30.長安決戦


夜が開ける。

軍備を整えた呂布軍は、長安での決戦に臨むため出陣して行った。

長安には、董卓軍の残滓たる李カクと郭シが未だ帝を盾にして居座っている。
董卓を倒した呂布を長安から追い出した、元凶である彼ら。
それを倒さない限り、呂布の戦は終わらないのだ。

しかし。
では、その先にあるものとは何だろうか??

呂布が選ぶ、乱世における答えとは。
彼を支えつつ、帝の身を案じる貂蝉の想いは。
陳宮、張遼ら、呂布軍の将兵が見据える明日は。
龍将軍と呼ばれる、一人の半人半妖の行く先は――



一方、李カクと郭シらは、全軍を挙げて呂布軍への防衛網を展開した。

それだけではない。
かつて呂布に破れた曹操、孫策らも、雪辱を期して長安周辺に集結していた。

だが、もはや呂布軍が退くことは無い。
かつて命からがら長安から逃げおおせ、各地を放浪した哀れな暴鬼はもはや居ないのだ。

たとえどれだけの群雄が集まろうとも、それを倒し勝利するまで。
ただ、それだけだった。


かつて董卓を斬った呂布は、長安を追われ、各地を放浪した。
長安は言わば、呂布にとって乱世始まりの地と言っても過言ではない。
そして彼は、彼らは、再び長安へ帰ってきた。
あの時の反・董卓連合軍の面々が集結した光景は、さながらかつての虎牢関の様相を呈している。

呂布の乱世始まりの地は、戦いを経て、呂布の天下が始まる地となる――
呂布に従う者たちは、名だたる群雄達の軍勢を見据えながら、そんなことを口にしていた。

呂奉先は。

「あの時とは違う。俺が思うままに暴れられるのだからな」

――いつかの虎牢関での戦いを思い出し、そう満足げに述べる。

「くだらん奴らの天下などいらん。
つまらん騒ぎや逃げ戦など、うんざりだ!
俺は俺の好きなように生き、戦う。
そのために、天下を取るのだ」

――その言葉は、呂布が初めて語った天下というものに対する想いだった。

簡単な論理だ。つまらない事情で望まない戦を強いられるのならば、誰の事情にも左右されない立場になれば良い。
そんな立場の人間は、天下広しといえども、突き詰めればたった一人しか居ない。

即ち、帝という存在だ。
だが現在の『帝』に力は無い。董卓軍の残党、李カクと郭シに操られているだけだ。

では、帝とは一体何なのだろうか。

敵を見据えながら呂布が口にしたそんな疑問は、戦塵の中にかき消されていくのだった。





李カクは歯噛みしていた。

あれはまだ、董卓が生きていた頃の話だ。
董卓の傍にそっと立つ、とある美女の姿を何度か見かけたことがある。
貂蝉という名は後から知った。何でも、司徒王允の娘ということらしかった。

その女を目にした時、李カクは何となく、不安という程までは行かないが、軽い違和感を覚えた。
それは気のせいだったのかもしれない。
第一、会話はおろか、まじまじとその女の顔を凝視したこともないのだ。そんなことをすれば董卓の怒りを買うからだ。

李カクはその言いしれぬ違和感を、美女を思うまま傍に置く主君に対する軽い嫉妬のようなものだと自覚した。
そして董卓には勿論それを絶対に悟られてはいけないと、己を律した。

彼はかつて、董卓が廃した帝の后を我が物にしようとして、拒まれ逆上し彼女を殺害してしまったことがあったし、その出来事がますます、育ちの良い美女を欲しいままにする董卓への羨望に一役買っているのだろうと彼自身も自覚したからだ。
だからそのまま、董卓の傍に居る女のことは忘れることにしたのだった。

李カクは元々、王允を好ましく思っては居なかった。
董卓に従ってはいるが、涼州出身者たちの残酷な行いに内心眉をひそめているのは明らかだったからだ。
董卓の力の前では口を噤むことしか出来ないくせに、矜恃だけは失うまいと考えているような、堅物で傲慢な男。

さらに言うと、呂布の事もあまり良くは思っていなかった。
武勇に優れるというだけで董卓の養子の座に収まり、大きな顔をしているいけ好かない男。
鬼神ともて囃されるその男は、文字通り戦場で己の力を示すことだけが生き甲斐のような戦闘狂だった。

権力と暴力を駆使して牙を持たぬ民を嬲り、蹂躙し略奪し歓喜に酔いしれる。
そんな董卓軍の将兵たちを、あの鬼神は、まるで興味がないといったような、ごみでも見るような目で見下していたのだ。

そして彼らは、揃って董卓に反旗を翻した。

長安から離れた地でそれを知った李カクは、やはり己の勘は正しかったと舌打ちし、彼らへの憎悪を募らせた。

李カクは郭シらと軍をまとめ、長安を急襲した。
だが諸悪の根源である王允の身柄を確保することはかなわず、呂布は手勢を率いて長安から脱出して行った。

はじめはそれでも良いと思った。
帝を手中に収めれば怖いものなど無い、そう考えたからだ。
本拠を持たず放浪するだけの呂布に何が出来る。
わざわざ手を下さなくとも、かつて反董卓連合などという下らないまとまりを見せたもののすぐに瓦解し各地に逃げ帰った群雄たちに、早晩すり潰されて消えるだろうと高を括っていた。

だが呂布は乱世の塵と消え失せなかった。
曹操を破り、袁術と小覇王を退け、北の名族を撃破した。

そして。ついに、ここ長安にまで侵攻してきている。

あの時反董卓で団結した群雄たちは、帝の名の元、今度は反呂布で一致した。
その背に守るのは、かつて自分たちが何をおいても取り除きたかった董卓の、その残党だ。
帝を擁する以上、李カクと郭シは官軍なのだ。
帝の権威を認める者は、誰であろうとそれに逆らうことは出来ない。

その滑稽さに、李カクは一人、笑いを噛み殺していた。
そして同時に焦りを感じていた。苦々しさを覚えていた。

相手はあの呂布である。
養父を二度も斬り、長安を追われても立ち上がり、走り続けて今、帝の喉元に刃を突きつけようとしている鬼神である。

現に、呂布と野戦で刃を交えた軍勢は全て敗れ、長安へ逃げ帰って来た。
迫り来る呂布軍は、衝車を用い長安の鉄壁の防壁を打ち破らんと士気を高くしているらしい。

しかし、それを長安で迎え撃つのは数多の連合軍だ。
数で勝る連合軍ならばきっと、呂布の長安侵入を許さないだろう。
ならば何も問題がないはずだ。
そうであって欲しい。否、そうでなければいけない。
何故なら、この長安が、帝が呂布の手に落ちた時。
錦の御旗を失った李カクたちがどうなるかは、火を見るより明らかであるから――

李カクはそこまで考え、頭にこびりついた悪い想像を振り払うように首を振った。
彼は己が誰よりも信じる神に、何とか呂布を打ち払ってくれと祈った。
羊や牛を供物に捧げ、巫女に儀式を行なわせながら、李カクは自分を鼓舞したのだった。




「周瑜。あいつら本当にここに来るのか?
何か正面の方が騒がしいぜ。あっちに行った方が暴れられるんじゃねえのか?」

「待て孫策。正面は守りが堅い。いくら呂布軍でも正攻法では攻めにくいと判断し、必ず回り込んで来るはずだ。
たとえばここの水路ような手薄な箇所を……、と。
噂をすれば何とやらだ。やはり彼らはこちらに来たぞ!」

孫策軍は、長安の正面の守りを袁紹軍に任せ、じっと機会を窺っていた。

そんな彼らの元に、ようやく敵襲来の方がもたらされる。
果たしてそれは周瑜の読み通り、回り込んで城壁内に侵入しようとする呂布軍の姿だった。

「ふん。呉の奴らか、面白い。さあ、俺を楽しませろ!」

「進軍路を読むとは、孫呉もなかなか鋭い。されど、されど我らに敵うはずもなし!」




龍英瑠は走っていた。彼女は使命を帯びていた。

長安城内への侵入を阻む、強固な二重の城壁。
その外城壁の上から、雨のように降り注ぐ大量の矢。
袁紹軍が率いる軍勢はその弩砲部隊によって、呂布軍の侵攻を阻んでいた。

呂布軍が城門を突破する為には、まず外城壁の上に陣取る敵軍を排除しなくてはならない。
そのために、呂布軍の一部は回り込んで水路などの手薄な箇所を攻めた。
だがそこに待ち受けて居たのは孫呉の軍勢だった。

そこで陳宮は、さらに英瑠ら一部の部隊に、他の部隊が敵の目を引き付けている間に素早く城内に侵入し、外城壁の内側に出て敵を背後から襲うように命じた。
常人を遥かに凌駕する彼女の身体能力と突破力。
それを生かすために、精鋭を率いて行かせたのだ。

「て、敵……!? ぐあぁっ!!」

薄暗い水路の中を、英瑠はひたすら突き進んで行く。
立ちはだかる者は全て薙ぎ払った。彼女は利き手に方天戟を持ち、もう片方の手に剣を握っていた。
戟が振るえない狭い場所では、剣で敵を斬って進み続ける。

「っ、」

足音にかき消された、わずかに空を切る音――その物体の気配を本能で捉え、反射的に剣で叩き落す。

手ごたえから、それが前から飛んで来た一筋の矢である事に英瑠は気付いた。
避ける事はしなかった。何故なら、避けたら後ろに居る味方にそれが当たっていただろうからだ。

「ここは通さないわ」

英瑠が声を聞くと同時に、武装した敵の影が通路になだれ込んでくる。
後ろの仲間が反応するより早く地を蹴って、方天戟の一閃を浴びせ牽制した。

(今のは女の声?)

声の主を目で探すより先に、死角から飛びかかって来た殺気を戟で受け止める。

ゴォォン、という重苦しい金属音が薄暗い空間にこだました。

「ここがわしの死地よ! この黄公覆ある限り、先へは進ませんぞ!」

刃を交えると同時に律儀に名乗った男は、先ほどの声とは違う、歳を召した大男だった。
英瑠は自分より一回りも二回りも大きな男を、鍔迫り合いの末力づくで跳ね返した。

「ぬう……、この力、獣か! おなごのものとは思えん」

たたらを踏んだ男は、距離を取ってからぼやいた。
黄蓋と呼ばれる孫呉の将。舟のような妙な金属の塊を振り回すという奇妙な出で立ちだった。

「呂布軍が将、龍英瑠参る!」

英瑠は彼に応え、名乗ると同時に片手にあった剣をその場に捨てた。
方天戟を両手で構え直し、黄蓋に向かって突進する。
猶予は無い。彼女は一刻も早く水路を突破して城内に潜り込まなければならないのだ。

立ちはだかる老将は、何者にも屈せず、決して退かないという古強者のような風格を漂わせている。
黄蓋の獲物は分厚く、防御に優れていた。
たとえ弓矢を浴びせかけても、盾のように獲物を構えて防がれてしまうだろう。
しかし、地に足をつけた力比べなら英瑠は誰にも負けはしない。

決して広いとは言えない通路。その両側には柵があり、さらにその先は水が流れている。
道は入り組み、死角も多い。敵はこちらを待ち伏せていたのだろう、数を揃えて通路を塞ぎ立ちはだかっている。
背後の精鋭たちも応戦する。たちまち敵味方入り乱れる混戦模様となった。

だがそんな中でも、英瑠と黄蓋、武器を打ち合う二人の間には風が巻き起こり、独特の空間を作り出していた。
黄蓋の、重量に任せた怒涛の連続攻撃が激しく英瑠を襲う。
彼女はそれをいなし、躱して動き回りながら反撃に転じる隙を伺っていた。

その空隙めがけて、再び殺気が放たれる。
戦場の空気を切り裂いて獲物に向かう飛び道具。
当たれば人の肉など簡単に抉る、弓矢と呼ばれる武器。

英瑠に向かって放たれた矢は、今度は一つではなかった。
だが彼女はそれを黙殺した。

たたたた、という音を立てて、英瑠の背中に殺気の正体がたちまち突き刺さる。

「将軍!!」

味方の一人が声を上げた。だが敵兵も多く、おいそれと近づくことが出来ない。

英瑠の背には、まるで針山に刺した針のように、数本の矢が突き立っていた。

その足が、止まる。

彼女が動きを止めたのを見て、好機とばかりに黄蓋がその獲物を振りかぶった。
次の瞬間には、英瑠の体は無残に吹っ飛ばされていることだろう。
元々彼女の体重は軽い。踏ん張れない時に強い衝撃を受けたら、それは小さな体を丸ごと襲うだろう。

だが。

ガン、という音と共に宙を舞ったのは、女武将の身体ではなく、巨大な鉄の舟の方だった。

何が起こったかわからないというふうに、黄蓋は目を見開いた。
その目には、矢を打ち込まれて動きが止まったはずの女武将が、何故か絶妙の機会で反攻に転じたのが映ったはずだ。
さらには、黄蓋の武器を弾き飛ばしただけでは飽き足らない彼女は、彼にもう一撃を浴びせようと得物を構えていた。

互いだけに見える刹那が、何倍にも引き伸ばされたように感じられるその一瞬。

姿勢の崩れた黄蓋は、それでも迫り来る暴威に対抗しようとしてか、後ろ足に力を込めたようだった。
自慢の鉄舟は弧を描き、手の届かない場所へと弾き飛ばされてしまったのだ。
もはや彼の身を守るのは、己自身の肉体でしかない。

そして。

水を叩きつける激しい音が、水路にこだました。

先に落ちたのは鉄の舟だった。
英瑠によって通路の柵の外へ弾き飛ばされた鉄舟は、幸運にも裏向きで水に落ち、そのままひっくり返った舟のごとく水の上に浮かんでいた。

次いで落ちたのは、たった先程までは己の勝利を確信していたであろう老将だった。
彼が水に放り込まれた瞬間、その名を叫ぶ女の声が辺りに響いた。
はじめに英瑠達に向かって、ここは通さないと宣言した女と同じ声だった。

舟はやはり水に浮かべているのが自然だ。
英瑠はそんなことをちらりと考え、水に落ちた将の影が水面に上がって来ようと揺らめいたのを見ると、僅かに口角を上げたのだった。

そして前に向き直り、叫ぶ。

「進め!!」
「姫様、お下がり下さいここは私が!」

英瑠が兵達に先に進むよう促したのと被って、敵の方から将らしき男の声が聞こえた。


――弓腰姫、と言ったか。
たしか孫呉の姫様はそんな風に呼ばれていたはずだ。
自ら武器を手にし、戦場に立つ孫家の娘。
その顔を未だ英瑠は見たことがない。

そして、初めて顔を合わせた瞬間に、その邂逅は最初で最後となるのだろう。


英瑠は突き進んだ。
後ろの精鋭たちも着いてきている。精鋭たちは孫呉の手勢を圧倒し、先頭を行く人ならざる女将軍に導かれていた。

英瑠の視界に敵の得物が割り込んで来る。ほとんど反射的にそれを薙ぎ払った。

短い戟のような武器だった。
珍妙な頭髪をした将らしき男がよろめく姿を横目でやり過ごし、正面に視線を戻す。

直後に、斬撃。

目の前に迫り来た横薙ぎの刃を、傍に居た自軍の兵を突き飛ばして救ってから、自身も地を蹴って躱す。

まるで竹を根元から切断するために差し出された鋸のような、薄い刃。

しかしその形は円形だった。躱さなければ脚が断ち切られていた。

円い刃。圏というのだとどこかで聞いた。
二つの圏は低空を舞い、持ち主の元へ素早く引き戻されていく。

その先に圏の使い手がいるのだろう。
恐らく、ここにいる誰よりも位の高い『姫様』が。

だが英瑠はその大振りな隙を見逃さなかった。

交差した二つの圏が姫様の手元に戻される瞬間、彼女は獣の腕力を以て方天戟を床に突き立てた。
まるで輪投げの的である杭のように、二つの圏をその場に固定するためだけに。

輪の中へと、方天戟を撃ち込んだのだ。

ぎん、という音が鳴って圏がその場に縫い付けられる。

孫尚香は明らかに驚いていた。
杭に引っかかった輪投げの輪のように、己の武器が方天戟によって無力化されてしまったからだ。

刃を持って鋭く迫り来る圏二つを、それが交差した瞬間に同時につなぎ止めるなど、常人には出来ようも無いだろう。
飛んでいる蝿を箸で捕まえるような、出鱈目な動体視力と精緻な筋力。

けれども、孫尚香もただの常人では無かった。
彼女は自分の得物に何をされたのか頭で理解する前に、潔く得物を諦めて後ろに跳びすさったのだ。

素早く距離を取り、腰に着けた弓に手を伸ばそうとする彼女。
がらがらんと音を立て、縫い付けられた圏がその場に落ちるよりも早く。

が、――

英瑠は突き立てた方天戟を握ったまま、その場でぐるりと回るように体を一回転させ、勢いを着けてから手を離し、足から孫尚香に飛び掛った。

「っ!」

弓というものはどうしたって、矢をつがえる際に隙が出来る。

矢を引き絞る瞬間に、最後に彼女が見たのはきっと、自分に向かって足を揃えて跳んでくる女武将の姿だっただろう。

尚香はそのまま、英瑠の飛び蹴りを胴に食らい、背後に吹っ飛んだ。

「そんなの、でたらめ、よ」

彼女は気を失う瞬間、そんなことを口にしていた。

敵の女武将が全身を使って飛び蹴りを放った瞬間、彼女には見えたのだろう。
外套越しに背中に突き立ったままの矢。
風で裾が翻ったその布の下にある、秘密を――


将たちを撃破された敵兵たちは、明らかに動揺し足並みを乱した。
英瑠は足を止めると、精鋭たちの一部に指示を出し、それらを潰走させた。

英瑠の背後に居た精鋭の一人が、たった今彼女が手放した方天戟を床から引き抜いて彼女に手渡す。
別の一人は、だいぶ前に彼女が捨てた一振りの剣を拾っていたらしく彼女に差し出した。
そしてもう一人は、彼女の背中に生えている矢を抜いてあげようとした。

だが、最後の兵の手だけを彼女はやんわりと拒み、言う。
せっかくだから、このままにしておきましょう、と――――



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