」
彼女の肩には、俺の残した痕が薄らと残っていた。
「すきだったのに、大好きだったのになんでって、ずっと」 「……悪かった」
乗り越えた振りをしていたのか。そうでもしないと、今までやって来れなかったのか。それなのに俺は、勝手に許されたつもりになって。 震えた声の彼女の身体を離そうとするが引き止められる。
「やだ! やめないっ! じんぺ、もっとぎゅってしてよ、……大丈夫だって、安心させてよ……」
そうだ、こいつはそういうやつだった。飄々と振る舞うくせに甘えたがりで泣き虫で、一度崩れたらとことん弱い。そんな一面を見せるのは、俺に対してだけだった。 控えめに泣き声を上げる彼女を抱きしめる。謝罪と慈愛を込めてキスをした。
「んぅ、ふ、ぁっ、ん」
泣き声が甘い喘ぎに変わるまでじっとりと味わって、離れたくないとねだる彼女を御望み通り抱きつぶした。ごちそうさまでした、だ。
久しぶりに無理をさせられたからか、随分とよく眠ってしまったようだ。時計を確認すれば十時を過ぎている。チェックアウトを延長した方がいいのかな、と考えながら服をかき集めようとして気付く。
いない。 隣に陣平がいない。
慌てて部屋を見回すけれど影もない。耳を澄ませてもシャワーを浴びているような音も聞こえない。人の気配は無い。服を着ることも忘れて呆然とする。 うそ、だってそんな、昨日の今日で。一緒にいてくれるんじゃなかったの、あの子の父親になってくれるんじゃなかったの。でも、私は一つも言葉を貰っていない。口約束すらしていない。けれど、行動で示してくれるからって、それでもいいって思えるくらい好きだったのに。行動で示しているのだとしたら、これが答えなの。やっぱり重かった? ヤってみたけど思ってたのと違った? 私、うまく出来てなかった? 頬を雫が滑っていく。ぽたぽたとシーツに染みをつくった。
「あ、起きた、か……」
扉が開く音がして、彼の声がする。その方向を見れば、外から帰って来たらしい陣平がいた。ベッドの上で呆然と涙を流している私を見て息をのんでいる。
「っ!! どうした! 何かあったか!?」 「どうしたもこうしたも……っ!」
駆け寄ってきた彼を睨み付けて、枕をたたきつける。柔らかいせいでダメージが全く通っていない。それでもいい、私の気が済まない。
「いなくなるとか、ほんと、さいってー……! ちょっと! 何笑ってんの!?」 「俺がいなくて寂しくて泣いてんのかと思ったらつい、な」 「……っはぁ!? バカッ! こっちは、ヤり捨てられたかと思って……!」 「な、待て待て! ンなわけねえだろ!? これを取りに行ってただけだ!」
後ろ手に隠されていたものをばさりと渡されて視界が埋まる。 真っ赤な薔薇の大きな花束と、ベルベットの小さな箱。
「お前、こういうの好きだろ」
ああクソもっと格好つけて渡すつもりだったのにとかもごもごと呟いている。 用意すんの遅いのよバカとか、この人を疑ってしまった自分が恥ずかしいとか、ちゃんと考えてくれてて嬉しいとか。いろんな感情が一気に溢れて、声をあげて泣いてしまった。
「うわ〜〜〜〜ん!!」 「おい待て泣くな何か間違えたか!?」 戻る
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