回想エブリディ

今、ものすごく、ものすごく、後悔していることがある。


(…なんで唐突に飛び出してきちゃったかな!!)
(外出たことないのに!!!ばか!!自分の馬鹿!!)
(帰り道もわからなくなってるし!!)


人が行きかう通りの隅で、無計画に飛び出したことをたった今後悔している。首がない人間が歩いていたら、騒ぎになるんだろうなって思っていたのに、実際は自分がいないかのようにみんなは無視して歩いている。休日の昼だっていうのに、行き交う人は誰もこちらを見ない。いや、正直見られても困るんだけど。よくよく考えたら律のお姉さんも、自分のことが見えていなかった。あの人が特別見えていないだけかと思っていたらそうではなかったようだ。

それに、外に飛び出して初めてわかることがあった。

(物に触れないなんて、思わなかった…)

どうやら自分が物を触って動かしたりできるのは律の部屋のみのようだ。さっき転びそうになったけれど、目の前の人をそのまますり抜けて、地面に思いっきりぶつかった。ベンチやショーウインドーの縁は平気だったから、たぶん細かいルールがあるのかもしれないけれどそれを一つ一つ検証していく勇気と気力は正直ない。

(しかも、雨まで降ってくるし…)

ふんだり蹴ったり。とはまさにこのこと。物理法則には関与できないのに、しっかりと寒さだけは伝えてくれる。なんだか、ひどく惨めだ。風邪は…たぶん引くことないんだろうなとは思う。そもそも生きているのかどうか、自分でもあんまりわかっていないんだから。
泣きたい気分だ。涙腺もないけど。
小さくうずくまれば、何とかなるかな。と思って、膝を抱えてみる。
どうにもこうにも、いつだって不安でしょうがない。
***

長い、とても長い夢を見続けている、気がした。
曖昧な境界は自己の定義と似ていて、(じぶん)という言葉が溶けていく。
自分は、誰だ?いったい何者だ? 答えを出すべき中枢部をぽっかりと無くしてしまっているからか、その答えは堂々巡りのまま止まらずに永遠の命題として続いていく。動く必要がなく、また動かない必要もなく、最低限のエネルギーだけで動くためにただ片隅で息をしている。否、息も不要。自分にはそのための器官がないのだから。
ただ、あるはずのない器官が、まるで存在するかのように見せる白昼夢。いつの日か思考の終わりが来れば、きっと消えていくだけの残留物。ああ、そうだ。すべてはそこにあるのだ。

がちゃり、と鍵が回る音がした。
そして、ドタバタと走り回る音。二人の足音。

「広そうな良い部屋じゃん!律!いいね!ここ最高!」
「なんか、姉ちゃんが住むことみたいになってるけど一人暮らしするの、俺だから」
「私だって、たぶん入り浸ることになるから…さ」
「んなこと決め顔で言われても困る」
「それな」


ケラケラと軽快に会話する男女。それをただ見つめても、まるで気づく気配がない。異形の存在が近くで息をひそめていても、知らないように見えていない。であれば、今まで通り、そのまま思考するだけの何かであり続ければいい。
明るい女が自分の前を踊りゆく。そして、触れられない手が自分を掠ろうとして。

「姉ちゃん、手!」

男が、確かに自分に当たりそうな女の手を止めた。
そして、確かに自分を見た。黒い双眸で確かに。
黒く、透き通るような瞳で。自分を。


***

は、と我に返る。
休憩するベンチに腰掛けてみたけれど、誰一人、自分を見る人がいない。周りを見渡しても、誰一人。犬が通り過ぎる。猫がそっぽ向く。色取り取りの傘が、開いている。その下にいる誰もが自分を見ない。

(……)

寒い。冷たい。けれど、それを訴えても、伝わる人はいない。

(……律も、見えなかったらどうしよう)

もしも、あの部屋だけが。誰かと関わることができる唯一の奇跡の場所だったら。あそこから飛び出してしまったことで、もう戻れなくなったら。たぶん、自分は律に見られる前の泡沫の縁には、もう戻れない。

(……独り、は嫌だな)

回想エブリディ



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