7.反董卓連合軍


龍英瑠にとって、董卓は難敵であった。

董卓はまず、軍中で鍛練を積む英瑠を見て、女官が武芸の真似事をしていると思い、訝しんだらしい。
側近に、あれはこの前仕官された滅法腕の立つ女武者でございますよと説明され、どの程度強いのだと問うていた。
側近が、虎を殺さずに素手で気絶させるくらいですと答えてしまったばっかりに、その虎が他でもない自分のものだと知った董卓は、烈火のごとく怒り出した。

何も知らなかった側近は青くなってその場にへたりこんでしまう有様で、
わしの虎に手をかけるとはどういうことだとその場で英瑠に食ってかかった董卓に、周りの者が呂布の名前を出したところで何とか彼は落ち着きを取り戻したが、今度は英瑠の顔をまじまじと観察すると、
「なんじゃ良い女ではないか! 男に混じって武器を握らせておくにはもったいないわ!
力が強い? どれ、その身体、あとでわしが隅々まで調べ尽くしてやろう!!」
と下品な大声で笑い、去ってしまうのだった。

身体で出世を得るなどは不本意であり、そもそも……、口には出すわけにはいかないが、董卓のお手付きになるなど考えただけでも身震いしてしまう英瑠が、どうしようかと困惑した頃。

董卓暗殺に失敗した曹操が激文を飛ばし、名族袁紹の元、反董卓連合軍が結成されたという知らせが洛陽に届いた。

どよめき立つ洛陽の宮城。
こうなるともう、ふざけたことを言っている場合ではない。
董卓は、さらに兵馬を集め、将兵の訓練に念を入れた。
高まる戦の気運。

折しもこの頃、英瑠の弟を通じて英瑠が仕官したという話を聞き付けた故郷の仲間――あるいは依頼で知り合った有力者や、あるいは道場で知り合った者など――が、彼女の武を慕い、地元で募った兵を率いて洛陽に集まっていた。
英瑠は張遼を中心とする武将の中で軍隊の基礎を学び、規格外の力で以て副将として頭角を顕してきており、彼ら故郷の仲間は皆英瑠の隊に志願すると、彼女を支える槍となりその力を振るうのだった。

さらに董卓は、周囲の諌めも聞かず強引に都を洛陽から長安へ遷すことを決めてしまう。
英瑠の弟も長安に移ることになり、英瑠は董卓や呂布について洛陽に残り連合軍と戦うことになるのだった。


弟が洛陽を発つ日。

「姉様。曲がりなりにも姉様が仕えている主を悪く言うのは申し訳ないとは思いますが……
董卓にはくれぐれも気をつけてください」

神妙な様子で切り出す弟に、英瑠は柔和な表情を崩さないまま答える。

「はい。戦が始まった為、もはや戯れている余裕はないので大丈夫ですよ。
それに、最近董卓にはお気に入りの美女が出来たという話を聞きましたし」

「そうではありません……!
姉様も董卓の暴虐を知っているでしょう……!
董卓のような輩はきっと、追い詰められたら部下さえ躊躇いなく切り捨てますよ。
そうなったとき姉様はどうしますか……?
賢い鳥は良い木を選んで棲み、賢い臣は良い主に仕えると言います。
……董卓は、姉様が一生仕えるべき主であるとは思えません。
どうか、よくよく考えてください」

事の本質に気付いていない姉に思わず強い口調で念押しする弟の言葉に、英瑠は深く頷いた。
しかし、その後でこう続けるのだった。

「そうですね……
でも私は、主を選べる立場にはありません。
董卓を主とする張将軍に拾っていただき……何とかここまでやってきました。
私は少し腕が立つだけで、他には何の力もありません。
ただ与えられた役目をこなすのみです」
と。

だが弟は拳を握り説得するように、
「そんなことはありません……!!
姉様は、自らで考え武の道を志し、固い意思を以て故郷を出て今まで歩いてきたではないですか……!
もっと自信を持ってください。
そして、必要になったときは己が正しいと思うものに従ってください!
私はいつでも姉様を支えたいと思います。
困った時は遠慮なく私を頼ってください。
若輩者ですが、一時は神童とまで言われた私の智謀を、是非姉様のために使いたいと思います……!」
と、懇願するように異母姉に熱く語るのだった。

英瑠はそんな弟に心から感謝し、親愛の情を一層深くした。
半分しか血の繋がらない弟。
姉が人ならざる者だと噂されても、その真相を問い質さずに、ただその力に尊敬と憧憬の念を抱き続けてくれた異母弟。

弟の期待に応えるためにも、さらに腕を磨き、将軍として経験を積んで行こうと誓う英瑠なのだった。

さらに弟は、英瑠のために実家の財を密かに使い、彼女の武器を用意していた。
長身の男性武将に比べて手足の短い英瑠は、剣では攻撃範囲的に不利であろう。
常軌を逸した腕力があるのなら、戦場では重い長物を振った方が良い――
故郷の道場の師範に、そんなことを言われたことがあった。
ゆえに仕官してからはもっぱら槍や戟を手に鍛練を重ねてきた英瑠であったのだが。

――方天戟。

弟が他でもない最も敬愛する姉の為に用意したのは、あの飛将軍と同じ武器だった。
勿論、位の高い彼のものよりは一回り小さいし、質も落ちるものではあったが。

しかし、並の兵には到底振り回すことなど出来ない重量を誇るそれは、英瑠の目の前で堂々たる存在感を醸していた。
部屋の灯りを照り返しぎらぎらと鈍く光る刀身と、その分厚い刃を支える太い柄。

ゆっくりと握り、感触を確かめるように刃をそっと下に向ければ、もはやいても立ってもいられなくなった英瑠はそのまま外へ飛び出すと、広い空間で独り、まるで水を得た魚のようにたった今手に入れたばかりの得物を一心不乱に振り回すのだった。

ちなみにそれを嬉々として眺めていた弟は、風圧で衣の裾がめくれあがるのも気にせず姉の刀舞に見入り、
『狂ったように方天戟を振るう女と、それを狂ったように輝く瞳で見物する男』という異様な光景は、一部で怪談の類として噂になってしまうのだが……、当人たちがそれを知ることはなかったのだった。




やがて反董卓連合軍との戦が始まった。

董卓は連合軍を寄せ集めと揶揄していたが、続々と集まる連合軍に押し返され、とうとう前線部隊を見捨て長安に撤退すると宣言するのだった。

「お前たちは皆、長安までわしを護れ!
勝手に離れることは許さん!!」

虎牢関。
そこで英瑠は、呂布や張遼、そして董卓に付き従う美女貂蝉等、並み居る将らの末席として奮戦を続けていた。

「報告! どうやら連合軍の前に、華雄様をはじめとする前線部隊が苦戦している模様です!」

華雄は董卓軍の猛将である。
連合軍相手に、虎牢関は抜かせまいと奮戦を続けていた。
しかし本隊との連携が断ち切られれば、連合軍の包囲の中いずれ孤立し壊滅してしまうことは必至。
救うには、援軍を送る必要があった。

呂布は迷わなかった。
元々呂布は、撤退には反対していた。
だから董卓の元を離れ前線に向かおうとしたのだが……、董卓が頑としてそれを許さなかった。
呂布は統括する軍の多さから自由に動けなかったこともあり、また他の部隊は董卓の絶対的な命令に逆らえず口をつぐんだ。

ここで董卓について行けば、身の安全は何とか保証されるだろう。
しかし、前線の猛将は助からない。
味方を見捨て、董卓と共に安寧を求めた先に何があるというのか。
帝を擁する董卓の安全を確保するためだけに将や兵は疲弊し、すり減っていく。
元々、戦場でなくたって董卓の横暴には皆怯えている。
逆らわない者だけを近くに置く董卓の側に居たところで、その先に見える世界はどんな景色だろうか。

武に惹かれた。己の武を示すことに心が躍った。
究極の武を見てみたいと思った。武を極めたいと思った。
乱世で己の力を以て道を切り開きたいと思った。
病の末この世を去った父や、苦慮しながらも破天荒な人外娘を育てた継母への孝の道に背いてでも、貫きたいものがあったはずだ。
亡き父や、弟の期待に応えたい。
人ならざる実母から受け継いだ力を、人の世で人として振るいたい。

そのためには。
そのためには、今、自軍の大きな力である勇将を見捨ててはいけないのではないか。
助かった将は、この先も戦場に華を咲かせるだろう。
まだ見ぬ決戦において、必ず必要な時が来るだろう。

英瑠の脳裏に、弟の言葉が浮かび上がる。
『董卓は、追い詰められたら部下さえ躊躇いなく切り捨てる』
彼の言葉は恐ろしいほどすぐに的中した。

そして、同じく彼が語った一言。

『己が正しいと思うものに従え』

その言葉は、英瑠の心に深く突き刺さった刺のように、いつまでも頭の中に反響し続けるのだった。

英瑠はゆっくりと眼を閉じ、それから息を吐く。
そして、ゆっくりと、決意に彩られた双眸を見開いた。

そうして、逡巡した揚句、心を決めた。


「どうかお願い致します。私を前線に行かせて下さい」

英瑠が頭を垂れた『相手』は。
フン、と鼻を鳴らして、不敵な笑みを浮かべた。

そして、――



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