19.小覇王


袁術は、曹操すらも退けた呂布の力に危機感を抱いていた。

このまま呂布が力をつけていけば、いずれ南下することは必至。
そう考えた袁術は、孫策に呂布討伐を命じたのだった。

孫家は元々精強な武門の一家であった。
孫策の父・孫堅は江東の虎と呼ばれる猛将で、あの反董卓連合にも参加し、董卓軍を追い詰めたこともある。
さらには、洛陽炎上のさなかに伝国の玉璽を手にしたらしいとの噂もあった。

孫堅亡き後、長子の孫策はその跡目を継いだ。
まだ年若い彼は袁術に吸収されていた元孫堅軍を立て直し、その配下に勇猛な強者を揃え、頭角を表した彼の力は『小覇王』と称されるほどだった。

そんな、武に秀でた孫策との対決。
誰よりも武に自信のある呂布が滾らないわけはない。

呂布らは意気軒昂と軍を率い、孫策軍・袁術軍と対峙する。
英瑠や張遼といった武将たちもまた、迫る戦に心が昂るのだった。

戦の前、陳宮は語った。
「この戦、袁術など気にすることもなし。
しかし孫呉の軍は手強い、手強いでしょうな。
中でも現当主・孫策は小覇王と呼ばれる男。戦に長じ、急速に勢力を強めたとか」

小覇王という孫策の通り名に、俄然張遼も興味を示す。
「ほう、小覇王とは。
是非この張文遠と手合わせ願いたいものだ」

それを聞いた呂布は鼻を鳴らし、まだ見ぬ強敵との戦いを心待ちにするかのように、そのぎらついた双眸に闘志を宿すのだった。

「戦場で豪傑同士が惹かれあうのは当然のこと。
武人は皆、小覇王に惹かれているのでしょう……」
英瑠もまた、まるで噴火を待っている火山のように、烈しいものを静かに滾らせる。

軍師陳宮も、また。
彼は彼にしか見えないものを確実に見据えていた。
誰よりも知略を巡らせ、まるで盤上を見渡すかのように戦場を把握し、頭の中で駒を動かしている。

こうして一同は、さらなる未来のために武器を取り、前に進むのだった。



「出てこい!小覇王!
この俺が相手になってやる!」

戦が始まり、敵軍を睨んで咆える呂布。

孫呉の軍は良く訓練されていた。
軍というものは、一兵卒の動きを見ただけでもその練度がわかるものだ。
そういう意味では、孫呉の将兵は全体的に士気も高く、統制も取れていた。
しかし呂布の猛攻に曝されると、さすがの彼らもその強さに驚愕したらしく、さほど抵抗することもなく撤退を始めるのだった。

「なんとも、なんとも不自然な撤退ですな。しかし今は前へ進むほかありませぬ」

陳宮が訝しげに零す。



一方英瑠もまた、前線で派手に戟を振るっていた。

彼女の方天戟が宙を舞うたび、敵兵たちが薙ぎ払われて飛散する。

「あ、あの女が噂の……っ!」

彼らは英瑠の武を見て、あるいは恐怖し、あるいはその姿に驚愕し、やけに素直に撤退していくのだった。


心おきなく武を振るう英瑠の背後で、腕の立つ親衛隊に護られた英瑠の弟は、陳宮と同じように敵の撤退を怪しみ首を捻っていた。

彼は撤退する敵を追う英瑠の足を一旦緩めさせ、敵の計略の可能性を姉に説いた。

「……というわけで、この先は注意して進軍しましょう。
陳宮様も恐らく同じことを考えてらっしゃるはずです」

「わかりました。貴方の言う通りにしましょう。」

素直に弟の助言を聞く英瑠。
小さな体躯に不釣り合いな方天戟を手にし、悠然と軍を率いている英瑠の姿は、凛々しい将軍そのものだった。


――彼女が纏っている鎧が、いつものそれであったならば、の話だが。


弟は、何も言うまいと、出陣してからずっと我慢を重ねてきた。
しかし、馬上で背筋を伸ばし凛然と戦に臨みながら、弟に対しても一人の参謀としての期待を向けてくる真面目な姉の姿に、とうとう小言を漏らさずにはいられなくなってしまったのだ。

「……ところで姉様、……ではなく龍将軍。
……その戦装束はやはり……、どうかと思います」

英瑠は何を言われているのかわからないといった顔で、
「? そうですか?
たしかに、いつもより露出が多いとは思いますが……
でも、この呉の地は暑いのです……! いくら鎧を着込んでも、暑さで動きが鈍っては意味がありません。
それにどういうわけか、この格好の方が兵の皆さんの士気が上がるという声がありまして……」

そう、武器を手にしたまま大真面目に答える英瑠に、弟は頭を抱えて盛大にため息をついた。
彼が、『本当はもっと口やかましく姉を諌めたいが、他の将兵の手前、我慢しているだけ』
ということなど、英瑠は知りもしないのだろう。

今の英瑠は。
いつもの戦装束ではなく、やたらと露出度の多い装束を身につけていた。
風通しの良い胸元と腹周り。力強く馬にまたがる脚は、惜しげもなく肌が露出しており何やら扇情的な雰囲気さえ醸し出している。
体を覆うはずの鎧は軽装なものに替えられ、一応急所だけは護っているものの、それにしても申し訳程度のものに成り下がっていた。

熱が篭らないよう、動きやすさを重視した格好。
暑さを我慢して肌を服で覆ったところで矢が飛んで来れば刺さってしまうし、鎧を着たとしてもやはり至近距離から刃や弓矢を受ければ貫通してしまう。
それならいっそ、肌を出してしまった方が良い。
敵と刃を交えるなら、敵のそれが届くよりも早く、自分の刃で敵を断ち切るだけだ。
弓矢が飛んでくるなら、その常識を外れた動体視力と反射神経で、矢を叩き落とせば事足りる。
……そんな英瑠の無言の思い切りが、ひしひしと伝わってくるようだった。

弟はため息を一つつくと、げんなりした視線を姉に送りながら、さらに思っていることを口にした。

「龍将軍。その装束で戦に出ることを、張将軍には伝えられましたか?」

「……いえ。戦の前の軍議にはいつもの戦装束で出ましたし……。
出陣直前にこの格好に着替えたので、恐らく将軍はご存じ無いでしょう……
というか、何故ここで張将軍の名前が!?」

弟はまた盛大にため息をついた。
敵の攻撃を受けたわけではないのに頭痛に襲われたような感覚がある。

弟は出陣前に陳宮から、どうやら英瑠と張遼の仲が上手く行ったらしいと聞いていた。
戦の準備で詳細を姉に問い質すことは出来なかったが、こうなれば、その禁じ手を使うしかないようだ。
戦場に私事を持ち込むことはしたくなかったが仕方ない。
弟はそう決意して、姉に告げた。

「……、張将軍がその姿を見たら、なんとおっしゃるでしょうね」

「!!」

今や龍琉軍の軍師と言っても良い弟の言葉に、英瑠は愕然としたように目を見開いた。

そうだ。今の遠回しな指摘で己のはしたなさに気付き、装いを改めてくれればそれで良いのだ。着替える時間くらいはある。


……しかし。


「たしかに、暑さに負けるなど修業不足だと叱られそうですね……。
しかし……! しかし、ですよ。
こうやって自ら防御力を減らしたことで、そのぶん敵の挙動に対する集中力と洞察力が増すという利点もあると思うのです。
将には、堅牢な鎧と兵に護られて安全なところから指示を出すという戦い方もありましょう。
しかし、あえて肌を曝し、刃や弓矢を紙一重でいなしながら突き進まなければならない場面もあると思うのです……!

それと……、比べるのも失礼だとは思いますが、戦場での格好を言うならば貂蝉様だって……」

…………。

弟は。
やたらと拳に力を込め熱く語ってくる姉の、何がどうずれているのか、一つ一つ説明しなければならないのだという途方も無い現実に打ちのめされていた。

もはやどうにでもなれ。

弟は、姉を説得するのは諦めて戦場を見渡すことにした。
そう、彼らはいま戦をしているのだ。
たとえ葉っぱ一枚しかその身に纏っていなかったとしても、敵を打ち倒せればそれで良いのだ。
逆に言えば、いくら清く正しく風紀と軍規を守っていても、敵を退けられなければ意味がない。

弟はやがて、遠くの森林に敵伏兵の存在を嗅ぎ取ると、軍師として真面目に姉に忠告するのだった。


***********************


「やはり、やはり敵の計略でしたな。
読めている罠など、怖くもありませぬぞ!」

敵の罠を見破った陳宮は、慌てることもなく悠然と兵を進めていた。

彼は挟撃を警戒し、自らの兵を伏せた。
その上で、他の将には西に進軍するように指示し、敵の策を潰すよう命じるのだった。




「行かせはせん!!」


「将軍、敵が!!」

敵の急襲。孫呉の兵が、西へ急ぐ龍琉軍に横あいから襲い掛かる。

「やはり来ましたね!!」

英瑠は方天戟を構え馬を駆り、迫り来る敵軍を迎えうった。

敵は太史慈率いる軍であった。
赤い鎧を纏い巨大な双鞭を振るう偉丈夫は、龍琉軍と激突する。
英瑠は敵が武勇に優れる猛将だと知って、俄然闘志を燃やし、孫呉の兵を薙ぎ払って太史慈に向かって突き進むのだった。

「龍英瑠、推して参る!!」

「太史子義、推参!!」

濁流のように押し寄せ入り乱れる敵味方の中で、恒星のように燦然と輝きを放つ無双同士が激突する。

互いが互いを視界に認めると、共に脇目も振らず、互いに向かって馬を走らせた。

刹那。

英瑠が振りかぶった方天戟と、太史慈が構えた双鞭が、すれ違う瞬間に、烈しい金属音を放って火花を散らす。

そのまま行き過ぎて、共に手綱を引き馬の歩を緩めると、互いに振り返った。
彼らの目に映る、『敵将』。

二人は馬を振り向かせると、もう一度鞭を入れ、武器を構えて互いに向かって突進した。

二合目。

将同士の一騎打ちに気付いた兵から、どよめきの声が上がった。

すれ違い様に撃ち合った戟と鞭から、空気を震わせるような衝撃が広がる。

「……お前が人外と称される呂布軍の女将軍か。 ……たしかに強いな」

先に口を開いたのは太史慈だった。

「そういう貴方こそ。その強さ、並の将ではありませんね」

二度刃を重ね、三度撃ち合うために振り向いた彼らは、戦の喧騒の中互いに届くよう声を張り上げながら言葉を交わした。
その瞳は、密林で獲物を見つけた時の虎のような、一途で剣呑な昂揚感に満ち溢れている。

「その力、たしかに見た目からは想像がつかんな!
……、姿は挑発的な女人以外の何者でもないように見えるのだが」

「ちょ、挑発的……!? 貴方もやはりこれをおかしいと思いますか? 戦場にはふさわしくないと……?」

「はは。そういう趣味なら別に良いんじゃないか。
……それよりも、もう少し戦場を見回した方がいいぞ龍将軍!」

「……!」

太史慈の不敵な笑みに、英瑠が辺りを見渡した瞬間。

「やらいでか!!!」

土煙を上げて遠くから近づいて来る敵軍を、英瑠の視界が捉えた。
英瑠は太史慈軍と、やってきた黄蓋軍に挟まれていた。
士気を高くする太史慈軍。

しかし、英瑠は動じない。
彼女もまた笑みを浮かべ、太史慈に告げるのだった。
「そちらこそ、」と。

太史慈が訝しげに眉根を寄せる。
英瑠は表情を変えぬまま淑女のように軽く首を傾けると、目線をあさっての方向へ向けた。
つられた太史慈がそちらを見れば、新たに現れた影が喚声と共に、大地に広がっていく。

「我は張文遠なり、いざ!!」

龍琉軍を挟み込む太史慈軍と黄蓋軍のさらに外側から、張遼軍が迫っていた。
総合すれば、数は孫呉側の方が不利。
孫呉の将は、主力の呂布軍がさらに西へ向かったことを知り、策のために伏せた軍が襲われる可能性に思い当たり焦り始めた。

「いつかまた、手合わせ願おう! 挑発的な龍将軍よ!!」

太史慈は英瑠に言い放つと、馬を駆って軍中へ消えていった。
英瑠は彼が残した単語の一つに唇を尖らせながらも、次の瞬間には将の威厳を取り戻し軍の指揮を執るのだった。



孫呉の軍師・周瑜の策は陳宮に見破られ、呂布の強襲によって破綻した。
陳宮は伏せていた兵を使い、孫呉の兵を刈り取っていく。
やがて、孫策軍と対峙した呂布は、孫策との一騎打ちに臨んでいた。

「よお、呂布。会いたかったぜ」
「貴様が孫策か」

呂布と孫策。彼らはある点においてよく似ていた。
即ち、強敵と刃を交わすことを渇望するということ。

かの孫子は言った。戦わずして勝つ事は最上だと。
たしかに、策を駆使し、人心を掌握し刃を交えることなく勝利を得られるのならば、それに越した事はないだろう。
兵も馬も武具も、万全な軍の体を成すように揃えるのは容易なことではない。
戦をすれば兵の命は失われる。
いつかの未来には、『一将功成りて万骨枯る』、つまり一人の将の功名の裏には戦場に散った多くの兵の命があるのだ、と詠む才人も現れるだろう。

しかし、武人として生きるからには、強者と相見えたいと思うのは半ば本能のようなものだ。
武と才を以って乱世を終わらせるという使命感。そして、己が武を存分に振るえる強者と出会うことへの期待。
傲慢ともいえるその熱き魂は、自らの全身全霊を武器として、ただ戦場を駆けるのである。


呂布と孫策の一騎打ちは決着がつかぬまま、戦況の変化によって終わりを迎えた。
やがて呂布軍が孫呉の影に隠れていた袁術軍を退けたことによって、孫策軍もまた撤退していくのだった。

「へへっ、お前の戦、熱いじゃねえか! いつかまた戦おうぜ!」

孫策はそう言い残して去っていった。

孫策――字を伯符。
彼は小覇王として、これからも戦場で武を振るい続けるのだろう。孫呉の兵は袁術の下で小さくまとまっているような軍勢ではないからだ。



袁術と孫策を退けた呂布たちは、本拠へと帰っていく。
曹操が勢いを失った今、周囲に呂布に対しうる敵はいない。

「名族も武門ももはや敵ではない!
行くぞ! 天下の頂点に立つのは俺たちだ!」

呂布軍は、来たる新たな戦に向けて、再び力を蓄えることになるだろう。
その手に、絶対的な力を手にするまで――




「英瑠殿。これは随分とまた……、挑発的な格好を」

「文遠様!」

戦が終わり帰路につく際、張遼と顔を合わせた英瑠は、開口一番そんな言葉を投げかけられた。
あの、双鞭を操る赤い武人の言葉が脳裏に蘇る。

「……、挑発的……。やはり将軍もそう思われますか……
お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません……。
すぐ着替えて参ります……」

英瑠は他ならぬ張遼にやんわりと否定され、ようやく自分の姿が他人にどう見られているか思い知り肩を落とすのだった。
その様子を見た張遼は、苦笑を浮かべつつも言葉を返す。

「その姿の方が戦いやすかったと言うならば、『将としては』何も申すことは無い」

「……、『将としては』……」

張遼は英瑠の反応にちらりと周囲に視線を巡らせると、近くに人が居ないのを確認してから、声を小さくしてそっと続きを口にした。

「ああ。男としては……、うむ。
女人にそのような姿をされては、悪い気はすまい」

「まぁ……!」

英瑠は素直な張遼の意見に、少し面食らい、それから思わず笑ってしまった。
真面目な彼がそんなことを言うなんて、普段の凛々しい姿からは想像も出来ないだろう。
英瑠は、張遼が少しでも自分に心を許してくれているのだとわかり、胸を熱くした。
それから、ならば貂蝉様を見るたび……と問い掛けようとして、さすがにそれは失礼だろうと思ってやめた。

張遼も英瑠につられて顔を綻ばせていた。
兵がその光景を見たら、将軍同士が楽しそうに談笑していると感じただろう。
しかし張遼はおもむろに真顔に戻ると、低い声で一言告げるのだった。

「だがその女人が、特別な相手ならば話は別だ。
その……、……気が気ではない」

「……っ!」

英瑠は笑顔をやめて張遼の言葉に耳を澄ませた。

「他の者に『目の保養』をさせるのは勿体ないと……
……いや、忘れてくれ」

張遼はごまかすように咳払いを一つすると、顔を逸らしてしまう。
やがてやってきた呂布と陳宮を視界に捉えた彼らは、そのまま雑談を打ち切って、二人のもとに向かったのだった。



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