32.女将軍


外城壁上での激闘は、英瑠の勝利に終わった。

正確には、英瑠が敵将張コウとの死闘を繰り広げている間に下の高順ら衝車部隊が外城壁の正門を突破し、また、孫策軍を破り別の進軍路から突撃してきた呂布軍本隊が外城内になだれ込んだため、張コウら袁紹軍は押される形となり後退する羽目になったのだった。

外城門が突破されたことで、李カクらは焦りを覚えたらしい。
次に彼が打った手は、あろうことか、長安の街に火をかけ呂布軍の進軍を阻むという強引な方法だった。

李カクと郭シらが長安を占拠してからというもの、長安周辺の民は彼らの無節操な統治により随分苦しめられていた。
略奪や暴行が横行する世界。そして、弱肉強食がもたらした飢餓。
そんな中で、さらに街に火までかけるとは、李カクらはどれほど鬼畜なのだろう。

だが炎の洗礼を乗り越えて、呂布軍は突き進む。
目指すは李カクと郭シ、そしてこの惨事を黙って見つめることしか出来ないであろう帝の元だ。



そして呂布軍は、敵の攻撃に耐えようやく内城壁門を突破した。
そのまま宮城目指して街中を突き進む。

しかし彼らの前に、かつて交誼を結んだはずのとある男が立ちはだかった。
その後方で宮城を守るように、外郭を陣取っているのは郭シの部隊。
兵器を駆使し、何としても呂布を宮城へ近付けさせない腹積もりらしかった。


その男――劉備。
彼は前漢の帝の血を引いていると言われている。
そのため漢室に忠誠を誓っており、結果的に帝に弓引く形となった呂布を許せなかったのだろう。
ゆえに、今回の連合軍に加わったらしい。

「呂布殿……。過日の誼、忘れてくれ。
劉玄徳、帝を守るため刃を振るわん!」


ここで陳宮は迂回して呂布たちを本命である郭シの元へ先行させ、劉備の足止めは高順に任せた。
だが途上であの関羽、張飛が劉備の増援に向かっていることを知ると、残してきた高順が危険だとそちらに追加の軍勢を救援として向かわせるのだった。
彼の背後には呂玲綺が居たはずだ。
前に出ないと約束はしたはずだが、彼女の性格と力から言って、友軍が劣勢になったら黙って見ていられるはずが無い。

呂布が指名したのは張遼だった。
呂布は、玲綺から目を離すなと言って張遼の部隊を高順らの救援に向かわせた。

それを知った英瑠も、すかさず後を追おうと名乗りを上げる。
劉備三兄弟の軍勢に立ち向かうには、張遼の助勢だけでは不十分だと思ったからだ。

だがそんな彼女を、陳宮が押しとどめる。

「いけません、いけません英瑠殿!
あなたは呂布殿と共にこの先へ進軍していただかなくては!」

英瑠は一瞬間を置き、そのまま口をつぐんで了解した。
陳宮の判断に不満があるわけでは無かった。しかし若干の不安が拭えない部分もあった。
そんな彼女の様子を見てか、呂布がいつもの口調で言い放つ。

「お前がさっさと郭シの首を取ればいい。
張遼たちを助けたければな」

呂布は至って本気だった。
そんな主の言葉に、英瑠のやる気にも俄然火がつく。
彼女は主と同じように自慢の方天戟を振り回すと、郭シの元を目指して先を急ぐのだった。

だがその先で、呂布軍は曹操軍の伏兵に襲われることとなる。
敵は際限なく数を増やしていた。呂布軍の長安侵攻に、もはやなりふり構っていられないといった様子だった。

呂布軍の背後には劉備軍が、前方には曹操軍の伏兵が。
郭シの軍も宮城の方から敵を援護している。
もたもたしていると挟撃の憂き目にあってしまう。
一刻も早くここを突破し本命である郭シを倒し、高順らの安全を確保してから宮城に突入しなくてはならない――


***********************


郭シはすっかり安堵していた。
随分肝を冷やした呂布軍の侵攻も、劉備軍や曹操軍のおかげで完全に封じられたと言って良いだろう。
彼は宮城の外郭部分に陣取りながら、高みの見物といった様子で城内の様子を眺めていた。

ゆえに、気が付かない。
足元にはすでに、火が回っているというのに。

「敵襲!!」

配下の兵が声をあげた時には、すでに遅かった。
まるで氾濫した大河のように、味方の陣の一部が決壊したちまち敵が迫ってくる。
まさか、そんなはずは。

「貴様ら、どこから侵入した!?
おのれ……、帝は渡さぬぞ! 覚悟しろ!」

郭シは大刀を構えた。
その目が、敵軍の中で光る方天戟を捉えた時、彼はここへやって来たのが例の鬼神だと思い思わず震え上がった。

だが、そうではなかった。
恐怖の象徴であるその得物を掲げる影は、やけに小さかった。
それは。
そうだ、先程思い出した、あの女――――



郭シは記憶を手繰る。
まだ、董卓が生きていた頃の話だ。

まだ年若い一人の女が、酔狂にも軍に加わったらしいと聞いた。
聞けばやたらと腕が立つという。化け物の血が混じっているという噂もあるらしい。
郭シはそれを鼻で嗤い、その時は別段気に止めるほどの事も無かった。

どこぞの将の令嬢か、愛人に戦の真似事をさせる主君あたりの気まぐれか。
もしくは、男と見間違うほどの厳つい風貌を持つ野蛮な女か。
……どうでも良いと思った。

しかし、ある日城内でそれらしき女が向こうから歩いてくるのを見かけた時、彼は目を見張った。

たしかに、女だった。
少女と言っても良い、若い女。

それも、何と形容すれば良いのか――ひどく、『普通』に見えるではないか。
決して、董卓が側に置いているような極上の色白美女ではない。
だが、農具を武器に持ち替えただけの小汚い庶人出の女という風でもない。

女は、普通に剣を佩き、普通に簡素な戦装束をまとって、兵らとともに城内を歩いていた。
その出で立ちには、どういうわけか違和感が無い。
たとえば、本来は荒事など知らぬ細腰の麗人が、主の酔狂で戦装束を着せられて剣を持たされているというような、形だけのものとは明らかに違っていた。

普通――それは、『自然』と言い換えても良い。
ひどく自然なのだ。ある程度の重量があるであろう剣を所持しながら歩く足運びも、周囲にそれとなく視線を巡らせる適度な緊張感も。
体格や性別のせいで明らかに目立っているはずなのに、軍人が行き交う光景の中に至って自然に溶け込んでいるというような、相反する印象。

すれ違う直前、彼女らは目上である郭シ達に軽く拱手をしてから通りすぎた。

その瞬間。

郭シは女の顔をまじまじと見た。
悪くない、と思った。
そして同時に、何かを感じ取った。

それは武人の勘と言ってもいい。
まるで森でうっかり獣に出くわしてしまった時のような、妙な威圧感と緊張感が、そのあどけない面持ちの下から僅かに漏れ出しているように感じたのだ。

彼女らが通りすぎたあと、郭シはそれを振り返り、一瞬だけ立ち止まった。その女に興味がわいた瞬間だった。

そして、この女が仮にも軍属であるというのなら、適当な理由をつけて自分の配下に据えてしまえば。
妻の目が届かない軍中にて、いくらでも好きにできる女を身近に置いておくというのはなかなか面白そうではないか、と郭シは下衆なことも考えてほくそ笑み舌なめずりをした。


彼は後からそれとなく探りを入れ、龍琉という女の名前を知った。
敵に回すべきではない大物の愛人や娘でないという事も確かめた。
だが彼女を手に入れようと行動に移す前に、あの女は呂布が目を付けているから彼を敵に回したくなければ手を出すのはやめた方が良い、と情報通の文官が囁いてきた。

たしかに彼女が居るのは、呂布の武に入れ込んでいると噂の張遼とかいう武将の部隊だ。
呂布が目を付けているとはどういうことなのか。呂布はあのような女が好みだとでも言うのか?

しかしそれを知る前に、慌ただしく出征が決まった。
それきり、女には会うことがなかった。
郭シの留守中に呂布が董卓を殺し、子飼いの一派を連れて長安から脱出して行ったからだ。女もそれに付いていったらしい。

後から考えてみれば、女と呂布の繋がりを示唆した文官も向こう側の人間だった。
適当な情報で牽制されただけかもしれない、と歯噛みした。




「貴様っ、やはり……!」

轟然と迫りくる敵の攻撃を、郭シは味方の兵を盾にして何とか躱し後退した。

郭シの記憶の中にある女。
その女が、今、方天戟を振り回し、目の前に迫ってきている。

郭シが声を上げれば、主を守ろうと必死になった周囲の兵が方天戟の遣い手へと殺到していく。

けれども、彼らの刃が届くより早く、宙を舞った肉厚の方天戟が全てを薙ぎ払った。
でたらめな力だった。
そもそも、何故あの体躯であれほどの重量の武器を振るえるのか。
人ではないという噂は案外本当なのかもしれない、と郭シは舌打ちをした。

虚をつかれた郭シの兵たちは、なだれ込んできた英瑠の兵たちに押され、刈り取られてじりじりと包囲されていく。
趨勢はすでに決していた。


「この、この化け物女め!!
よくもぬけぬけと!!」

とうとう追い詰められた郭シの咆哮が、方天戟を構える女と対峙した。
彼女は足を止め、やおら自分の兵たちにも進軍を停止させると、郭シの正面に立って彼を真っ直ぐに見据えた。
その眼差しからは何の感情も読み取れなかった。

辺りに残る郭シの兵は、敵の強さを目の当たりにして主を背後に守りつつもこれ以上どう攻めたら良いかわからないという様子で、武器構えたまま焦りと恐怖の色を浮かべている。
それでも、まだ逃げ出さないところが郭シの将としての統率力の高さを物語っていると言えた。

李カク・郭シは曲がりなりにもかつて呂布を長安から叩き出し、他にも反勢力や暗殺計画の首謀者らを武力で跳ね除け、帝を抱き込んだまま長安を支配してきた剛勇たちなのだ。
だがここに至っては、その威光ももはや風前の灯だ。


「貴方に伝言があります。我が軍師様から」

英瑠と呼ばれる女将軍ははっきりとした口調で言い放った。
そして、郭シの返答を待たずに続ける。

「『数を頼んだ諸侯の連合軍。これはこれは立派ですなあ。
ですが、ですが貴公も知らぬわけではありますまい。
かつて、反董卓で虎牢関に集結したはずの連合軍が、結果的にどのような形に終わったかを……
他の軍勢に任せてろくに連携を取ることもせず、高みの見物とは。
そんな輩が首魁とは、かつての盟主・袁紹がまとめた連合軍よりも惰弱な烏合の衆であることは明らかでしょうな。
ですから足元も見えなくなり、こうして、こうしてたやすく敵の侵入も許してしまわれる』
…………だそうです」

「っ!!!」

郭シはこめかみの血管が軋むのを自覚した。
しかし口を開く前に、目の前の女がさらに口を開いた。
今度は伝言ではない、彼女自身の言葉が郭シに牙を剥く。

「そうですね。かつての連合軍は結局董卓を討てなかった。
董卓を討ったのは他でもない、我らが殿です。
今の殿に対してそんな軍勢を差し向けたところで、今更何を恐れることがありましょうか。
……どうか、お覚悟を」


郭シは堪えきれなかった。
体中の血液が沸騰したような感覚に襲われ、呪いの言葉を吐いて放たれた矢の如く女に襲いかかった。

英瑠は部下を下がらせ、それを迎え撃つ。


二つの金属が、唸りをあげて激突した。


――――そして。


しんと静まり返った間の後に、天を衝くような歓声が上がる。

地に倒れ伏した主の体を見て、兵たちは戦意を失い膝を付いた。
首と分かたれた郭シの胴体と、遣い手を失って転がる大刀。


龍将軍と呼ばれる女は首級を掲げ、兵たちに号令を下した。

彼らは宮城に続く道を確保し、劉備軍と対峙していた自軍と合流する道筋をつけ、また曹操軍と刃を交えている主の方を窺うのだった。

血濡れの得物と、返り血を浴びた戦装束。
その姿は、武将としての畏れと称賛の色に染まり、一人の女人としての彼女をかき消していた。

だが彼女の顔は晴れやかだった。

その眼は、未来だけを見つめていた――


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