11.交えた刃


「……張将軍」

「貴公もこの反乱に加わっていたとは……。
弟君の件は聞いている。しかしもはやどんな問答をしても意味無き故、何も言わぬ。
それほど貴公の意志は固いように見える」

兵を下がらせ、張遼も自慢の双鉞を構えた。

「張将軍……将軍のことは個人的に尊敬し、慕っております。
将軍と過ごした時間は私にとって、かけがえのない時間でした。
以前賊に絡まれた私を助けてくださったことや、軍に推挙してくださったことや、またその後も未熟な私を沢山ご指導くださったことなども、とても感謝しております。
将軍から受けたご恩は一度たりとも忘れたことはございません」

「……承知している。
貴公がどんな決意を持って呂布殿たちと立ち上がり、今武器を手にしているのかは、私も理解しているつもりだ。

……だが、この私にも果たすべき役目がある……!
貴公らとは刃を交えたくはなかったが……。
これも乱世の常。いざ、覚悟めされよ!」

漲る張遼の気迫が、英瑠のそれとぶつかり合う。
互いの取り巻きから「一騎打ちだ……!」との小声が口々に上がった。

方天戟を手にした英瑠と、双鉞そうえつを手にした張遼。
じりじりと間合いを計る彼らは、互いにもはや言葉を発さず、互いだけを目に映し、神経を研ぎ澄ませた。

政変の喧騒の中にあって、二人の周りの空気だけが不気味なほど冷たく静まり返り、張り詰めている。

互いに手合わせをしたことは幾度もある。
しかしそれは、実戦さながらとはいえ、やはり鍛練なのだ。
今回は、双方、全身全霊を以て真剣だった。
文字通り命のやり取りを行うのだ。明確な意志を持って。


地を蹴り、疾る。

げきえつがぶつかり合い、乾いた金属音を響かせる。
打ち合い、間合いを取る。
構え直し、また打ち合う。
振りかぶられた双鉞を、方天戟が受け止め、押し返して反撃に転じる方天戟を、双鉞が受け流す。
さらに反撃に転じる鉞を、戟の柄が打ち払った。

敵も味方も、皆固唾を呑んで将軍同士の一騎打ちを見守っていた。
この対決に割り込むのは、道義的にだけでなく、実力的にも兵士たちには不可能だろう。
それほど二人の強さと纏う気配は化け物じみていた。

「……腕を上げられたな、英瑠殿」
「張将軍こそ、相変わらずの素晴らしいお手並みでございます」

交わす言葉は、まるで鍛練の時と同じ台詞。
しかし今はどちらも瞳に宿る念が違う。
一瞬でも気を抜けば、敗北に繋がる真剣勝負なのだ。


――張遼を慕っていた。
それは純粋な尊敬や畏敬の念だけではなく、もっとほの甘い、秘めた想いをも孕んでいた。
しかし英瑠はその想いを丁寧に封じた。
普段なら、考えるだけで顔が火照り、暖かく幸せな気持ちになるその感情に、そっと蓋をした。

張遼を捨てて弟を優先させたなどという瑣末な次元の話ではない。
誰しも、成すべき事、役目、往かねばならない道が在る。
たとえそれが、恋焦がれ慕う人の道とぶつかり合ったとしても――道がある限り、命を賭けて、闘わねばならない。
それが武人、軍を率いる将軍という生き物なのだ。
そういうふうにしか、生きられないのだ。


英瑠は全神経を目の前の武人だけに集中させた。
周りの声はもはや、耳に入らない。入れる必要も無い。
それはまた張遼とて同じだろう。

彼らが刃を交える度、金属がぶつかり合う鈍い音と衝撃波が周囲に拡散する。
踏みしめた大地が揺らぎ、風圧で砂煙が舞い上がった。


黒い戦装束を纏い双鉞を振るう張遼は、たとえ敵が先日まで同胞であった相手だったとしても一切手を抜かない事がむしろ礼儀だというような、真摯な気迫に満ちていた。

隙など無い。
だが、怒りや憎しみから来る殺意のような過剰な感情が彼を鼓舞させている様子でもない。

むしろその逆だった。
彼の刃は恐ろしく正確で、冷静だった。
少なくとも英瑠はそう感じていた。

ならば。

自分も、一切の私情を封じてそれに応えなければならないと彼女は考えた。
そうすることが、武人としての張文遠という男の思いに寄り添う、たった一つの手段なのだから。

たとえその先に、どちらかの破滅が待ち受けていたとしても。
もう二度と、朗らかでほの甘いひと時をすごすことが出来なくとも。
二度と、誰よりも聞きたいその声が、聞けなくなったとしても。

英瑠が、深く息を吐いて戟を握る手に力を込めた時だった。


――――――、

「どけェェェ!!!!!」


地を砕くような大声が辺りにこだまする。
英瑠も張遼も、聞き覚えのあったその声に一瞬気をそらせば、馬に跨がったそれは人波を飛び越えて、二人の目の前に降ってきた。

空中で馬から飛び下りた人間は、轟然と空を斬る得物を振り回し、息を呑んだ二人の戟と鉞を思い切り叩き落とすと同時に着地したのだった。

「ええいモタモタと!! 何をやっている!!!」

「呂将軍!」
「呂布殿!」

地に降り立つなり大声で怒鳴った呂布は、大きな方天戟を一振りすると、仁王立ちになって一同を睥睨した。

りょ、呂布だ!!という声が周囲から漏れ、辺りはたちまち騒がしくなる。

「張遼!
貴様いつまで董卓についているつもりだ!
俺は董卓を討つぞ!!」

「呂布殿!!! しかし……!!」

「フン、俺の一撃も受け止められない奴に何が出来る!
どうしても立ちはだかると言うのなら、容赦はせんぞ……!」

呂布は勇ましく吠えると、凶悪な方天戟を張遼の眼前にビシリと突き付けた。
武器を拾う間もなく「くっ、」と声を漏らした張遼は、一歩引くと、膝をつく。
その手は圧倒的な力で武器を叩き落とされた衝撃で、痺れて微かに震えているようだった。

またそれは英瑠も同じだった。
何とか自分の方天戟を拾ったものの、利き手に思うように力が入らない。
それは、得物を強引に叩き落とされた物理的な影響というよりも、呂布の放つ圧倒的な威圧感によるところが大きかった。

鬼神と呼ばれる万夫不当の飛将軍。その名は伊達ではない。

その横顔には、まるで小さな松明だけが頼りだった暗闇に勢い良く燃え盛る篝火が放り込まれたような、確かな熱と安心感があった。


英瑠が呆けた顔で呂布を見つめると、彼はそんな英瑠を一瞥して鼻を鳴らし、その場に居る全員に向かって叫んだ。

「俺についてくる奴はこの先に来い!!!
董卓につく奴はここで死ね!!!」

悲鳴すら漏らす兵たちは、もはや戦意など失っていた。


張遼はというと、彼は少しの間だけ、まるで浜辺で時間をかけて作った砂の城を大波に一瞬で破壊された子供のような、呆気に取られた顔をしていた。

だが彼は痺れた手をさすりながら、「さすが呂布殿……感服つかまつった」とすぐに潔く負けを認めた。

その顔は僅かばかりの苦笑を零したあと全てを吹っ切ったような満足気なものに変わっていて、張遼はそのまま呂布に降ったのだった。



張遼の兵が全て呂布側に着いていくのを見つめていた英瑠は、ホッと胸を撫で下ろし息をつくと、心の中で呂布に感謝した。

そして一旦は蓋をした甘い気持ちを呼び覚ましてみると、あのまま戦い続けていたら張遼を失っていたかもしれないという事実が、堪らなく恐ろしく思えてくることに気付く。

彼とは二度と、殺意を持った命のやり取りはしたくない。
腑抜けと言われようとも、それが英瑠の本音だった。
無論、従来の勝敗から言えば、失われていたのは張遼ではなく自分の命である確率の方が高いのだが。

そんな英瑠の安堵に気付いた張遼は、彼女に歩み寄ると、
「呂布殿に同行し、これからも我が武のあるべき姿を探して行こうと思っている」
と口にした。

英瑠が微笑むと彼も笑みを浮かべ、
「また共に鍛練が出来るな」と続けるのだった。
思わず息を呑む英瑠に向かって力強く頷いた張遼は、はいと答え明るくなっていく英瑠の顔を見つめると、覇気に満ちた表情を浮かべ、兵の元へと踵を返して行った。

英瑠は去っていく張遼の背中を見つめていたが、やがて頬を染めると、照れたように唇を噛み締めて目を伏せるのだった。




「阿呆ども!いつまで手を焼いておるのだ!
早く裏切り者どもを討ち取れい!」

董卓は焦っていた。
寵愛していた貂蝉は裏切り、王允の手引きで敵が誘導され、多くの兵をはじめ張遼までもが呂布につき、虎は残らず回収されてしまった。

帝を保護し、力を手にし、逆らう者たちを捩じ伏せた。天下を掴めると思った。
それなのに。
あろうことか最強の武将である呂布が敵に回り、追い詰められている。
これは許しがたい事態だ。
まだ酒池肉林も極めていないのに、こんなことはあってはならない。

董卓は、憤慨し、激昂した。
そして、喧騒の中怒りに燃えたその瞳の前に、とうとう立ちはだかった人影があった。

呂奉先。

鬼神と呼ばれる存在。
彼の背後には沢山の兵たちと、そして見たことのある女の姿があった。

龍英瑠。
類い稀なる武を持つ女武将。
そういえば、彼女の弟の死罪を免じ、棒叩きの刑に処したことがあったのを董卓は思い出した。

「くっ、ここは通さな……ぐわぁぁ!!」

護衛の兵が次々と呂布の戟に嬲られていく。
英瑠の元に向かった手勢も同じだった。
呂布のそれに似た方天戟を操る女は、向かってきた兵たちを一刀のもとに斬り伏せていた。

「お、おのれ……裏切り者どもめ!
わしの野望が……酒池肉林が……」

怒りに満ちた声で吐いた言葉が、最期となった。

董卓は、構えた剣ごと呂布の方天戟に薙ぎ払われて絶命したのだった。



董卓亡き後、呂布たちは長安に引き返してきた李カクと郭シの軍勢の前に、長安からの撤退を余儀なくされる。
貂蝉は、董卓討伐の首謀者として罪を免れえない王允を逃がすため、呂布の元から去って行った。
必ず戻ってくる、と言い残して。

英瑠は、迷わず呂布と、それに従う張遼についていくことに決めていた。
だが長安には弟が残っている。
一度は命さえ落としかけた弟を、長安に残していくわけにはいかなかった。
董卓に背いた呂布に姉が荷担した以上、弟が李カクと郭シらに裁かれることは必至だろう。
一刻も早く弟を逃がさなければならない。

そんな時。
軍勢をまとめながら内心焦る英瑠の元に、他でもない弟が姿を表した。
彼は、先輩にあたるとある文官から事情を聞いて、荷物をまとめて英瑠について行くため馳せ参じたとのことだった。
そういえば、その文官は先の董卓との戦いの時に共に戦ってくれていたはずだ。
英瑠が文官に礼を述べると、彼も長安には残らずに呂布軍について行くと言ったのだった。

英瑠は、弟に言った。
自分たちについて来るのは、危険もあるし、きつく険しい道程になると。
情勢が変わるまでで良いから故郷に帰りなさいと諭す姉の言葉に、しかし弟は首を振り、たとえ官吏の道を捨ててでも姉について行くと言い切った。
その知謀を以て、姉を――董卓を討った呂布たちを少しでも助けたいと。
英瑠は、弟にも苦難の道を行かせなくはないと渋ったが――
やがて弟の熱意に心打たれ、同行を了承するのだった。

こうして呂布たち一行の、放浪の道程が始まった。



前の話へ  次の話へ

bkm

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -