10.結託


英瑠の弟は衆目の中、棒叩きの刑に処せられた。
たとえ将来有望な者でも、董卓に逆らったらこうなる。
それを身を持って市井の人々に示した弟は、一命は取り留めたものの酷い傷でしばらく寝込む羽目になり、英瑠は時間を見つけては弟の看病に勤しむのだった。

一連の出来事を思い返しながら、彼女は奥歯を噛み締めこみあがる悲しみと怒りに耐えていた。
殴打された背を庇いながら俯せで苦しむ弟の姿を見ていると、この上なく胸が痛む。
心臓を抉られるような痛みだった。代わってやりたいと思った。

いつまでこんなことを続ければ良いのか。

たとえば、自分の主君と他の勢力、両方の立場なりの志や正義が在るのなら、何も迷うことはない。
ただ己の主君の大義に従い、別の大義と戦うだけだ。
だが、今の董卓を心から信じている者が居るのだろうか。
味方でさえ、董卓の顔色を伺い、己の保身に躍起になるだけではないのか。

それはまた、英瑠とて同じだった。
己の保身――己の家族の身に危機が迫ったら。
いとも簡単に、心は折れる。
そういうふうに出来ている。
少なくとも多くの人間は、そういうふうにしか生きられない。

董卓に付和雷同する者たちも、きっと同じなのだ。
己の身もさることながら、家族や一族の命運が賭かっている。
だから軽々しく動けない。彼らを臆病者だと非難する資格は英瑠には無い。

しかし。
だがしかし。

弟と二人で暮らす家に貂蝉が訪れ、あることを口にした時、英瑠は心を決めた。
念のため断っておくが、貂蝉に借りがある故そうするしか無かった面はあれど、決して選択肢がないわけではなかった。
しかし彼女は自分で選んだのだ。

すなわち、貂蝉と呂布に協力して董卓を討つことを。

――たとえ、事情を知らない張遼と、戦うことになったとしても。


貂蝉の身の上と課せられた使命を聞いた時、英瑠は言葉も発せないほど深い衝撃を受けた。
まるで、体の中に重い石を沢山詰め込まれたようだと思った。

貂蝉は、国を乱す董卓を除くためにあえて董卓に取り入り、呂布にも近づいて、二人を反目させて呂布に董卓を倒させるつもりだったらしい。
養父である王允の育ての恩に報いるため、その身を捧げたとのことだった。

貂蝉は口には出さなかったが、あの時貂蝉が英瑠の弟の命を助けるよう董卓に進言してくれたのはきっと、英瑠に貸しを作って、董卓排除に協力させる為だったのだろう。
英瑠は薄々それに気付いていた。
しかし英瑠は、何より貂蝉のその悲壮な決意に純粋に心を打たれ、彼女に力を貸すことにしたのだった。



「なにぃ!? 呂布と貂蝉らが裏切っただと?
ええい、まとめて八つ裂きにしてくれるわ!」


長安で反董卓のために立ち上がった一同は、王允と協力して速やかに董卓のもとを目指すのだった。

彼らは英瑠に役割を与えた。
政変に怒った董卓は、宮城のあちこちに虎を放ったらしい。
それらをなだめ回収し、反乱軍が安全に進攻できるようにし、それが済んだら董卓の元に急げとのことだった。
いつかの虎との一騎打ちを思い出し、英瑠は苦笑を浮かべつつも、与えられた役目をこなすために走り出した。


***********************


とある文官が居た。
彼は文官ではあるが武芸にも優れ、軍を率いたこともあった。

先日、彼の同僚が捕まり、死罪に処せられた。
その同僚は、董卓暗殺を企てた者の一族の人間だった。
それゆえ、同僚も連座で死罪を言い渡されてしまったのだ。
彼は同僚を救えなかった。
庇ったら、彼も同罪として連行されてしまうからだ。
彼は、死に逝く同僚を哀れみながら、ただ黙っていることしか出来なかった。

しかし。
その同僚を庇った人間がいた。
その教え子で後輩でもある、一人の歳若い新人官吏だった。

彼は恐れずに師を庇い、その巧みな頭脳と弁舌で一度は光明を見出だしたものの、結局は董卓の権力には抗えず一緒に連行されてしまった。
それを見ていた者たちは、董卓の力に怯え、怒り、自分たちの無力さに落胆し、あるいは董卓に逆らうなどと馬鹿のすることだと陰口を叩いた。

後日、董卓暗殺の首謀者一族の処刑が行われた。
文官の同僚もそこに列せられ、この世を去った。
しかし死罪だとばかり思っていた年若い後輩は、棒叩きの刑に処せられ、何とか一命を取り留めたらしかった。
彼の姉は、怪力を持ちあの呂布と同じ方天戟を振るう女武将だと聞いた。
風の噂では、姉路線で何か救命嘆願があったのだろうという話だった。

文官は、自宅で療養する後輩を訪ね、命を賭けて師を庇ったその勇気を讃えた。
文官は、己の実務的な能力とは違う本質的な部分において、確固たる意志を持たず時勢に流されるだけだという平凡な自分の性質を自覚していた。
だからこそ、死を恐れない後輩や、男ばかりの軍に恐れず混じるその姉に、畏敬の念を抱いたのだった。

歩行さえも困難になった後輩は苦痛に耐えながらそれを聞き、言った。
ならば、どうか姉の力になって欲しいと。
今はそれ以上は言えないが、姉はきっと大きな流れに乗って動くだろう。
その時は、力を貸してあげて欲しいと。

勿論無理強いはしない。
しかし、こんな目に遭って、見舞いに来てくれた人間は姉以外では貴方だけだった。
他の人間は、私が董卓に目をつけられたと知って、あれほど将来有望だと讃えていた者たちも蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった。
そんな中で、貴方だけは年下である若輩者の私を気遣い、こうして見舞いに来てくれた。
だからこその願いであります、と……。


果たして文官はそれを受け、後輩の姉――龍英瑠に力を貸すことを決めた。
あの飛将呂布が、董卓を討つために立ち上がった時に、それに応じた英瑠を、支えるために。

今まで数多の人間が、董卓を討たんとし、そしてしくじり、散ってあるいは逃げて行った。

しかし今度は呂布である。
董卓が誰よりも信頼し身辺警護を任せた義理の息子。
彼が董卓を討てなければ、もはや長安に未来などないのだ。
だからこそ力を振るう。

全力で董卓を倒すために。


文官はここに至った経緯を思いだしながら、英瑠の側で剣を振るっていた。

英瑠は、立ちはだかる董卓兵に呂布の名を以て帰順を呼びかけ、それでも応じない者には戟を向けていた。
彼女が方天戟を振るうたび、兵たちが弾け飛ぶ。
まるで、穏やかな水面を手の平で激しく叩きつけたときのように、勢いよく。

文官は彼女の武を間近で目の当たりにして、ひどく現実味の薄い光景だと思った。
しかし目の前で起きていることは紛れもなく現実である。
あの年若い弟が姉を慕うのもわかる気がすると思った。
そんなことを考えていた時。

「危ない!!!」

文官の体は、何か大きな力に引っ張られたように横に飛ばされていた。
硬直した視界の片隅を、人ではない何か大きなものが通りすぎて行く。
獣の咆哮――董卓が野放しにした虎だった。

文官の口からヒッという短い悲鳴が漏れた時には、何者かが虎と対峙していた。
他でもない、龍英瑠だった。

彼女はどうやら、物陰から虎が飛びかかってきたことにいち早く気付き、襲われる寸前の文官の体を引っ張って助けたらしい。

彼女は方天戟の柄で虎の突進を抑えこむと、重心を片足に集束させ、もう片方の足で虎の顔を下から蹴り上げた。
そんな馬鹿な、と思った時には、虎は猫のように軽々と空中に放り出され、ずんという地響きとともに地に叩きつけられた。

誰もが言葉を失う中、英瑠は次々に現れる虎を戟の柄で薙ぎ払い、蹴り飛ばし、虎に怯える人間たちを下がらせて一人で虎たちを制圧してしまうのだった。

やがてすっかり大人しくなった虎の捕獲を後続の部隊に任せると、英瑠は、先を急ぎましょう!!と言って皆に振り返った。

彼女の力を目の当たりにした文官は、世界の広さと深度を改めて実感し、戦慄し、感嘆を覚えたのだった。


――そんな彼女が、立ち止まってしまった。

董卓の居城への進路の一つを塞ぐように立ちはだかる兵たちと、一人の将。
その武将のことは知っていた。
優れた武勇で知られる猛将だった。

張文遠。

その将に相対して、英瑠は手にしていた戟を地に置くと、黙ったまま拱手をした。

そして、ざわめく背後の仲間の前で、戟を拾い、もう一度手にすると、今度はその方天戟を、ゆっくりと張遼に向けるのだった――



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