8.伸ばした手の先に


英瑠は脇目も振らず馬を疾らせた。
まるで、勢い良く放たれた矢のように。ただ速く。

彼女の眼には未来しか映っていなかった。
ただ一つ、孤立無援で奮戦する味方を助けた先に見える世界を守る為。
放っておいたら早晩敗死するであろう、将を、兵を救う為。
その為だけに、手綱を握る。

英瑠は、自分の力が大きなものであるなどとは思っていなかった。
人ならざる者の血が交じれども、所詮は匹夫の勇。
兵を与えられたとはいえそれを率いる力はまだ未熟だし、戦場でも机上でもまだ学ぶべきことは沢山ある。
それは痛いほどよくわかっていた。
わかっていたからこそ、前に進んだ。

極論してしまえば、未熟な自分の命よりも、経験豊富な歴戦の勇士である華雄の命の方が重いのだ。
自分が戦死することはあっても、彼のような有望な将がこのような戦で死ぬことがあってはならないのだ。
英瑠はそう考えていた。

絶対に救ってみせる。
今率いているのはもはや、自分の兵だけではないのだから。



――話は出陣前に遡る。

張遼の副将として出陣することが多かった英瑠も、経験を積み、最近は将軍の末席として一個の軍を任せられることも増えていた。

そんな折。
張遼ではなくあの呂布が、ようやく英瑠にまともな口を利いたのだった。
恐縮する英瑠に呂布は、己の騎馬隊を分けてやるから軍に入れておけと言った。
他でもないあの万夫不当の呂布の兵を、分け与えられるとは……
英瑠は面食らった。
恐れ多かったし、真意がわからなかった。

たしかに、騎馬隊なら早く戦場に向かうことができる。
だが、董卓が一番頼りにしている花形の将軍呂布が、将軍の末席に居る英瑠などに己の兵を貸し与えるなどとは……。

しかし、呂布がそう言うならそうするしかない。
だから黙って従ったのだった。


敵影が視界から消え一時の安息を得た英瑠は、馬を疾らせながらその事を思い出していた。
そして、それをここに向かう直前の出来事と繋げ合わせた。

董卓から離れ、前線に向かわせて欲しいと申し出た時。
呂布は、反対はしなかった。ただ一つ、
「俺の兵は強行に慣れている。
せいぜい強大な武を示してやることだな」
とだけ言った。

その言葉の意味を、英瑠はようやく知ることになる。

騎馬隊を率いて進軍して行くと、進路を塞ぐように陣取る敵軍を発見した。
数は同等だったが、まともに相手をしていたら時間を取られること確実だった。
今は一刻も早く前線に向かわなければならない。

英瑠がどうしようかと考えていると、隊長に出世していた同郷の仲間らが、隊を分けて彼女は先に行くよう進言した。
危険だが、まず先行する英瑠の騎馬隊が自慢の突破力で奇襲をかけ敵を混乱させ、そのまま敵軍を突破して華雄の元へ急ぐ。
次に、残る騎馬隊が地形を利用しさらに攻撃をかけ、のちに追いついてくる歩兵と合流して敵を叩き、適当に足止めしたら退く。
との事だった。

英瑠も同意したところで、では誰がさらに危険なこの先に着いてくるかとなった時。
名乗りを上げたのは他でもない、呂布から預かった隊だった。

彼らは、英瑠が先頭に立って敵陣に切り込むなら、何があってもお供しますと言った。
英瑠は驚いたが、すぐに理解した。

呂布の言葉が蘇る。
彼はこの為に己の兵を預けたのだと感動してしまうのは、いささか感傷的にすぎるかもしれない。
けれども彼は、決して気まぐれや戯れからこうしたのではないだろう。
英瑠は理解し、そして即決した。

軍を分け、呂布配下の騎馬隊を率い、方天戟を振るって勢いよく敵軍に突っ込むと、海を割るように敵の中を駆け抜け、強引に突破した。
呂布の兵は彼女の武を見て沸き立ち、一心不乱の強行にも遅れず着いてくる。
英瑠は彼らの士気と技量の高さに、改めて呂布の力を思い知ったのだった。

そうして、脇目も振らず走った先で、ようやく交戦中の華雄軍と敵軍を見つけると。
馬を踊らせ、敵軍を挟撃する形で突撃を敢行するのだった。

向かってきた龍琉軍にたじろいだ敵軍は、その先頭に、周りより一回り身体の小さな将が居るのを見て、目を疑ったらしかった。

「龍英瑠、いざ参る!!!!!」

戦場に響き渡るのは、場違いな女の声。
しかしそれは、烈火の如き獣の咆哮だった。

方天戟を振るう度、敵が弾け飛ぶ。
獣の膂力を以て繰り出される一撃は、進路上の障害物を全て薙ぎ払うのだった。

「おお……救援か! すまん、恩に着るぞ!」
劣勢だった華雄も素早く反応し、敵に猛反撃を開始した。
敵陣を斬り進んだ英瑠はそのまま敵を分断すると華雄と合流し、足並みが乱れた敵軍を叩いた。
体格に釣り合わぬ方天戟を振り回す女将軍に、誰かが化け物だと叫ぶと、敵はますます混乱し怯え、機を逃さない華雄はそれを狩り取った。

こうしてあらかた劣勢を覆した彼らは、勢いに乗って他の諸将も救援すると、敵増援が来る前に共に撤退していくのだった。



帰ってきた英瑠を出迎えたのは、董卓の罵声と鉄拳だった。

「阿呆が!! わしの命令に逆らいおって!!
斬り刻んでくれるわ!!!」

董卓の蹴りをあえて受けた英瑠は、踏ん張ることはせず衝撃に身を任せた。

無様に地を転がる体。
自慢の力を示して立ち続けるよりも、そうした方が董卓の怒りが早く収まると思っての判断だった。
蹴られる瞬間体を引いて当たりを浅くし、かつ転がっても受け身をとったため別段問題にするほどのものではない。
しかし彼女は立ち上がれないというふうに苦悶の表情を浮かべ、そのまま董卓の怒りが過ぎるのを待つことにする。

「呂布の騎馬隊まで連れていきおって!!
わしに何かあったらどうするつもりじゃ!!」

地に這いつくばったままの英瑠にさらに罵声を浴びせかける董卓を、側に侍る貂蝉は眉根を寄せつつも黙って見、自分が推挙した後輩が蹴られたのを目の当たりにした張遼は一歩足を踏み出した。
だが呂布がそれを遮り、騎馬隊は自分が預けたのだと告げる。

さらに呂布は、
「フン。俺や張遼ならともかく、そいつのような駆け出しの将に何が出来る。
前線の味方を救えれば良し、救えずにくたばっても問題はなかっただろう。
だから行かせただけだ」
と続けた。

それで不満げな董卓はようやく英瑠から目を離すと、
「ふん! まぁ、前線の部隊を救援したこと自体は褒めてやらんでもない。
が、次は無いぞ!! 今度わしの命令に逆らったら、首が飛ぶと思え!!」
と吐き捨て、貂蝉の肩を抱き寄せると、
「しかしよくやったぞお前たち!
分の悪い戦など阿呆のすることよ!
このまま長安で帝を戴けばわしの勝ちじゃ!!! ぐふふふ…!!」
と吠えて醜悪な笑みを浮かべるのだった。

英瑠はよろよろと立ち上がりながら、董卓に肩を抱かれた貂蝉が氷のように冷たい表情を浮かべているのを見た。
張遼は、「それでは虎牢関で倒れた者たちが、」とやりきれなさを滲ませた様子で呟き、
呂布は背を向けて歩き出すと、「これが奴の戦か、」と冷めたように吐き捨てた。

普段は表立って董卓の不満をこぼさない董卓軍の将も、存外一枚岩ではないのかもしれないと英瑠は考えた。




「大丈夫ですか」

長安への道すがら。
隊列に混じり、馬にまたがって歩を進めながらこれからのことを考えていた英瑠に掛けられたのは、鈴を転がしたような優美な女性の声だった。
顔を向ければ、先程まで董卓の隣に居た美女貂蝉が、馬に乗って優雅に手綱を握っているではないか。

隊列を乱さぬよう馬をゆっくり寄せてくる彼女に拱手をし、身体に異常はないことを告げる英瑠。
貂蝉は、「女同士、何か困ったことがあれば私におっしゃってくださいね」
と涼やかな声で言い、思いがけないその言葉に英瑠は戸惑いの念と感激の念の両方を感じるのだった。

そのまま二人は轡を並べながらいくばくか会話を続けると、やがて貂蝉は馬を操りゆっくりと英瑠から離れて行ったのだった。

貂蝉の、ため息が出るほどの美しさと、纏う心地良い香り。
そして徹底的に人を不快にさせない気品溢れる話し方に、英瑠は同性ながら顔が火照るのを自覚した。
さらに、埃に塗れた自らの手や装束を見遣った彼女は、少しだけ肩を落として苦笑するのだった。



華雄は、素直に英瑠に援軍の礼を述べた。
しかし英瑠は、自分が援軍として率いた部隊が呂布の配下であることを告げ、援軍に向かうことが出来た事自体も、呂布の配慮であることを伝えた。
それを聞いた華雄は呂布のところへ向かい、礼を述べた。
つまらん戦で死ぬことはない、と口にした呂布に、華雄は、
「まったく、でかい借りができたわ」
と言い、笑みを浮かべるのだった。

そんな二人を見て英瑠は、あの決断はやはり間違っては居なかったのだと胸を撫で下ろした。
元々あったかなかったかわからない董卓からの信頼を捨てて、味方の命を取ったのだ。
主君の元で働く将としては褒められた行為ではないのかもしれない。
しかし英瑠はこれで本当に良かったと思えた。心からそう思ったのだった。

「ただの雑魚かと思っていたが……
最低限、方天戟を振るう資格はあるようだな」

すれ違い様、呂布にそう告げられた。
去って行く彼の顔を見遣れば、その口元は僅かに笑っているように思えて。
英瑠は、まるで大きな篝火が生む熱風を全身に浴びたように、心が熱く燃え上がるのを実感するのだった――


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