27.家族


英瑠と張遼が、思いの丈を破裂させ、互いの熱に身を委ねあってから。

彼らは、誰に関係を喧伝するわけでもなく、それぞれの生活に帰っていった。

責任は取ると口にした張遼を英瑠はやんわりと遮り、張遼はそれが彼女の本気の拒絶ではなく、決戦を控えた武人・龍英瑠としての戒め――
つまり、想い人と添い遂げるという終着点に辿りついてしまうことによる、気の緩みを危惧するというような――
心持ちから来たものだと理解したようだった。

確かに、それも一理あるのだろう。
だが、武人としての戒めだけが、英瑠が張遼との将来を曖昧に保留した理由ではなかった。



話は変わる。
英瑠の弟は、ほどなくして荷物をまとめると、英瑠と共に住んでいた邸宅から引っ越して行った。
そしてほぼ同時期に故郷から母と下弟が荷物を抱えてやってきて、そちらに移り住んだ。

英瑠にとっては継母と異母下弟に当たる彼らへ挨拶をした英瑠は、継母への長年の不孝を詫びた。
彼らは決して手放しの暖かい反応をしたわけではなかったが、英瑠がきちんと武で身を立てていたためか、特に冷酷な反応もしなかった。

それもそうだろう。
彼らの新居は、呂布軍本拠の城の中にある。
さらに、英瑠は今やその呂布配下の将なのである。
加えて、母が跡取りとして頼る英瑠の弟は、呂布軍の軍師である陳宮の愛弟子。
つまり今や、英瑠と弟は共に呂布に仕える身なのだ。
内心はどうあれ、そんな場所で表立って英瑠に冷たく当たれるわけがない。

下弟も駆け出しとはいえ、今や役人の身。
兄が妻帯すれば、いずれ弟も妻を娶るだろう。
何より継母の実家の財がある。そうして彼らは、特に不自由することもなくこれからも暮らして行くのだろう。

――だがそこに、英瑠の居場所は無い。

普通、夫に嫁ぐ前の娘は皆、実家で暮らすものだ。
実家がなければ親戚の家に身を寄せる。
離縁やら死別やらで夫と別れてしまったら、嫁ぎ先に残るか実家に帰る。それが当たり前だった。

英瑠は言わば異端者だった。
父を亡くした半人半妖の彼女には、本当の意味で帰るべき家というものがない。

心を寄せ、身体を重ねた相手は居る。
だが将同士、背負っているものの大きさを考えれば、夫婦になれる可能性など低いだろうと、英瑠はどこか冷静に考えていた。



武人としての気が緩むから、今はこれ以上踏み入った関係を望まない――それが、責任は取ると言った彼を遮った理由の一つだとしたら。

では二つ目の理由は。
他でもない、自らの出自のことだ。

情熱をぶつけ合うだけの刹那的な逢瀬ならともかく、半人半妖の自分が、由緒正しき豪族の一族である彼の家に嫁ぐわけにはいかないのだ。
たとえ妾のままだったとしても、彼の親族が英瑠の秘密を知ったら良い顔はしないだろう。

だからこれ以上は望まない。
思いは通じた。沢山優しい言葉を貰い、楽しい時を過ごし、言葉に出来ぬ程の熱に溺れた。
彼は事が終わったあと、そなたの身体はほとんど人間と変わらぬ、と口にしていた。

英瑠はそれを聞いて、心底安堵した。
これ以上の幸せが何処にあろうか。
もはや、失うものなど何も無い。

――英瑠は心からそう思ったのだ。



華北の雄・袁紹を倒した今、呂布が睨むのは、かつて苦汁を嘗めさせられた長安である。
彼は暴虐の化身・董卓を討ったにも関わらず、長安から追い出された。
言ってみれば、呂布の乱世はあそこから始まったようなものだ。

貂蝉に協力して董卓を討った英瑠は、夢中で呂布に着いてきた。
一時は本気で刃を交えもした張遼とは、晴れて想い合う仲となった。

決戦の日は近い。恐らくこれが、乱世における呂布軍の最後の戦いになるだろう。

たとえ最期は広大な大地の小さな塵芥の一つとして消え行く可能性があろうとも、呂布が掴む天下の先を見たい。
この乱世における、未だ見ぬ至高の武という名の刃を、追い続けたい。

そう思ったからこそ、ここまで走ってきた。
様々なものに背いてでも、呂布が奉じる最強の武に仕えてきた。

ならば、最後まで走り続けなければならない。
たとえその先、主や自軍や天下ではなく、龍英瑠という一人の女の行き先が、まだ定まっていなかったとしても。

この獣じみた力が必要とされている限り、振るう。
武の高みを、追い続ける。

――英瑠はそんなことを思いながら、胸に闘志を漲らせ、己の内にある刃をひたすら研ぎ澄ましていくのだった。


そんな彼女の目に映るのは、とある男女の婚礼の儀だった。
弟と、その妻になる女性のものであるそれを、英瑠はただ笑顔で見守り続ける。

英瑠は、役人の地位を捨て危ない橋を渡ってまでも自分に着いてきてくれた弟が、永久に幸福であるようにと、心から願ったのだった。




長安攻略に向けて、呂布軍は軍備増強に勤しんでいた。
勿論英瑠や張遼も例外ではない。

そんなある日。
英瑠は、執務のために政庁内を歩き回っていた。
武に関することならお手のものである彼女も、机の上の頭脳労働となると些か分が悪い。

それでも、机に座って書簡と向き合うなり、
「ええい! 俺はこのような細々としたものは好かん!!
陳宮っ!! どこにいる!!」
と大声でがなりたてた主君こと呂布よりは、まだマシであると自負してはいるのだが……

提出すべき文書の参考にしようと書庫で目当ての書をようやく探し当てた彼女は、今度はその内容の難しさに頭を捻っていた。
専門用語が多過ぎて、さらにそれを解説する書がなければ読み解けない。
しかし悲しいのは、本当に難解なものだったら始めから専門の文官がやっているはずで、つまり今これが英瑠に振られているということは、即ちこのくらいなら平均的な武将でも出来ますよね、と無言で言われているに等しいのだ。

英瑠は役人の家に生まれはしたが、教えられたのは経書をはじめとする教養、歴史、文学といった士族女子の嗜みに関する内容が多く、文官向けの専門的な教育はおろか、立派な武官として出世できるようにと英才教育を施されて来た、いわゆる『育ちの良い』男性武将とはわけが違う。

あの張遼だって、前漢で活躍した将軍の子孫だと言うし、そんな豪族の家に生まれた彼はそれなりの教育を施されてきたに違いないのだ。

しかし、今更他人をあれこれ羨んだところでどうしようもない。
英瑠はため息をつくと、これ以上気を散らしてはいけないとしかめっ面で書と向き合うのだった。

そんな時だった。

「お前が龍琉か?」

ずい、と机に身を乗り出していきなり問うてきた声は、何と女性のものだった。
ぶしつけな口調に面食らった英瑠が顔を上げたまま固まってみれば、その声の主は机の向かいに陣取り真っ直ぐにこちらを見つめていて、その物怖じしない眼差しと堂々たる佇まいに、これはきっとどこかの高貴な令嬢だと英瑠はすぐに悟った。

短く整えられた髪。
少女と言って差し支えない年頃。
きりりと引き締まった唇と強い目力は誇らしげに自己を主張していて、彼女自身というよりも彼女の出自が彼女をそうさせたのだと物語っている。
自由に着崩した衣服は、その佇まいとは裏腹に、高価な生地であることが傍目からも伺えた。

「はい。私は龍琉。字を英瑠と申します」

「やはりか。そのような格好で自由に政庁内を闊歩している女など他には居ないからな。
……私は呂玲綺。鬼神と呼ばれるお前たちの主、呂奉先の娘だ」

そう言って笑った彼女の顔は、ちっとも呂布には似て居なかった。



「……うぅん。悪いが、私にもその内容は理解出来ないな」
「あっいえいえ、見ていただいただけで充分です。自分の力で何とか頑張りますので……」

英瑠は、今格闘している書簡の内容を呂玲綺に問われ、何の気なしに悪戦苦闘していることを伝えただけなのだが、彼女から返ってきたのは真面目な返答だった。
こうして見ると、父である呂布の取っ付きにくさとは雲泥の差だ。

だがその直後に彼女から発せられた、
「陳宮に聞いてみたらどうだ? 何でも知ってるぞ」
という悪気のない一言に、やはり親子かもしれないと英瑠は密かに納得したのだった。


そういえば、呂布には娘が居ると聞いたことがある。
年頃であるその娘を、嫁にもやらずあの鬼神が大事にしているらしいとの噂。
よもや、このようなさっぱりとした気風のあどけない少女だったとは。

「父上からお前のことは聞いている。化け物じみた強さらしいが……
一度私と手合わせをしてくれないか」

呂布の娘から唐突に出てきた『手合わせ』という単語に、英瑠はつい真顔で呂玲綺の顔を見つめてしまう。
その純粋な瞳はとても冗談など言っている風ではなく、至って真剣だった。

「私も父上の役に立ちたいと、日々思っているんだ。
だから張遼に武芸の稽古をつけてもらっているのだが……お前と張遼ではどちらが強い?」

矢継ぎ早に飛び出す新事実に、英瑠は頭の回転が追いつかず、最後に問われた質問だけをようやく掬い上げると、反射的に口を開いてしまう。

「それは文遠様でしょうね」

それを聞いた呂玲綺が、
「文遠? 随分親しげに呼ぶんだな」
と言った時に、英瑠はしまった、と己の失言をたちまち反省する羽目になったのだった。

呂玲綺は少し考えるそぶりを見せると、はっと思いついたようにとんでもないことを口にした。

「……お前は張遼の愛人なのか?」

英瑠は、今この場に自分と呂玲綺以外誰も居ないことを、心底感謝した。
この娘は危険すぎる。呂布とは別の意味で、だ。

いや、考えようによっては呂布と似ているかもしれない。
思ったままを口にする。
誰にも憚らずに。
それを可能にする圧倒的な力や立場があるからだ。

呂玲綺はさらに追い撃ちをかけてきた。

「別にこそこそする必要はないぞ。
父上の愛妾だって、我が物顔で戦場を闊歩しているしな。

……、そう、問題はそれだ!
何故妾は良くて、娘の私は戦場に出てはいけないんだ!!
たしかに私はまだ将として未熟。
だが戦場に出て、経験を積まなければいつまで経っても強くなれないだろう……!」

英瑠はもう、彼女の話を黙って聞いているしか、この場を乗り切る術はないと悟っていた。
そして、どこかズレている呂玲綺の怒りの焦点に、心なしか微笑ましさを覚えたのも事実だった。

「私だって父上の力になりたいのに……。
張遼は時折、お前の強さを私に話してくれる。お前の力を心底信頼しているんだな。
私もいつかそんなふうに、父上から認められたい……」

さて、と英瑠は考えた。
一時前までは黙って呂玲綺の話を聞いていようと思っていた彼女だったが、こう呂玲綺が父の思惑を知らず消沈しているのを見ると、切ない気持ちになるのも事実だ。

しかし、主の心情を、臣下である自分が勝手に推し量ってしまって良いものだろうか。
呂布にバレたら、文字通り吹っ飛ばされかねない。

考えたあげく、英瑠は「私の個人的な意見なのですが、」という伝家の宝刀を前置きした上で、己の感想を述べるのだった。

「恐らく殿は、玲綺様のことを誰よりも愛してらっしゃるのでしょう。
それは、玲綺様が殿の掛け替えのない御令嬢だからです。
乱世を共に歩んできた貂蝉様とは違い、玲綺様には、きっと一瞬だって危険な目には遭って欲しくないと思っているのでは……。

戦場は危険なもの。
この私とて、ついこの前、戦場で毒矢を受け生死の境を彷徨ったことがありました。
もとはと言えば私の思慮不足が原因なのですが……
それでも、文遠様にはかなり怒られてしまいましたよ。
大切な方をあのように悲しませてしまうことは、もう絶対にしたくはありません。
玲綺様も、もし万一傷つくようなことがあったら殿はこの上なく悲しむでしょう。

戦力が不足している有事ならともかく、今の状況では玲綺様がわざわざ戦場に出る必要はございません。
荒事は、どうか私たちにお任せください。
私たちはそのために殿に仕えているのですから」

このような問答が得意ではない英瑠は、しかし感情を込めて一語一語言葉を選びながら口にした。
その長ったらしい口上を、呂玲綺は真剣な眼差しで聞いていて、英瑠はだんだん申し訳ない気持ちになってきてしまうのだった。

「……つまり、父上は私が大切だから私を戦場に出したくないということか?」

英瑠の話を黙って聞いていた呂玲綺は、話が終わると一言そう口にした。

「はい。そうだと思います」

「ふむ……。やはり皆同じことを言うんだな。母上も、陳宮も、張遼も」

寂しげに吐き出した呂玲綺の言葉に、英瑠はああやはりそうか、と気がついた。
何のことはない、呂玲綺は、自分が戦わせてもらえない理由を本当は既にわかっているのだ。
だが、頭ではわかっていても、心は納得出来ない。

そういう寂しさなら、英瑠にも心当たりがあった。
継母や、最終的には折れた父なども、武芸などには傾倒せず淑やかに暮らせと常々口にしていたからだ。

彼らがそう言う理由はわかる。
一般的に見て、その方が本人にとっても親にとっても、無難で幸せなのだろうし、そうだと信じているからだ。

けれども、頭ではわかっていても、心ではやはり納得出来ない。
有る力を使って何が悪い。出来ることをやって何がいけない。
そういう気持ちが、幼い頃の英瑠には常にあった。

しかし、仕官して経験を積み、こうして主君の娘を臣下の立場から眺めてみると、どういうわけか当時の両親の気持ちが何となく分かるのだ。
彼らは娘に、人と違う道を行くことで余計な苦労を背負わせたくないと思ったに違いない。
勿論、世間体もあっただろうが。

呂玲綺は顎に手を当ててしばし神妙な面持ちで黙りこんでいたが、やはり納得出来ないというように再び口を開いた。

「だが、何故貂蝉やお前は良いのだ?
父上や張遼は何故許す? 父上は貂蝉なら戦場で傷ついても良いということか……?」

ずい、と身を乗り出して食い下がる呂玲綺に、英瑠は内心、とんでもない、貂蝉が戦場で傷つくことがあったら呂布がどうなるか想像するだけで恐ろしい、と肝を冷やした。
しかしこの呂玲綺にそれを言ったら、貂蝉と呂玲綺の関係上、良くないことになるかもしれない。
そう思った英瑠は、呂布がどれだけ貂蝉を大切に思っているかは黙っておくことにした。

英瑠は、呂玲綺の突っ込みに答えようとして、言って良いことと悪いことの取捨選択を否応無しに頭の中で迫られた形となっていた。
そのため、どうしても返答が遅れしどろもどろになってしまう。

「ええと……私ははじめから武の道を志していましたから……文遠様と出会ったのはその後で、順序が逆というか……」

「じゃあ貂蝉は。彼女は武人ではないだろう。綺麗な女だとは思うが、戦場には似合わないと思うが」

「ええと……」

英瑠は、貂蝉の出自についてどこまで呂玲綺に話をして良いものかすらわからなかった。
下手なことを言ってしまえば、全方向から恨みを買う羽目になる。
目の前の呂玲綺も勿論だが、主である呂布、そして何度も優しく手を差し伸べてくれた貂蝉を敵に回すような事はしたくない。
さらに、あの張遼がこの強気なお嬢さんの師匠だということから、何気ない情報が巡り巡って、最悪の場合彼すら気分を害す危険性があった。

まずい。

呂玲綺は、先程英瑠が気付いた通り、本当は自分がどうあがいても今は戦場に立つことが許されないという事を知っている。
知った上で、頭ではわかっているが心では飲み込めない『何故』を、必死に探している。

これはなかなかに難題だった。
少なくとも英瑠は、先程まで悪戦苦闘していた執務のことなどはすっかり頭から消えてしまっている有様だった。

ここで彼女がもう少し『武将』らしかったら、ならぬものはならぬのです! というような取り付く島もない強い反応が出来たのだろう。
だが彼女が『武将』らしいのは、あくまでも武に関することだけなのだ。

考えたあげく、英瑠が言えたのは、貂蝉の事情をぼかした上での抽象的な回答だった。

「苦楽を共にする人生の伴侶と、血を分けた我が子では、やはり違うのではないでしょうか。
伴侶というものは、それぞれの人生を生きてきた人間同士がようやく出会い、道を共にするもの。
別々に過ごした時間に得てきた互いの物は、後からは捨てられないし、変えることも容易ではないでしょう。
互いに受け入れられない部分があっても、ある程度はあってしかるべきとして、やたらと禁止せずに相手の意志を尊重して見守るものだと思います。

ですが子供は違うのではないでしょうか。
赤子の時からその子を見てきた分、親はそのように冷静に突き放すことは出来ないと思います。
子供の意に背いているとはわかっても、子が苦労するとわかっていたら身を呈してでも止めたいと思うのではないでしょうか」

口にしながら、これはなかなかに奥が深い問題だなと英瑠は思った。
愛妾と愛娘、どちらが大切か。どちらも大事に決まっている。
だが扱いは違う。呂布が、娘と同じくらい愛しているだろう貂蝉を何故戦場に出すのか、本当のところは良く分からない。

だがその光景は何となく想像出来る。
貂蝉は、呂布への想いと、漢の重臣である養父を通じた国への想い等、彼女なりに背負うものがあるからこそ戦場に立とうとするのだろう。
呂布は、内心それを危ないとは思っているだろうが、貂蝉の決意を尊重して戦場に出ることを許しているのではなかろうか。

そこには、互いの身を案じた上で互いの覚悟を尊重し合うという、大人同士の関係がある。

だがその関係を、父子の間で築くには、なかなか難しいものがあるように思う。
呂布のような、娘と腹を割ってじっくり対話をすることが苦手そうな手合いなら尚更だ。

「でも、力を蓄えた上で諦めず説得し続ければ、いつか認めてくれるかもしれませんね」

気付いた時には、そう口にしていた。
呂玲綺の目が見開かれる。
「本当か!?」と叫んだ彼女の顔は、瞬時に明るくなっていた。

正直これは危険な領域に入っている、と英瑠は自覚していた。
呂布が知ったら確実に怒るだろう。娘に余計なことを言うな、と。
だが、必死に足掻く呂玲綺をかつての自分と重ねてしまった英瑠は、どうしても言わずにはおれなかった。

「本当にやりたいことがあるなら、いっそう鍛錬に励み、強い決意を訴え続けて、認めてほしい人にどうにかして認めさせるしかないと思います」

自分はそうした、とは言わなかった。
英瑠の場合はまず半人半妖という前提があるし、今や天下に手が届くという鬼神の愛娘と、一介の地方役人の娘では比べるのも不敬すぎるからだ。

しかし呂玲綺にはその言葉だけで充分なようだった。
彼女は瞳を輝かせ、
「そうだな……! 諦めず頑張り続ければ、父上も私のことを認めてくれるかもしれないな!
よし、決めた。長安に出征するまでには絶対に何とかしてみせるぞ……!!」

と前向きに語るのだった。

英瑠はそんな彼女を見て、呂布にどやされるかもしれない危険はあれど、これで良かったのだと強く頷いた。
呂玲綺の笑顔には、そう思わせる力があった。

「礼を言う。お前の言葉で元気が出た。
強くなるために、近々必ず手合わせを頼むぞ。
それともう一つ、頼みがあるのだが……
もし良ければ、私の友になってくれないか。
私はお前ともっと話がしたい」

友という言葉に、英瑠の心には嬉しさと恐れ多さが同時に去来した。
だが、呂玲綺の清々しい顔を見ると、前者が優勢となって迷いを打ち消すのだった。

「こんな私で良ければ、どうか宜しくお願いします」

気付いた時には、そう答えていた。

「ああ、宜しく頼む!
……そういえば、お前は執務の途中だったな。長々と邪魔をして悪かった」
「いえ、玲綺様とお話出来て良かったです」

「私も楽しかった。鍛練については追って連絡する。
ああ、礼はきちんとするからな。待っていてくれ」
「いえ、礼など不要です」

「そう言うな。お前はきっと喜ぶと思うぞ!」

そう言って、呂玲綺は凛々しい笑顔を見せると、英瑠の元から素早く去っていった。

後に残されたのは、全く進んでいない文書と、温かな感情。

(……父と子か)

英瑠は、亡き父のことを思い出し、思わず滲んだ涙をそっと拭ったのだった――





余談。

「英瑠殿。机に向かって苦戦していると伺ったのだが」

「ぶっ、文遠様……! 何故ここに……!」

「呂玲綺殿に会われたそうだな。彼女は何やら嬉しそうに、そなたのことを話しておられた。
……それはさておき、私で良ければ執務に手を貸そう。見せてみると良い」

「えぇっ……!? でも、あの、文遠様のお手を煩わせるわけには……」

「遠慮めされるな。我らの仲であろう。
……ああ、ここはこのまとめ方で合っている。だがそちらは意味が違う。
…………、ふむ。出来ぬという割にはなかなか進んでいるように思える。よくぞ自力で頑張られたな」

「っ!? あ……の、文遠様、何故頭を……」

「うむ、つい撫でてしまった。すまぬ」

「いえ……。嬉しいのですが、内容が頭に入らなくなってしまいます……。
そんな……さりげなく……嬉しい…………」

「……、英瑠殿。そのような可愛いらしい顔をされるのは、出来れば夜だけにしてくれまいか。
気が散ってしまい内容に集中出来ぬ」

「……っ、………………!!」

「如何された。終わるまで付き合う故、しっかり筆を握られよ。筆の持ち方まで教えた方がよろしいか?
…………こうだ。こうやって握らねば、手元がぶれてしまう」

「は、はい……!! あぁでも、そんな……、手が……重なって……、」

「……、ふむ……。随分体温が高いようだが大事無いか?
あまり根を詰められるな。焦らず、一つずつ確実に進めて行けば良い。
して、この箇所だが…………」


――さっきの礼に、張遼を連れてきてやったぞ!
お前が喜ぶと思ってな!

そんな呂玲綺の声が、聞こえたような気がした。



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