最後に一度だけ抱かせてほしい、と言われた。
もうすぐ自覚してもらえるかもしれない、と思っていた矢先の出来事だった。
さいご。私は結局セフレ以上にはなれないということか。そう思えばいい加減諦めもついた。

何度も重ねた身体はお互いの良いところをまだ全部覚えていて、でも最後だと思うと苦しくて悲しくて涙が溢れてしまう。
慈しむように細められる目も、優しく触れてくる指先もやっぱり嬉しかった。
すき、と何度も口からこぼれて、でも萩原は「体位が」「愛撫が」「行為が」としか取ってくれないのもわかっていて、それでもかまわなかった。
けれど、「……ああ、好きだなぁ」と上から降ってきた言葉に頭が冷えていく。






最後にしようなんてこれっぽっちも思ってなかった。ただ抱いたらまた関係をあやふやにできて、前みたいに戻れると思ってた。だって身体の相性が良かったし、離れられなくなるくらい溺れさせてしまおうと思っていたから。
今までずっとセックスで悦ばせてきたし、他の方法を知らないので今日もこれで喜ぶと思っていた。
他の女とセックスしていたのは、彼女も同じようなことくらいしてるだろう、と感じるくらい軽い関係だと思っていたから罪悪感がなかった。彼女が嫌だと感じていたと知ったのでこれからはやめておこうと思った。
彼女の嫌がることをしないでおこうとか、喜ぶことをしたいとか思う理由にはまだ行き着いていない。

道端であれほど照れたキスも、雰囲気づくりのためならいつも通りできた。変わらず抱き心地も最高だった。身体の熱が燻るようにゆっくりと突き上げる。素肌で絡み合うのは気持ち良かったし、いつものように「すき、すき」と吐息とともに呟いているのも愛らしかった。やはり彼女も自分との行為が好きなんだと再認識した。

涙に潤んだ瞳に見上げられ、血色の良い肌は汗でしっとりと濡れていて、揺さぶるたびに喘ぎながらすがるように俺を呼ぶ声。
「……ああ、好きだなぁ」と気付いたら口からこぼれていた。

「はなして」
「え?」
胸板を押され、腰が離れていき繋がりがなくなる。ぬちゃりと音をたてて抜けていった。
「かえる」
「え」
身を起こしてベッドから脚を下ろし、散らばった服を身に付け始めた彼女を呆然と眺める。

「最後だって言ったくせに、今さら好きなんて言わないでよ」
音をたてて扉が閉まり、一人取り残される。

「……俺、あの子のこと好きだったのか」
思い返せば、行為の途中から部屋を出るまで、彼女はずっと泣いていた。
どうすれば彼女を笑顔にできたのか、わからなかった。



数十分後に松田から電話がかかってくる。まさかと思い家を出ながら通話ボタンを押すと二人の話し声が聞こえてくる。

「最後だって言うから、今度こそ諦めようと思ったのに」
彼女の、泣き声が。
「ずっと言われたかった言葉なのに、なんでこんなに苦しいんだろう」

ずっと言われたかった、その言葉の指す意味をごくりと飲み込んだ。

「……なあ」
低い声が彼女に問いかける。
「もう、やめたらどうだ」
まるでこちらに聞かせるように。
「俺は萩原ほどお前を笑わせられないかもしれねぇ。でも、今みたいに苦しめて泣かせたりなんか絶対にしないって約束する」
━━俺は松田より彼女を笑わせられていたのか? 過ごした時間は必然的に俺の方が多かった。松田と彼女は俺と会うときに偶然顔を合わせる程度だったはずだから。その二人がデートをして、……そのあと初めて俺と彼女がデートをして。
そうだ、彼女は肌を重ねなくても、幸せそうに笑っていたはずだったのに。

「俺を選べ」
ブツリと途切れた音声にザッと血の気が引いた。
あいつは、松田は本気だ。前回、俺が来なかったら「遠慮なく」奪うつもりだった、と口にしていた。おまけに、今の彼女は情事の香りを色濃く漂わせている。それを見た男がどんな行動をとるか。

松田は少ない時間でずっと彼女を見ていたのだろう。彼女の表情がどんな時に変わるか、より嬉しいときの笑顔や、……誰を想っているか。
だから松田は俺に電話をかけた。
彼女を奪う最後のチャンスに━━俺が彼女を取り戻す最後のチャンスに。


転がり込むように松田の家に上がり込み、目が合った奴に居場所を問う。
「っは、あの子は」
「……寝室」
ひゅっと息をのみ、顎で指された部屋に飛び込んだ。
松田のベッドに、ひとりぶんの膨らみ。彼女が寝息をたてていた。駆け寄って掛け布団を剥ぎ、あちこち触って確認する。
衣服は乱れていない。身体に付いた痕も、俺が残したもの以外に見つからない。

止めていた息を大きく吐きながら、その身体をかき抱く。泣きつかれた様子の彼女は起きなかった。
よかった、何もされていない。

「俺の鉄の理性に感謝しろよ」

いつの間にか部屋の入口にいた松田が言う。
拭われたのか、彼女の顔には涙の跡はなかった。

「……手なんか出せるわけねえだろ。フラれてんだ」
「……悪かった。ありがとな」
「遅ぇ。さっさと出てけ」


連れ帰ったあと、目が覚めた彼女にまた泣かれて詰られてしまいながら。必死に俺の気持ちを伝えて、俺たちはやっとセフレの関係を脱却できた。










二人が出ていった後、ベランダで紫煙を吐く。
━━奪ってしまってもよかった。それをしなかったのは、古い付き合いである鈍い親友への義理、だけじゃない。
『……ありがとう、でもね、たぶん私、あんな奴でもずっと諦められないんだと思う。だから、他の人を想いながらなんて、松田くんにそんな酷いことしたくないよ』
たとえ、唇を重ねて組み敷いて啼かせたとしても、そんなことで気持ちまでは奪えない。
「あー、くそ……」
泳ぐ煙が目にしみて、頬が濡れた。

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