23.湯浴み

※軽い百合表現注意



英瑠は涙を拭きながら、まずは己の身の上について語った。
何故一介の役人の娘でしかなかった自分が、ここまでの武を身に付けることが出来たのか。

涙は語るごとに薄れ、やがて話し終える頃には一旦止まっていた。
まだ本題に入る段ではないからこそだった。


「荒唐無稽な話ですよね……。半人半妖などと……」

「そうですね……。でもこれでようやく、英瑠様のお力の秘密がわかりました……。
この乱世で太志を抱く事に血は関係ありません。
それに己を貫き通せるその比類なき武が、同じ女としてはむしろ羨ましく感じます……」

貂蝉は、血は関係ないと語ったその言葉に、自らの身と王允との関係を重ね合わせていたようだった。

呂布軍は、己が求める戦場のために主である義父を二度も斬った呂布をはじめ、同じく元の主を見限った陳宮、そして自ら策謀の闇に染まったと告白する貂蝉など、脛に傷を持つ者も少なくはなかった。
だが彼らはその後ろ暗さをものともせず、結果的に実力でここまで大きくなった。

さらに、今や天下に手を伸ばすほど成長した呂布は、何よりも武を奉じている。
尚武主義とも言えるそれは、古来より武人よりも文人が尊ばれる風潮の中で、眉をひそめる者も多かっただろう。
だが今の呂布が認める『武』は、以前の粗暴な武勇だけではない。
もし彼が己の力だけを頼りにしていたならば、今頃呂布軍は乱世に翻弄され、この世から消えていただろう。


たとえ人の道に外れていると後ろ指を差された者でも、結果的に乱世に力を示せる人間であれば素性を問わないという実力主義。
そして、たとえ直接的な腕力ではなく知略を駆使してでも、結果的に戦を勝利に導く『武』ならば認める、という懐の深い尚武の精神。
その両方が、今の呂布軍にはあるのだ。

たとえば呂布と終始対立した曹操などは、才を重視し人を集めているという話があった。
そう考えれば今の呂布にも、曹操と似た部分があると言えるのかもしれない。



「ありがとうございます……。力の使い方に迷った時期もありましたが、今はもう大丈夫です。
この力は、殿が切り開く道のために使いたいと考えています……!
そこは揺らぎません。

っ……、でも……、しかし…………」

素性を語り終え、その異常な生まれですら貂蝉に肯定された形になった英瑠。

だが、一番語らなければならない事の本質に思いを巡らせると、英瑠の目には再び涙が滲んでくるのだった。
貂蝉はといえば、言い澱む英瑠を急かすこともなく、じっと英瑠が本題を話し出すのを待っていた。

「ひとたび戦場を離れれば、私はもう駄目です……!
貂蝉様や軍師様に力を貸していただいて自らの気持ちを伝える事が出来たのは良いのですが、そこからどうしたら良いかわからなくて……」

唐突に吐き出される弱音。
主題を口にしないその話は、知らない者が聞いたら何について話しているかわからなかっただろう。

しかし以前関わった貂蝉には、当然わかっていたようだった。
想い人と上手くいっていないとはっきり切り出さなくても、貂蝉は全てを察したように頷いていた。
それでもまだ不十分だと自覚した英瑠は、唇を噛んで続きを口にする。

「……怖いのです。自分の……力ではなく、単純にこの身が。
私のような者が、人間の殿方に触れて良いものかどうか」

英瑠は一語一語、震える唇でそう口にした。
未だ完全とは言えないその表現に、貂蝉は僅かに首を傾げて疑問を述べる。

「何故ですか……?
英瑠様は生まれはどうあれ、お心も外見も人間の女性にしか見えませんが……。
人に対して、力の加減が出来ないというお話でもない様子。
もし戦場で武器を振るう力をそのまま普段も発揮されたら、今頃きっとその茶器は粉々に砕けておりましょう」

そう言いながら貂蝉は英瑠が手にしたままだった上品な茶器に目を遣っていた。
やはり、もう少し直接的に述べなければ本題は理解して貰えないのだろう。
そう考えた英瑠はようやく心を決め、先日の見るも無惨な出来事を告白する事にしたのだった。


張遼と楽しく休日を過ごしたこと。
帰り際、馬に二人乗りで家まで送ってもらったこと。
彼の体温を間近で感じ、とても幸せな気持ちになったこと。
そして、熱に浮かされたまま自分からも手を伸ばそうとして――己の身の上を思い出し、恐怖し。
凍りつく心は理由を明確に説明することなど出来ようもなく、ただ一言。
怖い、と口にして。
完全な人間ではない己の体が、そしてその本質が明らかになってしまった時に生じる不幸が、怖いと。
そう思って、逃げるように彼の手を振り払ったのだと…………
英瑠は自らの血潮を絞り出すように、苦しげにそう貂蝉に告げたのだった。


英瑠の話を聞いていた貂蝉は、途中で、何かを察したように深く頷いていた。
そして英瑠が「怖い」と張遼に告げたくだりを聞くと、しばし固まった彼女は、はっとするように口に手を当て、ハラハラするような顔で英瑠を見るのだった。

「……っ、英瑠様……
本当に、張遼様に、『怖い』とおっしゃられたのですか」

「はい……。謝らなければならないと思っております……。
文遠様のお気持ちを私は踏みにじりました。
その武人にあるまじき怯懦、自分でも情けなく思っております……!」

「そうですか……」

貂蝉は何かを考えこむように胸に手を当て、やがて何かを決したように小さく頷くと、英瑠の手を取った。

貂蝉に手を握られた英瑠は、彼女を遮るように、そして自分に言い聞かせるように言葉を吐き出した。

「仕方ないのです……完全な人でないゆえ得られた力があると考えれば、それによって失われた幸せがあるのは仕方ないこと……
もう二度と、文遠様に触れられないとしても……
このままで良いのです、私は――」

「そのようなことをおっしゃってはいけません、英瑠様」

自暴自棄になる英瑠を、貂蝉はやや厳しい口調で諌める。
そして、黙りこむ英瑠を諭すように、驚くべきことを口にするのだった。

「英瑠様……!
是非、私と共に湯浴みを致しましょう……!!」

と――――


***********************


陳宮は、筍の皮を剥ぐように、丁寧に丁寧に核心に迫っていた。

はじめは陳宮に対して多くを語ることを拒否していた張遼だったが、焦れた陳宮が『実は以前の祭りの件をお膳立てしたのは自分である』と明らかにし、乗りかかった舟を見届ける義務があると告げると、張遼は観念したように先日の出来事をぽつりぽつり語り始めたのだった。

張遼は、つい己を抑えられなくなり馬上で英瑠に触れてしまったと告白した。
そうしたら、彼女に『怖い』と言われてしまったのだと。
欲望のままに手を伸ばした行為が悪かったのだと彼は言った。
謝らなければならないのはわかっているが、怖い思いをさせてしまったのならそれについては触れないておく方が良いのか、どうすれば良いのかわからなくなっている、と――

陳宮はそれを聞いて、これは意外なこともあるものだと思った。
あの張遼が、我を忘れて、女が引くほど強引に迫るなど――

……いや。本当にそうなのか。
彼の話には、どこか腑に落ちないところがある。
そもそも、あの方天戟を使う彼女は、たとえ張遼に迫られたとしても、怖いなどと拒絶するだろうか?

たとえば飢えた猛獣の前に何も知らない兎を放り込めば、兎は身の危険を感じて何としてでも逃げようとするだろう。
しかしあの半人半妖の彼女は兎ではない。むしろ猛獣側だ。
平素の心根こそ女子然としているが、それは雌の猛獣に対して『あれは雌だから』と言うのと同じだ。何の慰めにもならない。
雄と雌で惹かれ合うことはあれど、猛獣は猛獣を恐れたりはしない。当たり前の話だ。

では猛獣が恐れるものとは何だろうか?

猛獣よりもさらに大きな存在――巨象の体躯に虎の攻撃性、狼のように群れる性質を併せ持った獣なら可能性はあるかもしれない。しかし現実的ではない。

であるならば。
たとえば……猛獣が、勇んで食べた肉と一緒に、誤って噛み切れない骨を飲み込んでしまったとしたら。
己の意志に反して喉に刺さってしまったそれが、動くたびに痛みを発していたら。
猛獣は、動くこと自体を恐怖するようになるのではないか?

陳宮は、英瑠にとっての喉に刺さった骨が実際のところ何なのか、その本質はわからなかった。
しかし、張遼が捉えているそれとは違うものであるとはっきりと確信した。
この様子では、きっと彼女の方も、誤解に気付いていないのだろう。
気付いていたら、彼女のこと、すぐにでも飛んできて謝り倒すだろうからだ。

(――なんと厄介な)

陳宮は、未だ渋い表情で沈んだままの張遼にため息をつくと、『彼の言い分に乗ったまま』助言をしようと心を決めた。

「過ちが欲に逸ったことだとするならば、過ちに対して謝罪をすることは道理。
ここは彼女に謝罪を、謝罪をすべきでしょうな。
彼女もきっと、怖いと言ってしまったことを悔いているはず。
貴公の方からそれに触れなければ、彼女の立場では蒸し返すことも出来ず……永遠に溝は埋まりませんぞ。
もっとも……女など、女など他にも居るからへりくだる必要は無いとおっしゃるならば……、
この陳公台、もはや何も言いますまい」

「っ、英瑠殿はかけがえの無い存在だ!
黙って失うことは承服できぬ!」

「ならば……取る道は一つかと」

「っ……、」

張遼は瞼を閉じ、陳宮の言を噛み締めるように唸った。
それから彼は決意を秘めた表情で強く頷くと、陳宮に礼を述べ、馬を厩に戻し足早に去っていくのだった。

陳宮はやれやれといったふうに腕を広げ、それからもう一度ため息をつくのだった。


***********************


「貂蝉様、私、あの、」

「湯殿の準備は出来ております。
ささ、英瑠様、お召し物を……!」

「あっ、そんな……! 自分で脱げますので……!」

断りきれずに貂蝉と湯浴みをすることになった英瑠は、突然の展開に面食らっていた。
貂蝉が目配せすると使用人たちがやってきて英瑠の脱衣を手伝いはじめ、普段家事はともかく身の回りのことは自分で行なっている英瑠は、恥ずかしいやら気まずいやらで一刻も早くこの場所から逃げ出したい気持ちになっていた。

貂蝉宅の浴場は広く、豪奢な石で造られた立派なものであった。
広々とした浴槽には花びらが浮かび、良い香りが立ち込めている。
拝見したことはないが、もしかしたら皇帝が使う湯殿とはこのようなものなのかもしれない、
と英瑠はぼんやりと考えた。
一足先に足を踏み入れた英瑠は、やはり場違いだったと悟り後から来る貂蝉を振り返る。

「貂蝉様……! やはり、こんな豪華な湯殿を私が使うわけには――」

「お気になさらず。この邸宅は全て奉先様が用意してくださったもの。
私一人では広すぎますので……」

そう言って背後から浴場に入ってきた貂蝉の姿に、英瑠は息を呑み反射的に眼を逸らした。
入浴時だから当たり前なのだが、一糸纏わぬ貂蝉の姿は形容出来ないほど美しく、同性とはいえ直視することが出来ないほどまばゆいものだった。

「英瑠様、お背中をお流し致します……」

「っ! あ、そんな……お気遣いなく……!」

「では交互に流し合いましょう……!
ふふ、他の方と湯浴みをするのは久しぶりです……。楽しいですね……」

英瑠は、湯の温かさとは別に顔がどんどん火照っていくのを自覚していた。
先程まで落涙するほど悩んでいた事柄など、もはや頭から掻き消えていた。
浴室に立ち込める湯気と花の香りがゆるやかに脳内を侵食し、ささくれ立った英瑠の心を撫でつけていく。
自らの身体に向けて立てた牙から力が抜けていくような、そんな感覚。

貂蝉のしなやかで美しい指が英瑠の肩に触れ、お湯を含ませた柔らかい布が優しく背を撫でていく。

「綺麗な肌ですね」

貂蝉がゆったりとした声で口にする。
お世辞と受け取った英瑠が恐縮すれば、今度は「よろしければ前もお流し致しましょうか」
と言われ、英瑠は慌てて首をぶんぶんと横に振って遠慮するのだった。

「貂蝉様……、お綺麗でございます……!」

交代し貂蝉の背中を流した時、英瑠の口から漏れたのは素直な感嘆だった。
目も眩むような白さを湛える、滑らかな柔肌。
異性どころか、同性さえ虜にするその美しさに、英瑠はただため息を覚える。

「まぁ、ありがとうございます……。
でも、英瑠様もとても美しいお体をしていらっしゃいますよ」

褒められた貂蝉が、背中越しに英瑠を褒め返す。
再びお世辞を頂いたと感じた英瑠は、貂蝉の優しさに心を暖かくするのだった。
貂蝉は続ける。

「英瑠様のお体はやはり一見、人間と何ら変わりがないようですね。
もっとも……お話しを聞く限りでは、人ではなかったと言われるお母様も、人であるお父様と夫婦となり英瑠様を産んだのですから、少なくともそのお体は人間と変わりがなかったものと思われますが……」

沈黙。

英瑠の胸を、何か重大なものがちらりと掠めていった。

まるで、学び舎で学問を教える教師が、淡々と書を読み解きながら唐突に、『ここは試験に出ますよ』とさらりと口にした時のような。

しかし重要な部分をさらりと流して滔々と先に進んでしまう意地悪な教師と違い、今英瑠に重大なことを説いた貂蝉は、まるで英瑠がそこで立ち止まるのがわかっていたかのように、先に進まずに黙したままで居た。

貂蝉の配慮に甘え、英瑠は頭を巡らせ、たった今の彼女の言葉を反芻する。

そうだ。

何故気付かなかったのだろう。

他でもない、半人半妖どころか人ではないもの十割の実母は、人ではないにも関わらず、人である父と夫婦の契りを交わし、英瑠を産んだのではなかったか。

それは、中身や能力はどうあれ、人間の男性と夫婦として寄り添えるということだ。
子を成せたくらいだから、きっとその体も人間の女とほとんど同じだったのではないか。

――いや。しかし。

英瑠は、とある博識な文官から聞いた他愛もない話を思い出す。

「……しかし貂蝉様。
動物の話なのですが……なんでも、異なった種の間に生まれた子は、姿が父とも母とも違う、互いの面影を残しながらも何とも珍妙な姿をしているとか……。
私は幸い、普段の見た目は人と同じとおっしゃって頂けましたが、全て人と同じかどうかは……」

英瑠の言は、ともすれば非常に危うい意味を孕んでいたのだが、彼女は自身の言葉の危険性など自覚せずにただ記憶から逸話を引っ張り出してきて口にした。
その無防備な言葉に、背中を向けたままの貂蝉の眼が鋭く光ったことに、英瑠は気付かなかった。

「まぁ……! そのようなお話があるのですね……。
では、やはり、ここは私が確認して差し上げましょう……!」

「っ!! 貂蝉様!?」

ばっ、と振り向いた貂蝉に本能的に身の危険を覚えた英瑠は、咄嗟に自らの腕で体を抱き、貂蝉に見られまいと縮こまった。
しかし何か箍が外れたように眼を輝かせた貂蝉は、英瑠の肩を優しく撫で、微笑みながらその腕を解こうとするのだった。

「さぁ、恥ずかしがらずに……。女同士ではありませんか……!
英瑠様も、どうぞ私の体をご覧になってくださいませ……!
互いを比べれば、違った部分にも気付くことでしょう……。」

「っ貂蝉様……!! 恥ずかしいです……!
そんな……あっ、そんなところに触れては……っ、
っ、貂蝉様……っ! ああっ……!」


こうして貂蝉宅の浴場には、英瑠の艶やかな悲鳴が響き渡ったのだった。

やがて顔を真っ赤にした英瑠は湯浴みから上がるなりその場にへたり込んでしまい、龍英瑠と呼ばれる万夫不当の女将軍が湯浴みでのぼせて倒れた、という噂が使用人の口を通じて巷に広がっていくことになるのだが、それはまた別の話――


そして、やや強引な『女同士の湯浴み』に至るまでの一連の出来事。

英瑠の繊細な事情に貂蝉が踏み込むことになったのは、決して偶然などではなく、他でもないあの言葉足らずな飛将軍の一言によるものだった。
勿論彼は英瑠の苦悩など知るはずもなく、先の英瑠の様子を思い出し、将のくせに悩むなどくだらん、と前置きした上で、だが女なら憂い事の一つや二つもあるものか、と、貂蝉の前で独り言のように零しただけだった。

それを聞いた貂蝉は、瞬時にそれが英瑠のことであると悟った。
そして貂蝉は、女同士ならわかることもありましょう……と、暗に自分が行くと告げ、貂蝉の意に気付いた呂布がそれに甘えた形となったのだった。

そのようないきさつがあったなど、英瑠は当然知る由もない。

彼女がそれを知り、いたく恐縮するのはずっとずっと先の話だが、それはまた、別の話――



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