2
「俺一人でも遠征ぐらい行けるだろーが」 「駄目です。行きたかったら今度は無茶な戦い方をしないでください」
手入れ部屋に同田貫を押し込み、息をつく。 曇天で月も見えない夜、本丸には審神者と同田貫だけが残っていた。
当時、本丸の資材が枯渇していた。初心者審神者には珍しくもない話だが、より多く仲間を集めるために鍛刀をし続けたためである。おまけにここ数日、政府からの資材の供給が滞っていた。結果として、手入れにすら割けないほど資材は足りなくなり、やっと集めた仲間は早々に遠征へ旅立つことになった。 もちろん、先の戦いで中傷になった同田貫を除いて。
日が傾く頃には、かろうじて同田貫の手入れのための資材は集めることができた。同田貫を手入れ部屋に押し込み、先ほど帰還した遠征部隊を再び送り出して一息つく。 遠征部隊が帰るのも同田貫の手入れが終わるのも、まだ時間はある。そう踏んで、大浴場をこっそりと使わせてもらった。私室からは遠いが広いのでのびのびと使えて、大満足だ。 仮面は私室に置いてきた。誰もいないのだから顔を見られることを気にする必要もない。たまには羽を伸ばすように、気を張らずにいたかった。
しんと静まり返った本丸の廊下を、髪を拭きながら歩く。まだ大した人数もいないが、それでも誰もいない部屋は少し寂しい。 手入れ部屋の前を通り過ぎ、審神者の執務室が見えてきた。温かな明かりが障子越しに漏れている。昼との気温差に寒さを感じ、足早に部屋へ向かおうとして気付く。
照明は消してきたはず。 足を止めた審神者を嗤うように、障子に影が揺らめいた。 今度こそ背筋が凍り、目線だけで手入れ部屋を振り返る。手入れ部屋に同田貫の気配はあった。 風呂道具をそっと床に置く。戦闘になるなら、もしくは逃げるときに邪魔になるからだ。最悪の場合でも、身一つさえあれば。
音を立てず、極力早足で手入れ部屋に入り込む。
「……あ? おい何だ、ってぇ!」 「しっ! 刀持って」
言うや否や同田貫の腕をひっ掴み奥の押し入れに自分ごと押し込んだ。 同田貫の腰の両脇に膝をついて耳をそばだてる。手入れ部屋に入るとき、執務室の障子が開いた音がしていた。先程の声に気付かれている可能性がある。
「遡行軍が入り込んでる」
声をひそめて短く伝える。手元にモニターを表示させ、本丸の状況を確認すると赤い光がいくつも蠢いていた。
「数は四十……今の状態じゃ、交戦は五体が限度かな」
審神者は考え込むように口許に手を当て、まだ塞がりかけの傷を見ながら呟く。
「門の外まで走れそう?」 「……逃げて、本丸を捨てんのか」 「違うよ。外に出れば取り返せる。中に居たら手が打てないから」 「遠征の奴らは? あいつらを呼び戻せば四十くらいすぐだろうが」 「強制帰還は不具合が起こりやすいからしたくない。誰かが欠けるかもしれない」
数秒の睨み合いの後、同田貫が先に目を伏せた。
「……わかった、行けるところまでは行ってやる」
ったく、と呆れた声で息を吐く。
「これでも巻いてろよ。顔、落ち着かねぇんだろ。さっきから顔ばっか触ってんぞ、あんた」
差し出されたのは同田貫の襟巻きだった。審神者は無意識のうちに、仮面が無いことを不安に感じていたようだった。 受け取り目の下を覆うように巻く。同田貫の匂いが濃く肺に広がった。
「全て打ち倒す必要はないから、何よりも門へ行くことを優先して」
いつの間にか、本丸を歩き回る音がしていた。そしてそのうちの一つが、手入れ部屋へと入ってきた。 同田貫と審神者は息をひそめてその時を待つ。
「出たら抱えて走って」
短く伝えて同田貫の首にしがみつく。 手を繋いでいようと審神者では足手纏いになることは目に見えている。同田貫も、審神者がくっついていた方が余程立ち回りがしやすい。 応えるように審神者の腰に腕が回された。
ズザ、ズザ、畳を歩く其れはゆっくりと、けれどもまっすぐにこちらへと向かってきていた。 押し入れの前で足音が止まる。 襖に手をかけようとする気配に、同田貫が動く。
襖ごと遡行軍の太刀を貫き、手入れ部屋から飛び出した。間を置かず、審神者は同田貫が入る範囲の結界を張る。廊下に出てすぐに敵短刀に遭遇したが、結界に弾かれて消滅した。
審神者が師から教わった結界だ。心の壁を想像して造り出せと。何者も寄せ付けず通さず触れさせない。拒絶し忌避し疎むほど強力な結界になるこれは、同田貫すら弾いてしまう心配があった。 審神者は必死になって同田貫を内へ取り込む。 審神者が顕現させた刀であること、これから同田貫が審神者を守り戦うこと。それらの同田貫への信頼を周囲への拒絶と混ぜて両立させる。 いつもの仮面があったら、信頼と拒絶の均衡が崩れて同田貫を弾き出していただろう。あれは周囲への拒絶の象徴でもある。 同田貫に審神者を抱えさせて走らせたのも、結界を自身より拡げることなどできないからだ。出来るだけ身体を密着させていれば、かろうじて結界を共有できる。
襖の派手な音に気付いたのだろう、遡行軍が次々と行く手に現れた。審神者を抱えた同田貫は、大太刀に片手で応戦する。防ぎきれなかった刃は審神者の結界に弾かれた。 複数の遡行軍に追われながら本丸を駆け抜ける。今のままでは、たとえ門へ辿り着いたとしても目的は果たせない。
「角曲がったらその部屋に入って」
同田貫の耳元で小声で指示をする。 部屋にいた敵短刀を斬り伏せて障子を閉める。廊下を遡行軍が駆け抜けていったのを確認し、二人揃ってへたりこんだ。
「傷、見せなさい」 「いらねぇ」 「……同田貫だって、もう動けないでしょう」
門まであと少しだというのに、同田貫が指示に従いこんなところに隠れたのは傷口が開いていたからだ。手入れ途中だった傷は本丸を走り回ったことにより再び開き、廊下には点々と血痕を残していた。曇天でよかった、月が見えていれば、血の跡を辿られていただろう。 暗い部屋のなか、審神者は両手で同田貫の傷を確かめる。大きな傷は右肩と腹部だ。今も血がじわじわと服を汚しているのがわかる。同田貫は荒く息をついていた。
「……ここからならアンタ一人でも、外には出られんだろ」
――それは、見捨てろと言っているのと同義だ。 非力な審神者は、怪我をした同田貫を抱えて走ることなどできない。審神者一人なら、ここから遡行軍の隙をついて走り抜くことはできる。ここまで審神者を抱えて走った同田貫を残したまま。
ぱたり、ぱたり、同田貫の膝に何かが落ちた。 まだ濡れていた髪から滴が落ちたのだろう、と同田貫が顔をあげた。
「動かないで」
震えた声に同田貫が眉を寄せたとき、横腹の傷が熱く燃えるように疼く。
「なっ――――おい!! なにして、」
驚愕に目を見開いた同田貫は咄嗟に審神者を引き剥がそうとするが、動くなと言われたことを思い出し動きを止める。 審神者は同田貫の胴に顔を埋め、傷口に舌を這わせていた。
「〜〜〜いっ……く、そ」
探るように強く押し付けたり、唇で覆い吸い上げる。その度に、傷を受けたとき以上の激痛が走り、同田貫は歯を噛み締めて耐えた。 審神者が脇腹の傷をねぶり終えて右肩へと顔を移動させたとき、同田貫は痛みが消えていることに気付いた。
「……手入れか?」
傷が消えていることを確認し静かに頷いた審神者に、同田貫はやっと現状を呑み込んだ。
「なるほどな。こんなんで治るなら、資材も手入れ部屋も要らないんじゃねぇか?」
これはまた戦が容易になりそうだ、と上機嫌で肩を回した同田貫だったが、はたと気付く。こんな方法があるのなら、押し入れの中で済ませれば良かったのだ。 抗議しようと顔を正面に向けたとき、審神者の身体が傾いだ。
「はっ、おい!? なんで……」
抱き止めた身体が酷く冷たい。血の気の引いた真っ青な顔の審神者が、カタカタと震えていた。 資材を必要としない、手伝い札も使わず速効で手入れを行える。審神者と刀剣男士の粘膜や傷口を合わせるその手入れは。
「……審神者の生命力が代償だから」
霊力などと生ぬるいものではない。審神者の命を傷口に直接流し込んで治癒を行う。 最後の手段としなければ、共倒れの危険があった。
……審神者を抱えて走らせたことも、傷が開いてしまった原因だ。 中傷の同田貫一振りでは四十の敵は相手にできない。審神者一人なら結界を使って門に辿りつくことはできるが、同田貫が本丸に居ては遡行軍を一掃できない。 同田貫は審神者だけでも残るなら良しとし、審神者は同田貫を欠けさせる気はない。
「同田貫が動ければ、私は死なずにすむでしょう?」
その逆は無い。審神者ひとり残ったところで同田貫は運べない。 瀕死でも審神者を門まで連れていけば、結果として双方とも生き残る。これは自己犠牲なんかじゃない。
「私の刀は絶対に折らせないから。……あとは、同田貫が連れていって」
そうでなければ気を失ってしまいそうだ。それでは全てが無駄になる。 ガシガシと頭を掻いた同田貫は大きく溜め息をついて、審神者を肩に抱えた。
「門まで直ぐだ、後で覚えてろ」
ここからは、審神者の結界は使えない。結界を維持する集中力も霊力も尽きてしまっている。
そのまま部屋を飛び出し、庭を突き抜けて一気に門まで走る。門の内側で見張りをしていた敵太刀を薙いで外へ転がるように出た。 門をきっちりと閉じ、審神者は門柱に手を触れる。すると、赤く発光するモニターが表示された。同田貫に抱えられたまま、震える手でいくつか操作して実行する。
「……何してんだ」 「本丸の中の生き物、――生命体とか色々、一括消去してる」
本丸の見取り図を表示し、内部に何もいなくなったことを確認してほっとする。 壁が迫ってきて潰すようなイメージだ。本丸に誰かが残っていてはとても起動など出来ない。遠征で皆が本丸を空けている今しかその手は使えなかった。 それが遡行軍相手に正常に動作したようでよかった。
「そんな都合の良いもん、なんのためにあったんだ」 「……本丸に虫が湧いた時とかじゃないの」
本来なら、審神者が死んだ本丸の刀剣男士を一掃するときに多く使われる。もしくは謀反を起こした本丸を審神者ごと。言うべきことではないので語らなかったが。
……そろそろ意識が朦朧としてきた。一括消去を実行と同時に救難信号も発信されたから、じきに誰かが来るはずだ。
「同田貫、これを」 「……ああ」
借りていた襟巻きを差し出して、その手で同田貫の服をそっと掴む。
「数日で帰ると思うけど……本丸を頼みます」
審神者は眠るように意識を手放した。同田貫はその言葉の意味を理解しないまま本丸へ戻ろうとする。しかし、複数の人間が門前に現れ阻まれた。
「この子の同田貫正国とは会ったことがなかったな。はじめまして」
審神者らしき初老の男は、政府の人間を引き連れて姿を現した。
「こいつをどこに連れていく気だ」 「私の本丸に。この状態は特殊でとても病院などでは処置できない。……おや」
政府の人間は審神者をストレッチャーに乗せると直ぐ様転移していった。救急隊員のようなものだろう。 残された男は考え込むように拳を顎に当てて、同田貫を眺める。
「はて、あの子もとうとう契りでも結んだかと思ったが……思い違いのようだな」
審神者と刀剣男士が肌を合わせる手入れというのは一部ではよくある話だが、この審神者は其れではないと見抜いてみせた。纏う香りのようなものが違うのだと言う。 この男が、審神者の師であると同田貫が知るのはもう少し後のことになる。
やがて遠征から帰還した部隊によって、資材は申し分無く集まった。後日、政府からの供給も、滞っていた分より幾分か多く支給された。今回の事件の報酬か――あるいは口止めか。どちらにしても審神者のいない本丸では外の現状を知ることなど叶わなかった。
事件から一週間。審神者はようやく本丸へ帰ることができた。 門前に座り込んでいるのは、夜闇のような黒い人。
「……ん」
こちらに気付いた同田貫は立ち上がり服の汚れを払った後、審神者の仮面を差し出した。これを渡すために、ずっとここで待っていたのだろうか。数日とは言ったが、帰りがいつになるかなどわからなかったというのに。
受け取ろうとすると仮面が引かれ、代わりに額を指で弾かれた。
「いっ」 「遅ぇ」
そうだこいつは後で覚えてろと言った。帳消しになるのなら、と額の痛みを受け入れて、改めて仮面を受けとる。 審神者は代わりに着けていた白布を取り払い、いつもの仮面を着けた。
「只今戻りました、同田貫正国」 「ああ」
戻る
|
|