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長い遠征から帰り、本丸の門をくぐった瞬間、違和感が鼻をついた。 まるで縄張りを荒らされたような不快感がちらつく。
「遠征、お疲れ様でした」
いつものように、審神者が玄関先で迎え入れる。隣には今日の近侍の燭台切が控えていて、ひらりと手を振った。……見たところ、変わったところは無いようなのに、違和感は拭えない。 一先ず、審神者の仮面をめくって顔を覗きこむ。その時、わざとらしいほどの花の匂いがして顔をしかめる。
「おい、」 「待った、同田貫くん。言いたいことはわかるから、ちょっとあっちで話そうか」
審神者から顔を上げると燭台切が困ったような顔で笑っていた。
「……政府の役員から貰ったみたいだよ、あれ」
燭台切にしては珍しく、忌々しく表情を歪めて吐き捨てた。
「嗜好品にゃ詳しくねーが、少なくともあいつには合わねーな」 「君もそう思う? まったく我慢ならないよ、彼女もこだわりが無いのかそのままつけちゃってるし」
燭台切は、審神者が合わない香水をわざわざ付けていることが気に入らないようだ。そうでなくとも同田貫にとっては、他所の男に贈られた香水を纏っているということが不満だ。
「止めさせねーのか」 「建前が無いと無理だと思うよ。贈られたものをつけてなかったら、角が立つかもしれないって断られたから」
だから、と燭台切がこちらに向き直る。
「同田貫くんが代わりを贈ってあげてよ」 「あ? なんで俺が」
どう考えても、香水何てものを選ぶのに適任なのは、燭台切のように見目に気を使う刀だろう。
「君とあの子だったら趣味も近そうだし、君に贈られた方が香水を変える気になると思うよ。どうせ明日は遠征明けの休暇だよね? いいお店知ってるから行ってきなよ」
……場違いにも程がある。 女性用香水売り場に佇む同田貫は居心地の悪さに顔をしかめていた。心なしか周囲の客が避けて歩いていくようだ。さっさと選んでしまいたくて片っ端からサンプルを嗅いでいく。しかし、ただでさえ人工的な甘い香りのただよう香水売り場で、慣れない香水の香りを嗅ぎ続ければ気分が悪くなっていく。 頭がくらくらし始めた頃、販売員が声を掛けてきた。
「お客様、彼女さんへの贈り物でしょうか?」 「……いや、違う」
販売員が少しばかり面食らった顔をしたのを見て、愚策だった、と思う。適当に肯定しておけばよかった。販売員の探るような視線に、余計に居心地が悪くなる。
「……主が似合わない香水つけてっから、代わりが要るんだが、どれも違う」
販売員は「あるじ……?」と首を傾げながらも、知り合いの女性に合う香水を探している、と解釈した。
「女性への贈り物でしたら、こちらが一番人気です〜。万人受けするのでつけやすいと思いますよ」
さっさと決めて店を出たかったので、これでいいかと思いながらサンプルを嗅ぐ。しかし、本丸で匂った審神者の香水とまるっきり同じ香りだった。冗談じゃない。 もっと自然で素朴な匂いは無いかと販売員に問う。
「こちらのコーナーの香水は爽やかなものを厳選してありますよ。いかがでしょう?」
指し示された辺りのサンプルを一通り嗅いで、その中から一つ購入した。
部隊を迎え入れた後、自室で一息つく。 そろそろお風呂に行こうかと考えていた頃、同田貫が部屋を訪ねてきた。
「主、ちょっといいか」 「ええ、どうぞ」
わざわざ障子越しに声を掛けてから入ってくる。以前は無遠慮に入り込んできたものだが、前田達の新人教育の賜物だろう。
「ん」
差し出されたのは飾りたてられた、手のひらほどの小さな箱。 可愛らしくラッピングされた箱と、それを持つ無骨な同田貫を見比べてしまう。
「これは……?」 「あんたはこっちをつけてろ」
包みを開けると、水色に透き通った小瓶。……香水だ。 ああなるほど、合点がいく。昨日、燭台切と同田貫が別室で話していたのはこれのことだったのだ。その前には燭台切から苦言を呈されていた。 同田貫が普段つるまない燭台切と結託するほど、今の香水が気に入らないのだろうか。何故だか意地を張ってしまいたくなる。
「……私がどの香水をつけるかなんて、私の勝手でしょう。あなた達に決められる筋合いはありません」
どうしてこんな言い方しかできないのだろう。仮面の下に感情を隠すことが癖になってしまった審神者は唇を小さく噛む。 執務机に向き直り、同田貫に背を向ける。
「……なあ」
香水の香りを確かめようとすらしない審神者に、同田貫の声に苛立ちが滲む。 審神者の後ろから左手を机につき、仮面に隠れた横顔を睨み付けて言い放った。
「その香水の、お役人ってのは俺達よりもあんたのことを知ってんのか」 ――俺の方があんたのことは知ってる。
「あんたにはその香水は合わねえよ」 ――こっちの香水をつけてた方が魅力的だ。
「安心しな、こっちは燭台切のお墨付きだ」 ――何せ俺があんたのために選んだんだからな。
まるで副音声のように響く感情に、ひゅっと息をのむ。同時にじわじわと顔が熱くなり始めて、このままでは仮面でも隠せないほど赤くなってしまいそうだ。 こんな時ばかり目敏い同田貫は、仮面の縁に手をかける。
「部屋から、出て」
その手を握って阻止し、立ち上がる。 こんな顔を見られるわけにはいかない。叫びだしてしまいそうなほどの気恥ずかしさや嬉しさを仮面の下に押し込めて、やっとのことで言葉を紡いだ。
「湯編みに行くから。……今の匂いを流さないと、新しい香水はつけられないでしょう」
同田貫は悪戯に笑って、ひらりと手を振った。
「りょーかい」
仮面も取り払って湯船に浸かりながら、先程のことを考える。 ……まさか同田貫から香水を贈られることになるなんて。 香水売り場に佇む姿や、レジでプレゼント用のラッピングを待っている姿を想像してしまう。……らしくない! 落ち着かなかったろうなぁ、と小さく笑いが漏れる。 香水を買うなんて同田貫は思い付かないだろうから、きっと燭台切に唆されたのだろう。燭台切と同田貫、発展途上で刀の少ない本丸くらいでしか見られない組み合わせだ。……らしくない。
らしくない、らしくないと考えながら、それでもやっぱり、と思う。 選んできた香水は、淡い石鹸の香りだった。……これは、何だか同田貫らしいなあ。同田貫はお風呂を石鹸一個で済ませそうだから。 ……いや、私に似合うように選んだというのだから、この香りは私らしいのだろうか?
次の日。朝食の後の部隊編成時、同田貫が脇目も振らずにつかつかと近付いてきた。
「……同田貫? 今日の出陣は」
無かったはず、と言葉は続けられなかった。 相変わらずの仏頂面の同田貫は、審神者を抱き留めていた。後頭部と腰に手をまわして、固まった審神者の耳の辺りに顔を寄せる。 すん、と息を吸った。
「……ひ、」
それだけで、ぞくりと背が震えてしまう。
「や、なに、ちょっと……っ!?」
首の横、鎖骨、少しずつ嗅ぐ場所を下へと変えて。胸元へと同田貫の顔が埋められたときには、審神者の顔がかっと熱くなる。
「んや、やめ……っ」
身を捩って逃れようとするも両腕に捕まえられていて儘ならない。 鳩尾から腰の辺りまで下がる。
「……あァ、成る程な」
そこでようやく同田貫は止まってこちらを見上げ、笑った。
「良いもんだな。女を着飾りたくなるわけだ」
伸ばした手で仮面をめくり取られた。 真っ赤になった顔が晒される。
「………同田貫は、一週間馬当番!!戦無し!!今から反省部屋!! 前田! 青江! あと燭台切も! きっちり指導し直して頂戴!!」 「御意!」
即座に引き剥がされ、前田達にずるずると引きずられていく同田貫に背を向ける。しかし腰が抜けてしまったようで、その場にへたりこんでしまう。
「ほんっとに、らしくない……!」
こんな羞恥は仮面でも隠せそうにない。 戻る
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