甘さなんていらなかった


私の恋人である風見さんの初体験は、よく知らない女の人だったらしい。
高校生の頃の彼は、ろくに恋愛もせず勉学に打ち込んでいた。貴重な青春だ、と先輩方にせっつかれて、あれよあれよと言う間に筆下ろしをセッティングされたのだという。先輩の知り合いの女の人がお相手だ。一人暮らしをしている彼女の部屋へ連れ込まれ、手慣れた女の人に優しく筆下ろしされた。
初めて触れた女の身体に戸惑う彼に、大丈夫、こわくないよと声をかける女の人。優しげな言葉とは裏腹にひどく艶かしく男を誘う指先。
それから一度も会うことはなかったが、それが初恋だったのだろう。そう自嘲するように彼は笑った。

今、運命の再会を果たした彼らの間に、銃声が響いた。
コードネーム持ちの男の恋人として、自身も組織の人間として暗躍していた女だ。対してこちらは警察の人間。出逢えば敵対することになるのは当然だろう。
過去に心を僅かでも燻らせた相手を、風見さんは躊躇い無く撃ち抜いた。崩れ落ちた女を見る瞳に慕情は欠片もなく、ただひたすらに冷えきっている。
それが必要な事だと考えれば、彼は過去を棄てることができる。その事実にホッとしたような、少しだけ胸が苦しいような。

「風見さん」
動かなくなった女から銃の照準を外さないまま、風見さんは私を見る。私の声に安堵したような表情を浮かべていた彼は、凍りつくように固まった。
私は風見さんに銃を向けていた。
「私も撃てますか?」
コードネーム持ちの男から、根城から女を上手く逃がすよう言いつけられていたのだ。公安の内側にいる私なら、警察の目を盗んで行動させることができる。だから私が前線に出ていたのに、まさか風見さんも来てしまうとは思っていなかった。
私はNOCじゃない。個人は特定出来ていないが、公安から潜り込んでいる「誰か」のように、黒ずくめの組織にスパイとして居るわけではない。
私はもともと、こっち側の人間だ。

風見さんは目玉が落ちそうなくらい目を見開いて、何か言いたげに口が動く。
過去の話を溢す程度には、彼の懐に入り込めていたと認識している。
恋人が組織の人間だと判っても、彼は私を撃ち抜いたりはしなかった。すぐにでも身体の動きを止めるべきなのに。
私はこれから、風見さんの過去になる。
ただ、それが少しだけ、寂しい。

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