医師のその言葉で、僕の記憶は全て戻った 序


彼が目覚めるまでの間に、少し昔の話をしようと思う。


れーくんが小学校に上がる前だったろうか。私の部屋にお泊まりするようになった頃だ。
その日は兄夫婦の家、つまりはれーくんの家に遊びに行っていた。遊び疲れて眠るれーくんを布団に寝かせ、そろそろ帰ろうかと腰を上げた時だった。
兄に、苦言を呈された。曰く、零を共に育ててくれるのはとても有難い、だが無理をしていないか、お前は結婚はしないのか、いつまでも息子に構っていて本当に良いのか、等々。恋人も作らず仕事に打ち込み、稼いだお金を甥に費やす姿を見て兄が心配をしているのは理解できた。そして同時に、息子の将来を心配しているのだ。
私の幸せは、れーくんが幸せであることだ。れーくんの生きる様を、見届けることが私の幸せだ。誰かと結婚して子供を産む幸せは、今のところ私には当てはまらない。これが、私なりの幸せだ。
そう伝えると、兄の表情はますます曇った。困惑や心配、どうすればいいのか自分でもわからないような、不安の表情。
やりとりを聞いていた兄の奥さんが言った。あなたやめてちょうだい、私は嬉しかったの、向こうから知り合いの居ない此処に越してきて、子供も産まれてどうしたらいいか分からなかった私を支えてくれたのはあなただけじゃなく、妹さんもなの、零だってとてもなついているのに、引き離すようなことを言わないでちょうだい。
思わず胸が熱くなった。れーくんのため、れーくんのお母さまのためとしていたことが間違っていなかったのだと肯定されたことが嬉しかった。勿論、兄は私を否定したかったわけではないことは頭では理解していた。
「後悔、しないか」
絞り出した声は、どこか苦しそうでもあった。
その意図を理解できるようになるより前に、私はその生を終えた。今に至るまでずっと、兄とは会っていない。



もしもれーくんに恋人や妻や子供ができたのなら、その時は私は潔くれーくんの前から消えるだろう。と、そう考えたことがある。遠くかられーくんの幸せを見守るのだと。
なぜかと言えば、私の存在は彼等にとって邪魔にしかなり得ないからだ。れーくんのお嫁さんは私を見て不安になる。夫の傍に自分以外の女が居ることは疑心を生むだろう。
そして、れーくんにとっても。私より愛する人を見つけたれーくんには、付きまとう私は必要が無い。私を選ばなかったれーくんは、いつか私を疎ましく思うだろう。
彼の幸せを脅かす私の存在は必要ない。
けれど、本音を言うならば、傷付きたくなかっただけなのだ。傷付く前に、彼の前から消えてしまいたかった。

……傷付きたくなかったのに。
目が覚めたれーくんは、私のことを忘れてしまっていた。

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