34.訣別


「ようやく宮城に辿り着きましたな。
李カクは確実に、確実に追い詰めねば。
ここは挟み撃ちと参りましょう」


李カクは宮城に軍勢を集め、最後の抵抗を試みていた。
たとえ城内がどれだけ荒らされようと、帝さえ守りきれば再起の目はある。
そう考える彼の覚悟を感じさせるものでもあったが、彼はそもそも呂布軍の力を見誤っていたのだ。

彼は元々、連合軍の力を頼めば、呂布を宮城に近づけさせることなど無いだろうと高を括っていた。
だから帝を城外に逃がすことも考えず、故に気付いた時には勝敗の趨勢はすでに決していて、長安の全ての城門は呂布の手の者に押さえられ、帝を城外に逃がすこともかなわなくなっていたのだ。


李カクは奥歯を噛んだ。
まだ官軍は残っているが、呂布軍の士気は今や頂点に達し、兵も精強揃いだ。
方や官軍は、並み居る群雄たちが敗れ呂布に城内を蹂躙されたことですっかり士気を落とし、焦りと恐怖と諦めが軍中に蔓延する有様だった。

どう考えても、劣勢なのは明らかだった。

李カクが軍師である賈クをどやしつければ、彼は伏兵部隊を配し「死ぬ気で奴らを止めてくれ」などと飄々と命じていた。

李カクは思う。
賈文和。同じ涼州出身者ではあるが、どうも腹の底が知れない男だ。
この男はたとえ呂布が長安を制圧したとしても、どうにかして生き残るだろう。
世渡りに長けた男。李カクは舌打ちをして調度品を蹴飛ばした。


***********************


陳宮はまず宮城の東部を制圧し、その上で官軍を挟撃するらしかった。

対する官軍は、地の利を生かして伏兵で対抗していく。
だがもはや官軍に勝機はない。
呂布軍の猛攻に官軍の部隊は次々に投降し、とうとう残るは李カクの軍勢のみになった。

その李カクも、元の配下たちに居場所を漏らされ、とうとう彼は呂布の凶刃に晒されることとなる。

「長安を追われた奴らが、調子に乗りおって!
き、貴様、不敬だぞ! 俺に近づくな!
俺に逆らう者は、皆死んでしまうがいい!」

そんな李カクを、呂布は心底冷めた目で見下していた。
その冷たい視線には、哀れみすら浮かんでいた。

「やはり貴様らは、殺しておくべきだった……!
くそ……、くそ!!!!!」

「フン、」

呂布は鼻で嗤って方天戟を一閃させた。
戦場の有象無象を薙ぎ払う時と同じように。

そして、――――



貂蝉たちが見たのは、李カクを斬り伏せた呂布の背中だった。

「名だたる群雄は、全て、全て倒れた!
もはや立てる者などおりますまい。
これで天下は、天下は我らのものですぞ!!」

陳宮が感動に体を震わせながら、大仰に叫ぶ。

全てが終わった。
貂蝉もほっと胸を撫で下ろし、呂布に祝いの言葉を述べる。

だが。

「いや。まだやることが残っている」

呂布のその言葉を聞いた時、貂蝉は背筋がさっと冷たくなるのを感じた。

恐れていたことが、起ころうとしている。

「帝はどこにいる!」

「奉先様!」

貂蝉は何事かを口にして呂布を止めなければならないと思った。
しかし呂布は貂蝉に、行くぞ、と一言だけ告げて、帝の元へ向かってしまう。

貂蝉は、黙ってそれを追うことしか出来ないのだった。



「ひっ! りょ、呂布か」

帝は明らかに怯えていた。

官軍は全て破れあるいは呂布につき、帝は敗北したのだ。
呂布のようなすぐ刃を振るう英傑が相手でなくとも、時代に見捨てられた帝に待ち受けている結末がどんなものかは、幾度も繰り返された歴史が物語っている。

「ち、朕を殺すのか」

威光も権力も全てを失い、ただ独りの人間として腰を抜かしその場にへたり込む帝が、そこにはいた。

呂布は帝の問いには答えず、逆に問いかける。
――お前は何故乱世が起きたと思う、と。

帝は答えられなかった。
貂蝉たち呂布の手の者は、そのやり取りを固唾を呑んで見守っているしかなかった。

呂布は言った。
――お前たちが弱いからだ、と。

だから十常侍のような悪しき宦官たちや、董卓のような奴が出てくるのだと。
頂点に立つものは強くなければならない、と。

そして最後に、帝を見据えて、告げた。

「俺に帝の座をよこせ。お前はどこかへ失せろ」
と――――


一同はさらに息を呑んだ。

怯えた帝は、こくこくと何度も頷き、呂布の顔すら見てはいなかった。

貂蝉の胸に、安堵の念が広がっていく。

「奉先様……!」

戦えない奴など斬ってもつまらん、と呂布は口にした。
彼らしい理由だった。


貂蝉は一同のもとへ戻ってくる呂布の姿を見て、彼の決断に安堵してしまった自分の心をもう一度振り返っていた。

漢王朝に忠誠を誓っていた者として、本来は、帝を帝のまま保護し、今後も臣下として支えていくのが正しいのかもしれない。

けれども、呂布の言ったこともまた、正しいと思った。

呂布が帝を保護したところで、外側から見たらきっと、董卓や李カク・郭シとやっていることは変わらなくなってしまうだろう。

帝とは、権力の後ろ盾や御守りではない。
そのように道具のごとく扱う時点で、既に帝としての本来のあるべき姿からはかけ離れてしまっているのだ。

そして、もはや帝が、そのような歪な形でしか帝の体を成せないというのなら。

やはり、潮時なのだろう。
呂布の言う通り、名実ともに全てを引き受け頂点に立つ力と気概を持つ者だけが、帝たりえるのだ。


貂蝉は、哀れな帝を少しだけ振り返った。

そして、たったいま帝という役割から解き放たれたばかりのまだ少年と言っても差し支えない一人の人間に、どうか安らかな日々が訪れますように、と願った。

それは勝者の身勝手な傲慢なのかもしれない。
しかし貂蝉はそう願わずにはいられなかった。

乱世においては、誰もが犠牲者なのだ。

だから、ここからは、今からは。

そんな悲しい時代と訣別し、人々が安心して暮らせる世界を作っていく必要がある。

それが、全てを奪い天下を掴んだ人間たちの義務であると、貂蝉は自分に言い聞かせたのだった――――





こうして、呂布の手のもと、乱世は終わりを告げた。

呂布は李カクと郭シを討ち、長安を制圧し、帝の座についた。
呂布を討たんと結集した群雄たちはことごとく敗れ、あるいは戦場に散り、あるいは生き残った者たちを連れ長安からひっそりと引き上げて行った。


天下の頂に立っていたはずの帝が弱かったからこそ、乱世が訪れた。
もし帝が何者にも屈せぬほど強かったならば、宦官どもや董卓のような下らない連中がのさばることもなかったのだろう――

それは呂布の言い分であると同時に、単純な力の論理だった。

呂布が最強である限り、二度とあのような横暴を許しはしない。起こさせない。
彼は力の頂点に君臨する覇者として、新たなる帝となったのだ。
それは、今までの形式と慣習に囚われているばかりの皇帝とは、明らかに違うものだった。

勿論それは、輝かしい未来ばかりを想起させるものではないのかもしれない。
歴史が常にそうであるように、人の因果は、栄枯盛衰、盛者必衰という側面から逃れられはしない。

たとえ遠い未来でなくたって、近い未来に起こることさえ、予め知ることは出来ないのだ。
もしかしたら、勝利に浮かれる今からでは想像もつかない困難が、彼らの前に立ちはだかることだってあるのかもしれない。

だが。

それを含めての天下であり、人の世なのである。
これから歴史を創っていく者たちの果てなき旅路は、今、始まったばかりなのだ。

こうして、新しい時代の糸は。
今、かつて鬼神と呼ばれた男の元から、紡がれていくのである――



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