15.貂蝉


定陶の戦いから1年後。
力を盛り返した曹操が、敵を劉備と見定めて動き出した。
圧倒的な曹操の軍勢。劉備はこれに対すべく、呂布に救援を求めた。
呂布たちは、エン州での劉備への借りを返すために徐州へ向かったのだった。


「呂布殿、援軍感謝する。貴殿の武勇があれば千人力だ」

徐州に到着した呂布たちを、劉備は丁寧に出迎えた。
呂布は、定陶の借りを返しに来ただけだとそっけなく言い放つ。

「ははは、これは。まさにそなたの言う通りの御方だ」とそれを笑う劉備。

果たしてその背後から現れたのは。

かつて長安で別れたきりになっていた美女、貂蝉なのであった。

「貂蝉……!」
「奉先様……」

劉備が言うには、先のエン州での援軍は、実は貂蝉に頼まれてのことだったらしい。
その光景を黙って見守っていた英瑠は、ようやくあの不可解な援軍の件に得心がいったのだった。

いつだか言葉を濁していた陳宮や英瑠の弟はきっと、このことに薄々気が付いていたに違いない。
しかし確証もないうちから早々に貂蝉が劉備の元にいることが呂布の耳に入ってしまったら、呂布はきっと精神を乱しただろう。
そう思ったからこそ、彼らは黙っていたに違いなかった。


呂布と貂蝉をその場に残し去っていく英瑠たち将は、小声で、控えめに、雑談に興じる。

「殿、貂蝉様と会えて良かったですね……!」
「うむ。」
「噂に聞いていたとおりの美女ですな……。
呂布殿のあの反応を見る限り……彼女の力は、力は、単純な武とは違った意味で我が軍に必要になりそうですな」

呂布と貂蝉の再会に気を利かせた彼らは、そんなことを口にしながら劉備との軍議に向かうのだった。


劉備が言うには、前線に劉備軍の部隊が取り残されている故、救って欲しいとのことだった。

呂布軍の将は各々が軍を率いて、それぞれ分かれて前線に向かうことにする。
英瑠は出撃の前、劉備軍の武将たちをさりげなく見やった。
劉備の義兄弟と言われている豪傑、関羽と張飛。
彼らは呂布とも刃を交えた事があるという話も聞いた事がある。
張遼は、劉備の義弟である関羽の力を、呂布に次ぐやもと評していた。

まだ知らぬ強者の武を間近で拝見する。それを想像すると、英瑠の心は自然と昂るのだった。


「ちっ、なんで呂布なんかと……」
劉備の義弟、張飛は悪態をついていた。
張飛と進軍方向が近い英瑠は、それを聞き流して張飛に挨拶を述べた。

「よろしくお願い致します」

「おぅ。……しっかし、おめぇのような若ぇ女が軍を率いるたぁな。
呂布のやつぁ何を考えてんだか……」

英瑠は、張飛のぼやきに苦笑するだけで特に反論はしなかった。

一般的に武将とは、とかく血の気が多い者が多く、誇り高いものだ。
ぞんざいな対応をされれば怒りを顕わにするし、味方同士であっても不仲になれば時に相手の足を引っ張ることもある。
自己主張が強く、竹を割ったような性格で思っていることをはっきりと口にするが、その分情には脆く身内や友人を大切にする。
そういう気質の者が多かった。

だからこそ感情を抑えて極めて冷静に振る舞う者や、個人的な好悪を超えてきちんと役目を全うする者、他者の心持ちに敏感で緩衝役を務められる者などは、後世にも語り継がれるほど重宝される。
そういう意味では、張飛は典型的な武将と言っても差し支えなかった。
もっとも、その力は典型的などとはほど遠い、比類なき武を持つ一騎当千の強者なのであるが。

そういう武将に認めてもらうには、四の五の口で説明するより、まずは結果を出すしかないのだ。


出陣した英瑠は、前線に向かって馬を走らせた。

雪が降りしきる中、将の外套を翻して曹操軍の軍勢に迫っていく。

「はっ!!」

馬に鞭を入れ、突撃を敢行する。利き手には方天戟。
冷えた空気を切り裂くように、鉄の塊が宙を舞う。

龍琉軍は孤立した劉備軍の部隊を取り囲む軍勢に食らいつき、その腹を食い破った。

「もはやこれまでと思っておりました……! 救援、感謝します!」

龍琉軍に襲われた敵は、呂布が劉備につくとは……、という憎々しげな声を漏らしながら退いていくのであった。

英瑠が部隊の一つを救出した頃、張飛もまた別の部隊を救出すべく敵と刃を交えていた。

張飛の武は並々ならぬものがあった。
張飛の力に鼓舞された軍は立ちはだかる曹操軍を豪快に蹴散らし、颯爽と味方を救い出したのだった。
英瑠はその力を見て、心が熱くなるのを実感した。

前線部隊を救出し張飛軍と合流したとき、張飛は開口一番
「おめぇ、なかなかやるじゃねぇか。見直したぜ。
あんな豪快な戦をするたぁな!」
と英瑠に言った。
英瑠もまた張飛の武勇を讃えた。

いくら名声があっても、見た目が強そうでも、張飛のような直情的な武将には、結果を出さなければ認められないのだ。
劉備軍の前線部隊を救うという仕事を成し遂げて、ようやく英瑠は認められた。
これでようやく定陶での借りを返すことが出来たと英瑠は安堵した。

しかし、張飛の次の一言に英瑠は言葉を失ってしまう。

「ところでよぉ……おめぇ、本当は男だろ。
その鎧の下、実はムキムキに鍛えてるとかそういうからくりだろ!
俺の目は誤魔化せねぇぜ! ちっと見せてみろ!」

「………………、」

予想だにしていなかった張飛の突拍子もない言葉に返す言葉が見つからない英瑠の背後から、笑いを堪えているような声が漏れ聞こえて来る。
張飛の馬鹿に大きい声が兵の耳にも届いたのか、英瑠の兵たちは笑わずにはいられないらしかった。

威厳のある将ならここで、無礼者!!とピシャリと言えたのかもしれない。
だが戦闘中ならいざ知らず、この状況ではそんなことを言える英瑠ではない。

哀れ彼女は、しどろもどろになって自分が女であることを懇切丁寧に説明する羽目になり、それでも信じない張飛を見かねた龍琉軍の古参――
英瑠と同郷の道場仲間――が、昔彼女と手合わせをした時にうっかりその胸部に手をやってしまったことがあったが、それは確かに……その、女性の胸でした。
とかありありと説明するものだから、英瑠は本当に穴があったら入りたい気持ちになってしまったのだった。

このあと張飛は本陣に帰ってからも、触ってみなきゃ本当かどうかわかんねぇよな、とか零していたらしく、事の顛末を聞いた劉備と関羽に叱られる羽目になるのだが、それはさておき。

一方西の地では、張飛の義兄関羽が剛勇を振るったと報告があった。
張遼の見立て通り、やはりずば抜けた武の持ち主らしかった。
さらに陳宮は兵器を駆使し南へ、呂布ら他の将も果敢に奮戦し。
こうして、劉備軍の前線部隊は無事後退し、本隊と合流を果たすことが出来たのだった。


前線部隊を全て回収した劉備は、今こそ曹操軍の本陣を叩くべきだと主張した。
呂布らもそれ自体には異存がなかった。
しかしあろうことか劉備は、早まって自軍だけで城を出てしまうのだった。

それを聞いた陳宮は仰天し、頭を抱えた。
しかし彼はすぐ冷静さを取り戻すと、劉備救出の段取りを考えていく。
劉備の進路には曹操軍が兵を伏せるはず。
速やかに劉備に合流し、その兵を叩く必要がある。

貂蝉は、かつて劉備に助勢を頼んだ張本人として義理を感じ、戦場に向かうと言った。
呂布もまた、劉備への借りを返すために来たのに劉備に死なれては寝覚めが悪いとそちらへ向かうのだった。
他の者は曹操軍の本陣へ。

英瑠ら呂布軍と、軍を立て直した劉備軍の連合が曹操に迫る。
果たして、両軍に激しく攻め立てられた曹操は――
力及ばないと悟り、徐州から撤退していくのであった。

劉備軍。
彼らは軍勢こそ多くはないが、民心を得た劉備とその義兄弟の関羽・張飛は、乱世にあって燦然と輝きを放っていた。
彼らは漢王朝復興を掲げ、これからも力を蓄えていくのだろう。
いつか、今度は彼ら剛勇たちと刃を交える日が来るかもしれないと思いながら――
英瑠たちは徐州を後にしたのだった。




戦が終わると、呂布たちはエン州に帰還した。
再会を待ち望んでいた美女を連れて意気揚々と。

「貂蝉様……! ようやく再会出来て嬉しく思います……!
いつぞやは本当にありがとうございました。
貂蝉様のご助力があったからこそ弟は救われ、いま私も戦場に立つことが出来ているのです……!」

英瑠は帰還後の後処理が一段落すると、貂蝉に宛がわれた屋敷に馳せ参じ、あらためて礼を述べた。
それを受けた貂蝉も、英瑠を出迎え部屋に通し丁寧に言葉を返した。

「まあそんな……! 英瑠様もお元気そうで何よりです……。
聞けば弟様は、軍師陳宮様のお弟子さんとして頑張っていらっしゃるとのこと。
それを聞いてこの貂蝉、あの時の判断は決して間違っていなかったのだと実感致しました……!」

「本当にありがとうございました……!
先の徐州での戦でも、貂蝉様は戦場で華麗に舞っていらっしゃったとか……。
美しいだけでなく武も振るわれるなんて、とても感動致しました……!」

「いえ、英瑠様の武に比べれば私の力など取るに足らないもの……。
その見事な武勇、おなじ女として尊敬致します……!」

英瑠と貂蝉はそれから、お茶とお菓子を頂きながら会話を弾ませるのだった。


「私は……、私は本当に、貂蝉様を尊敬しているのです」

ふと、英瑠はそう口にした。
それは彼女の本心だった。英瑠は、かつて長安で貂蝉に課せられた使命を知ってから、ずっと貂蝉に敬意を抱いていた。
戦場で武を振るって道を切り開くという武人とは違う方法で、戦い抜いた貂蝉。
己が感情を押し殺し、あの董卓に媚びを売り女の身を捧げるとは、どれほどの決意だろう。

そして、策のもう片方の相手――呂布。

実は英瑠には、ずっと気になっていたことがあった。
董卓と呂布を反目させ董卓を除くことが目的なら、すでに目的は叶っているではないか。

しかし貂蝉は呂布に、必ず戻ると言い、そしてこうして本当に戻ってきた。
これは、貂蝉の本心なのだろうか。
『ここから』は、策を離れた、彼女自身の意志による決断だと判断して良いのだろうか。

自分は勿論、呂布の武に惹かれたからこうして今ここに立っていると英瑠は自覚している。
では貂蝉はどうなのだろうか。
酷な言い方をすれば、元々は罠にかける対象でしかなかった呂布の、何に惹かれたのだろうか。
その強大な武か。男としての魅力か。

――否、それだけではあるまい。

「……貂蝉様は、何故、」

英瑠は言いかけて、口をつぐんだ。
何故戻って来たのか、そう訊こうとして、あまりにも酷い言い方だと思いとどまった。
しかし貂蝉は、英瑠の疑問を見透かしたかのように口を開く。

「私は……、奉先様に帝をお救いして欲しいと思い、その武を頼りに戻って参りました。
ですが……、今はそれだけではありません」

「はい」

貂蝉は語った。呂布から、俺の戦を見届けろと言われたことを。
そのとき彼女は悟ったらしい。呂布は、以前の彼ではなく何か変わったのだということを。

前を見据えた呂布の瞳には、ただ力を誇示するだけの暴とは違う輝きがあった。
彼は彼なりに未来を見据え、乱世を終わらせる決意を固めたのだと気付いた。
だから従った。呂布の往く道を見届けたいと思ったと。

……貂蝉の話に、英瑠は深く、深く頷いた。

英瑠は、呂布の武が切り開く未来を見たいと貂蝉に告げた。それは本心だった。
呂奉先という個の武の華々しさではなく、その武が何を創っていくのか。この中華の大陸に、どんな楔を打ち込むのか。
そう考えたとき、心が熱くなったのだと語った。
貂蝉は微笑んで、それに同意した。

それからお茶を一口飲み込んだ貂蝉は、小さく息を吐くと、堅さを排した淑やかな声で言うのだった。
「私は、奉先様と過ごす時間も大切に思っております」、と。

ここからは女同士の話をしませんか、とその眼は語っていた。
貂蝉は、呂布の元へ戻ると決めたのは使命感や利害からだけではありませんから心配は要りませんよ、と遠回しに告げているのだ。

ゆったりとした微笑みを浮かべ首を傾ける貂蝉は、同性の英瑠の目にもひたすら麗しく蠱惑的に映り、改めて貂蝉の美しさを自覚した英瑠は少し気恥ずかしくなって曖昧な笑みを返してしまうのだった。

「英瑠様には誰か心を寄せる殿方がいらっしゃるのですか……?」

「っ!!! っむぐ、……けほっけほっ、……っ」

貂蝉が急に水を向けてきたことに驚いた英瑠は思わず、口にした菓子を飲み込み損ね破片を気管に入れてしまうのだった。

「まぁ……! 大丈夫ですか……!」

顔を背け咳込む英瑠を見て席を立った貂蝉を、英瑠は慌てて手で制す。

「っ、申し訳ありません、急だったもので…………
っ、………………ふぅ。
お見苦しいところをお見せ致しました」

ようやく咳の収まった彼女は、お茶を口にすると深呼吸をして貂蝉に謝罪した。

「いえ、こちらこそ……。
やはり、英瑠様にもお慕いする殿方がいらっしゃるのですね」

「っ!!」

何故そうなる。何も言っていないのに。
英瑠はそう心の中で叫んだが、貂蝉は全てを見透かしたように優しく述べた。

「武人の殿方がお相手なのであれば、早々に想いを告げた方が宜しいかと……。
互いに戦場に身を置く身なのであれば、万一のことも考える必要もありましょう……。
その時になってから後悔をするのはとても悲しいもの。
それに……、真面目な武人の殿方には、意を決して動かなければ一生気付かれないかもしれません」

英瑠は、見透かすような貂蝉の言葉に心底どきりとした。
懸想自体は勿論、相手が誰であるかなど一言も彼女には仄めかしてはいない。
しかし貂蝉は武人と言った。その言葉に、英瑠の脳裏には瞬間的にあの清廉な武人の姿がはっきりと浮かんだのだった。

貂蝉はきっと、貂蝉の相手である呂布が武人だからそう言っただけなのだろう――そうであると信じたい。
しかし、戦場に立つ人間には万一のこともあると言われると、心臓が不穏な音を立てるのも確かだった。

そう――かつて長安で、他でもない、張遼と英瑠自身で本気の刃を交えたことがあったではないか。
あの時も、立場上仕方無かったとはいえ、後からひやりとした。
あれから更に彼への気持ちは膨れ上がっている。
正直、いま彼を失うと考えたら身も凍るような思いがする。
己が命を戦場に曝し、かつ他人の命を奪う武将が何を言っていると自嘲する気持ちも勿論あるが。

そんな英瑠の煩悶を知ってか知らずか、貂蝉はさらに続ける。

「お互い、後悔のないように乱世を生き抜きましょう」
と――

英瑠と貂蝉はそれから、ほの甘く煌びやかな、女同士の話に華を咲かせるのだった。



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