6.仕官


「英瑠殿と言ったか。単刀直入に訊く。
……貴公は何者だ?」


場所を変え人払いが済むと、張遼はまずそう切り出した。

一瞬、間があって、一度名乗ったはずの身分と出身をもう一度告げた英瑠を「そうではない、」と遮る張遼。
その目には、ごまかしは許さないというふうに威圧が篭っていた。

「あ……、」

英瑠の心臓が不穏な音を立て跳ね、唇が意思に反して自然と震えていく。
何を問われているのか、すぐに気付きはした。
しかし、あの突拍子もない『噂』なり『出生の秘密』なりを、自分の口から告げるのはおおいに勇気が要った。
いつかの恩から、慕っている武将相手なら尚更。
その恩人に、ありとあらゆる場面で見た『拒否反応』をされるのはさすがにこたえるという臆病な気持ちも正直あった。

しかし問われているなら言わねばならない。
英瑠は、様々な事実と想いに囚われながら、何と切り出したら良いかと逡巡していた。

「勘違いされるな。
貴公の素性を疑っているわけではない。
我が勢力に敵対する間者の類であるなら、このような問答はせず直ぐに突き出していよう」

彼女の戸惑いを見かね、口を開いたのは張遼だった。
彼は続けた。

「私が言いたいのはもっと別のことだ。
その武、およそ人の……、女人が持つものではないであろう。
たとえば、純粋な腕力は及ばずとも、技に優れているという達人なら、理解はできよう。
そのような武人は幾人も目にしてきた。
しかし貴公は逆だ……!
技は、研鑽を積んでいるとは思われるが、まだ達人の域には達しておらぬ。
歳若い故、恐らく経験不足なのであろう。
だが、身体能力がずば抜けている。
その華奢な体躯から繰り出される膂力が尋常ではない……!
自然の理、人体の法則のようなものを無視した武……!!

……ゆえに、その力は、人の理を外れた何か別のものだと推察した次第。
もし不快に感じたなら詫びよう。
しかしその武の正体、是非ともこの張文遠にはお聞かせ願いたい」

凛々しい切れ長の双眸を真っ直ぐに向けながら張遼はそう語った。
その一語一語には有無を言わさぬ強い意思が込められ、しかし誠実であった。
その物言いに何故だかとても安心感を覚えた英瑠は、覚悟を決めると、ゆっくりと自分の正体について語り始めるのだった――


自分を慕ってくれる弟にさえまだ明かしてはいない、出生の秘密。
半人半妖。母は神仙か妖魔か……とにかく、人ではないこと。
幼い頃から力が尋常ではなかったこと。
それゆえ、悪い噂が立ち縁談もまとまらなかったこと。
普通の女子としての道を外れ、武の道を志したこと。
父親にそれを認められたこと。

すべてを打ち明けながら英瑠は、これで荒唐無稽だと詐欺師扱いされたり、または他の者がしたように非人間だと罵られるなら、もう仕方がないと思った。
他でもない張遼にそれをされるなら、もう仕方がないと。
すべてを諦めて洛陽から出て行こう。
そんな自暴自棄な気持ちさえ覚えた。

しかし。

すべてを黙って聞いていた張遼は、疑いの目を向けるでもなく眉をひそめるわけでもなく、
「そうか、だからあのような……」と、一人で得心がいったように深く頷くのだった。

「張将軍……
このような胡乱な話をお聞きくださり、有難うございます……。
私は武の道を極めたいと思い、不孝ながらも、ここまで参りました。
もし、天下に、私のような人ならざるものが存在してはならないのであれば……、
私を必要としてくださる方がもう、都に一人も居ないのであれば……、
私は早晩、ここを去りたいと思いました。
将軍に再会できたことで今、心が決まりました。
図々しいお願いだとはわかっておりますが、兵の方々から掛けられた疑いを、もし赦していただけるのであれば……
どうか、どうか……、このまま私をお見逃し願えませんでしょうか」

英瑠は、懇願するような、すべてを諦めたような切ない声でそう告げた。
彼女の顔を見たものが居るならば、その顔は今にも泣き出しそうな、悲痛に彩られたものだったと言うだろう。

事実張遼にもそう見えたのだろう。
彼はぎょっとしてから咳ばらいをすると、
「そなたを見逃すことは出来ぬ」
と答え、さらに顔色を曇らせた英瑠に矢継ぎ早に、
「私の話を最後まで聞いてもらいたい。
貴公の力の所以はよく解った。
その力が疑いようのない確かなものであることは、実際に手合わせしたこの私が保証しよう。

英瑠殿。
今度は是非、得物を取ってその腕を拝見させていただきたい。
他でもない、我が軍中にてだ」

張遼の言葉の意味がすぐには理解出来なかった英瑠は、眉尻を下げたまま口をつぐんだ。
ややあって、これは他でもなく、自分がずっと待ち望んでいた道が張遼から示されたのだと知り、目を丸くするとそれきり呼吸を失ってしまうのだった。

歓喜に打ち震える心は、激しく胸を締めつけ、最善の言葉を模索することすら許してくれない。

やがて英瑠の目から嬉し涙がこぼれ落ちると、張遼はあからさまにうろたえて、
「っ、何か気に障る事を申したか!
私は武人ゆえ、女人の繊細な感情は理解出来ぬのだ……、許されよ……!」
などと言うものだから、英瑠は涙を浮かべながらも慌てて首を振り、それが嬉し涙であることを彼に説明する羽目になった。

何とか納得した張遼が、また、
「ううむ……拳で打たれ地に転がっても闘志を崩さず在るのに、喜びで涙を流す女人か……何とも興味深い……」
などと険しい顔で呟いたので、英瑠は羞恥に顔を染め、普段の己の涙脆さを恥じて手で涙を拭うのだった。

だが張遼はさらに、
「英瑠殿。顔に泥がついているぞ。
手で拭っては、余計広がってしまわれよう」
と続けるものだから、英瑠はいたたまれなくなって、顔を拭おうと自身の袖を見遣る。
しかし袖はあちこち泥だらけで、本当にどうしようもなくなって愕然とする彼女に、張遼は「失礼する」と言って、懐から出した手巾で英瑠の顔をそっと拭うのだった。

羞恥と恐れ多さで、英瑠の顔がさらに朱に染まったことは言うまでもない。


かくして。
龍英瑠は、張遼を通じ董卓勢力に仕えることになるのだった。


***********************


張遼がまず話を通したのは、あの飛将軍、呂布のところだった。

興味深い逸材を見つけ、しかもそれが女だという話に、呂布は、いつもの調子で「フン、下らん」と言い、しかし「そんなに強い女なら連れてきてみろ」と続け、呂布の前に英瑠が連れて来られた。

最強の武将と噂される呂布との対面に、英瑠は歓喜し、恐縮し、感動していたようだった。

呂布は飽いていた。
思うがまま武を振るえると董卓についたは良いが、董卓は帝を手中に収め、力の無い雑魚の群れを力で捩じ伏せていい気になるばかり。
呂奉先の求めるものは、武は、そんな瑣末なところには無い。

呂布は刺激を欲していた。
だから、あまりに張遼が言うものだから、面白半分で英瑠の前に董卓が飼っている虎を一匹放ってみた。
彼女の得物は、小さな手に握りしめた一振りの剣のみ。
周りの人間が呂布を恐れて控えめに諌める中、呂布は僅かな好奇心だけで一人の女と一匹の獣の行く末を見守った。

そして。

龍英瑠と名乗った女は剣を抜かずにその場へ投げ捨てると、空手で虎の前に立ちはだかった。
襲いかかる虎を跳躍でかわし、その背に飛び乗ると、頼りない細腕で暴れる虎を背後から抑えつけ、首を締めあげた。

誰もがそんな馬鹿な、という表情をする中、虎は気が抜けたように大人しくなり、すぐに動かなくなった。
殺したのかと訊けば、気絶させただけだと言う。

呂布は彼女の返答に、大声で嗤った。
周りの人間はそれを見て一言も発せなかった。
やがて呂布は、
「面白い。だがぬるいな。
張遼、こいつを育てたいなら勝手にやれ。
モノになりそうだったら戦場で使ってやってもいい」
と吐き捨てて、不敵な笑みを浮かべたまま去ってしまうのだった。

彼女の素性を訝しんだ誰かが呂布を諌めはしたが、彼が振り返ることは無かったのだった――


***********************


「……奉先様。
何か楽しいことでもおありになりましたか?」

「貂蝉。……何故そのようなことを訊く」

「奉先様が、何だか楽しそうな表情をしてらっしゃいましたので。
奉先様にそのようなお顔をさせる出来事とはどんなことか想像していたのです」

「そうか。
……フン、なに、多少面白い余興を見ただけよ」

「まぁ……。奉先様がそのようにおっしゃる余興、是非私も拝見してみたいものです」

「ああ。そのうち見せてやる。
……あのまま使い物になればの話だがな」



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