21.届かぬ指先


父は人間。母は人ならざるもの。
母の素性は詳しくはわからない。神仙か妖魔かはたまたそれ以外か。
母の真名は知らない。父はそれを知ったから母を失った。
母の力も知らない。娘にこれほどの剛力が伝わっているとなれば、やはり人間離れした力を持っていたのだろうか。

しかし英瑠は人間として育てられ、人間の心を持ち暮らしている。不老不死などではない。
身体能力は優れているが基本的には生物の域を出ないし、照れれば赤面するし菓子が気管に入って噎せることだってある。
仕官してから覚えた酒だって、沢山呑めばちゃんと酔うのだと知った。

しかし、どこまでが正常でどこからが異常か。
実のところ、英瑠も全て把握しているわけではない。
酒の件のように、その時になって初めて知ることだってあるのだ。
言ってみれば、しらみ潰しに近い。


英瑠が神妙な面持ちで素性を弟に告げたとき、弟は深いため息をついた。
弟に見限られたのかと思い身を固くする英瑠だったが、口を開いた弟の一言に、英瑠は心底安堵を覚えるのだった。

「今更ですか…………。ようやく言ってくださいましたね」

しかし英瑠の安堵をよそに、弟は些か冷めた様子で淡々とまくし立て始めるのだった。

「姉様のことだから大方、私が何も知らないと思っていたのでしょうが……。
人ではない云々という噂は故郷でも散々耳に入りました。
それでも、姉様が何も語らないのだからと私は何も訊きませんでした。
姉様が素性に悩み、気にしているのだと思いましたからね。
……それが、ですよ。
わかりますか? 私の気持ちが。
陳宮様の弟子になって、さも『あなたも知っていますよね』風に姉の素性の話を振られた時の私の気持ちが。

……はじめは、また根も葉も無い噂の話かと、そんな話に振り回される師に僅かばかり落胆しておりました。
が、話を聞けば、陳宮様は渦中の本人から直接話を聞いたとおっしゃるではありませんか!!
あの時は本当に、帰って姉様を問い詰めようと思いましたよ。
戦の前で立て込んでいたため言えませんでしたけどね。
……でもよくよく考えたら、姉様にも何かお考えがあってそうしたのだと思えてきまして。
だからこそ、今日まで自分からは何も訊かずに居たのです。

……以上です。何か申し開きはおありでしょうか」

まるで氾濫した大河のごとく長々と心情を述べる弟に、英瑠は気付けば床に頭をつけ平伏していた。
やめてください、と弟が姉を立たせたが、英瑠は心底弟に罪悪感を感じていたのだった。

「申し訳ありません…………
軍師様や文…、張将軍などには、必要があった為知り合ってすぐにお話ししたのですが……
貴方には……その、なかなか言えなくて…………

本当にごめんなさい……!
貴方は子供の頃から私に優しくしてくれていて、本当に私は救われていたのです。
大きくなってからも、私が仕官出来るように力を貸してくれて……
そんな貴方に、私の素性を打ち明けたら……
もしかしたら、嫌われるんじゃないかと……、そう思ったら、怖くなってしまいまして……。
貴方はそんな人ではないと頭ではわかっているのですが、やはり忌まわしい噂は本当だったのか、とため息をつかれるのことに怯えていたのです……
武人にあるまじき怯懦な振る舞いですよね……。
本当にごめんなさい」

「……わかればいいんです。私も言い過ぎました、申し訳ありません。

……姉様。姉様が怯える気持ちもわかります。
将として活躍すれば化け物だの邪道だの言われ、控えめにしていてもやはり女だ何だと陰口を叩かれる。
でも、そんな輩は無視すればいいんです。
少なくとも姉様は殿と軍師様に認められている。それで充分でしょう。
張遼様も居ますしね。
もしこれから、一人では怖いと思うことがあった時は……、その時は遠慮なく私に相談してください。
私はいつでも姉様の味方です。
もし同性でなければ言えない悩みなら、身近な女性の方に相談してください。
一人で抱え込むのは絶対にやめてください。お願いします」

弟は姉の目を見据えて真剣な口調でそう語った。
同性でなければ言えない悩み、というくだりに一瞬心臓が高鳴った英瑠だったが、努めて平静を装うのだった。





ある休日。

英瑠は町娘のような、庶人然とした格好で一人街に出た。
供の者もつけず、徒歩で。一応剣は携えているが、目立たぬように布で包み荷物のように背に背負っていた。

彼女は一人で過ごす自由な時間が好きだった。
勿論、気心の知れた者と鍛錬に勤しんだり、身分問わず城内の者と語り合ったり、酒宴に参加したり、自宅に帰って弟と過ごす時間もかけがえのない時間だった。
しかし一人で気ままに過ごす時間というものは、それらとはまた違った魅力があるのも確かだった。

英瑠は通りを巡り、民の生きた暮らしぶりを目にし、その活気に心を弾ませた。
庶人が参加している武芸大会に観客として顔を出し、誰が勝つかと予想を巡らし心を熱くしたかと思えば、商店に立ち寄って質素な髪飾りを購入し、無造作に結った髪に挿して笑顔を浮かべた。

やがて小腹が空いた彼女は、露店で饅頭が売られているのを目にしいつかの祭りを思い出すと、それを一つ購入して誰の目を気にすることなく頬張りながら街外れの緑地へ足を向けたのだった。

彼女は手製の弁当を持参していた。
実家にいた頃、女子の嗜みとして料理を教わったこともある英瑠であったが、軍に仕官し出世して多忙になってからは、料理はもっぱら使用人に任せきりになっていた。
たまの休日、ふとしたことから思い立ち、使用人に休暇を取らせ自ら調理場に立ってみたはいいが――弟は不在、とくに手料理を食べさせる人もおらず、ならばと適当に小箱に詰めて一人で手製の昼餉を楽しむことにしたのだった。

よく晴れた日、英瑠は木陰に陣取り腰を下ろすと弁当を広げ、片手でおかずを摘みながら同じく持参した書を広げた。
少し離れた日当たりの良いところでは、子供達が喚声を上げながら元気に走り回っている。
庶人の女子が一人で弁当を広げ書に目を通しているなど、本当の庶人から見たら奇異な光景に映ったことだろう。
しかし英瑠は気にしなかった。
白昼の元、人目に付くところなら物騒な輩に絡まれることもそうはないだろう。彼女はそんな風に考えていた。

この安らぎも、戦が始まるまでの話に過ぎない。
軍師陳宮は、長安で帝を奪還するまでは戦は終わらないと言い切っていた。
つまり、今後はこのような安らぎのひと時さえ、いつ持てるかわからないということだ。
無論戦になって出陣すればそんな暇は一切無い。
陳宮の弟子として忙しく動き回る弟とも、あれ以来落ち着いて会話をする事は無かった。


そんな英瑠の背後から、よく聞き慣れた声が掛けられる。

「英瑠殿」

「っ!」

振り向いた先に居たのは、英瑠が誰よりも心を寄せて止まない例の武人であった。

彼は軍中での鎧を脱ぎ、ごく普通の士人としての平服を纏い剣を携えていた。恐らくは馬に乗ってきたのだろう。
しかし英瑠は、彼の声にすぐ応える事はできなかった。
彼女は丁度、書に夢中になりながらやや多量のおかずをまとめて口に放り込んでしまったところだったからだ。

「んっ……! 、……」

英瑠は黙ったまま口をもぐもぐさせながら、思わぬ来訪者にどう対応しようと考えあぐねていた。
かつての賢人は、来客があれば口の中のものを吐き出してまでも客を迎えたという。しかしこの状況では、むしろその方が失礼に当たるのだろうか。

――というか、他の人間ならいざ知らず、この武人にだけはこれ以上恥ずかしいところを見せたくは無い。
初めて手合わせした時の、『顔に泥』事件。
先の祭りで賊を成敗した時の、『獣のような武を惜しみなく振るった』事件。
思い出すと、羞恥で胸が一杯になる。
英瑠は困惑した表情を浮かべながら口元を手で覆い、縋るような目で彼を見た。

彼――張文遠は、そんな英瑠の様子に思わず笑みを浮かべると、
「慌てず食べ終えてから話されよ。突然声をかけてすまぬ」と口にする。
英瑠はそんな張遼の言葉に恐縮しぶんぶんと首を振り、顔を背けて幾ばくか咀嚼を繰り返した後ようやく口の中の食物を飲み込んだのだった。

「っ、文遠様……! このような場所でお会いするなんて……! 今日はたしか……」

ようやく落ち着いた英瑠は記憶を手繰り寄せ、今日の張遼はとある作業の監督役だったはずではと思い出す。
しかし張遼は、「ああ。手違いがあり、作業に遅れが出ているようでな。先方の準備が整うまで午後はしばらく暇になってしまったのだ」
と答える。

なるほど、と納得する英瑠に、さらに彼は続けて、
「聞けば英瑠殿は一人で街に出かけられたとの事。
馬にも乗らず、庶人に扮しているとか……どうやら話は本当だったようだな」
と語り、英瑠の隣に腰を下ろした。

英瑠はその言葉に、そういえば万一のことを考えて、邸宅を出るときに顔を合わせた庭師には行き先を告げていたなと思い出した。
また、将の居住区から徒歩で出てくる英瑠に訝しげな目を向けてきた門番にも、こっそりと身分を告げ、弁当持参で街外れの緑地まで行く予定だと伝えたなとも。

「……、はしたなくて申し訳ありません……。
私は役人の家の生まれとはいえ、街で依頼をこなすことも多かったため……、街の飾らない元気な賑わいが好きなのです。
あ、勿論、洗練された場もそれはそれで趣があって好きなのですけれども……
……、失望されましたか……?」

隣に座った張遼に恐縮しながら、英瑠はおずおずと口にした。
彼女は食べかけの手製弁当がそのままになっていたことを思い出し、慌てて片付け始めるのだった。
だが張遼はいや、と反射的に英瑠の言葉尻を否定すると、彼女の手元に目を向けて口を開いた。

「それは……、屋敷の者に作らせたのか?」
「あ、いえ…… 久々に気が向いたので、自分で作ろうかと」

ほう、と張遼が顎鬚を撫でる。
「英瑠殿は料理をされるのか」

「はい、一応…… 女子の嗜みとして、実家にいる頃に躾けられました。
でも、仕官してからは武に精を出していたのでほとんど調理場に立つこともなく……女として恥ずかしい限りです」
「ふむ」

「……差し支えなければ、一口頂戴しても宜しいかな」

「っ!?」

張遼の一言は、英瑠を絶句させるのに十分だった。
彼女は一瞬硬直したあと、どう返そうか心も決まらぬままに口を開く。

「あっ、はい……! っ、でも、文遠様のお口に合うかどうか……!!
客人用ではなく普段食している材料を使った上、慣れない私の調理では……、家の者が作るより不安な味だと思います……!
っ、しかし文遠様がそうおっしゃっていただけるのなら……、どうぞ……!」

英瑠は傍らの張遼が失笑してしまうほどうろたえ、手元の弁当と張遼を交互に見遣って顔を赤らめた。

「もし不味くても、まさか死すほどではあるまい。
……ゴホン、いや失敬」

英瑠を援護するつもりが思わず物騒な本音が出てしまったらしい張遼に、英瑠はますます顔を赤らめ俯いてしまうのだった。


「……英瑠殿。少しも不味くはないぞ。
……というか、これは……至って普通、いや美味だと思うが。
少なくとも私の屋敷の者が食卓にこれを出してきたら、咎めるどころか有り難く完食してしまうだろうな」

「本当ですか……!」

意を決して差し出した英瑠の弁当に箸を付けた張遼は、嘘ではないという風にうむ、と強く頷いた。
それを聞いた英瑠は「良かった……!」と胸を撫で下ろし、箱に詰まっているおかずの中で一番上手に出来たと思うものを勧めて良かったと心底安堵していたのだった。

それから二人は緑地の木陰で並んで腰を下ろしたまま、談笑に興じた。

並んでのどかな時間を過ごす二人は、端から見たら仲の良い恋人同士か夫婦か――もしくは、士人とその従者にしか見えないだろう。
一時の平穏を噛み締める二人はとても、一騎当千の武を振るう猛将には見えなかった。それほど彼らは穏やかだった。


「……英瑠殿、私はそろそろ……。
英瑠殿はこの後は屋敷に戻られるおつもりか」
「はい。明日は朝から出仕します。文遠様は……」

「私は役所に戻る。作業の進捗を確認せねばならぬ。夜から用事もある」
「さようですか」

「英瑠殿、ならば屋敷まで送ろう。近くに馬を預けてある」
「えっでも……、そんな、ご迷惑じゃ……。大丈夫です。一人で歩いて帰れますので……」

「もし迷惑でなければ送らせて欲しい。……、二人乗りが嫌でなければ、だが」
「っ……!」

張遼は真っ直ぐな目で英瑠を見つめた。
その眼はいつだって真摯で、誠実なのだ。

迷惑では、と問うた言葉に逆に迷惑でなければ、と返されたら何も言えなくなってしまう。
二人乗りという言葉に英瑠は胸が高鳴るのを自覚したが、黙って頷くと張遼に従ったのだった。

英瑠は張遼が勧めるとおり馬に跨った。
背後に張遼が乗り込んだのを確認すると彼女は、片手が弁当などの荷物で塞がっているにも関わらず自ら手綱を握ろうとしたが、張遼がやんわりとそれを制止し、彼は背後から手綱を取った。

「はは。英瑠殿の体にしがみつくのも悪くはないが、私も武人なのでな」

その言葉に英瑠は、『士人の格好をした偉丈夫が、手綱を握る町娘風の女の体に必死にしがみついて馬に乗っている』という光景を想像し、自分がしようとしている事の重大さに思い当たり、手を離した。

そして、やけに破壊力のあるその想像に、次第にこみあがる笑いを堪えきれなくなった彼女は、とうとう声を上げて笑ってしまうのだった。
慌てて謝る彼女だったが、張遼は平然と「これでも笑っていられるかな」と手綱を握りながら自らの体を英瑠の背後に密着させ、あたかも抱きすくめられるような格好になってしまった彼女は笑うことも出来なくなり固まってしまうのだった。


英瑠はいつかの祭りのことを思い出していた。
あの日、怪しい賊を追っている途中で、賊に気付かれないように張遼と共に物陰に潜んだ事があった。

それだけでも胸が高鳴って仕方なかったのに、あろうことか彼は側を通り過ぎる賊に気付かれないよう『演技』をした。
――英瑠を抱きしめ、恋人同士のふりをするという方法で。

あの時咄嗟に腕を回し返してしまったが、後から考えるとあれは並々ならぬ衝撃だった。
短い時間とはいえ、彼の温もりを感じてしまった。
耳元で囁かれた一言は色気など微塵も無いはずなのに、思い返しただけで今も耳が熱くなってしまうほど鮮明に感じられる。

こうして馬を歩かせながら背後に張遼の体温を感じていると、その時の事をつい思い出してしまう。

英瑠は今、背中に剣を背負っている。
二人の間を分かつその剣の存在がもどかしくなるほど、彼の温もりを欲している自分に気付いた彼女は、きつく眼を瞑って煩悩を振り払うように小さく首を振った。

「もうすぐ着くな。
……英瑠殿、しばし、手綱の片方を預けて良いだろうか」

ふと紡がれた張遼の言葉に、何の気なしに応じた英瑠は片手で手綱を握る。
張遼は離した片手をどうするのだろうか。そんな疑問が彼女の頭を掠めた時だった。

「っ……!」

自由になった張遼の腕が、英瑠の身体を背後から抱きすくめていた。

「っ、文遠、さま……、」

英瑠の身体に回された大きな手は、彼女の胴をしっかりと抱き寄せ、微動だにしなかった。

英瑠は狂ったように早鐘を告げる心臓に、自分の身体がどうにかなってしまうのではないかと思った。
やがて自分の邸宅が視界に入りどんどん近付いて来ても、彼女は声を発する事が出来なかった。

顔が熱い。嬉しい。熱情。好き。慕情。様々な情熱が胸を満たす。
まるで、ただ近付いて当たっているだけだった火鉢の炭が、ぱちりと音を立てて爆ぜたような。
英瑠は、しきりに暴れまわる胸の内の感情を正確に伝える言葉を、必死に模索していた。
この激情は、武器を手にした時のそれに似ている。そんな既視感を覚えた。

戦場なら、猛る気持ちのままに武器を振るえばいい。
兵を指揮する以外では、殺し合いに言葉は要らない。
戦場で無くとも、いつかの賊を倒した時のように、敵が殺気を込めた眼差しを向けてくるならば、一言も発さず刃を以ってそれに応えれば良い。

だが、異性に向ける愛情はどうなのだろう。
感極まって感情が言葉にならなくなった時、人はどうやって愛を伝えれば良いのだろう。
英瑠には分からなかった。
――否、正確には、本当はわかっていた。
けれども、胸に刺さった『棘』が邪魔をしていた。

しかし、その棘を押し流すように張文遠がそっと唇を寄せる。
寄せられた唇は英瑠のうなじに落とされ、触れられたところからたちまち熱が広がった。
まるで飢えた鮫が徘徊している海に、血を一滴垂らしたような。
全身が瞬時にざわめき、しかしとても心地が良かった。

英瑠の中で何かが切れ、背後の張遼を振り返った。
張遼が思わず回した腕を離す。
彼女の顔は赤く火照り、嬉しそうな緩んだ表情で唇を震わせていた。

張遼は馬を止める。馬は英瑠の自宅の前に到着していた。

英瑠は意を決して、彼の温もりを求めようとそっと手を伸ばした。
そんな彼女の様子を見て、張遼も黙したままそっと英瑠の背中に手を添える。

――しかし、英瑠の手が張遼に届く事は無かった。

彼女の『棘』は『楔』となり、今度こそ止めを刺すべく深々と、彼女の胸を抉りぬいたのだ。

それ以上触れてはいけない、と楔は語っていた。
未来に思いを馳せた時にだけ立ち上る不安と恐怖が、彼の前で噴き上がる。

そして彼女は。

別れを惜しむ女からの抱擁を待ち望んでいる男を裏切り、震える唇でたった一言だけ口にした。

「怖いのです、」

と。

英瑠はずたずたに引き裂かれた胸に手を当てると、今にも溢れそうな涙をこらえながら、張遼の腕をそっと振り払って馬を下りた。
そして、家まで送ってくれた事に対して礼を述べ拱手をすると、深々と頭を下げた。

張遼は眼を見開いたまま固まっていた。

次いで我に返った彼は英瑠に何事かを言おうと馬を降りようとしたが、彼女の邸宅から使用人が出てきたため思いとどまった。

英瑠はといえば拱手したまま、無言で頭を垂れ続けていた。
事情を知らない人間がこの光景を見たら、何か粗相をした庶人の女が士人の男に許しを請うている、そんな風に見えただろう。
事実、英瑠の使用人の女はその様子を見てぎょっとしたらしい。
邸宅の主である女と、馬上の男を交互に見て、どうしたらいいのか戸惑っていた。

やがてようやく顔を上げた英瑠は、馬上の張遼をじっと見つめた。

一瞬の間。

この世の終わりのような顔をして涙を堪えている英瑠に、さすがの張遼も何かを悟ったのか、ただ一言、
「失礼する」とだけ口にした。

そのまま彼は、馬の踵を返し振り返ることもなく去っていく。

それを黙って見送った英瑠は、逃げるように自宅の門をくぐると、そのまま自室に直行し寝台に臥せって泣き明かしたのだった――



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