宴・後


張遼が英瑠の身体を抱きかかえ寝台に横たえると、あとはもう二人だけの時間なのだった。
彼は暴発しそうな熱に押され、英瑠に覆い被さると胸元を開き、こぼれ落ちた膨らみを大きな手で揉みしだいた。

「あっ……!」
「すまぬ、余裕がないゆえ……、乱暴にしすぎていたら申されよ、」
「……、っ、あぁっ」

宴の為に調えたきらびやかな衣の中に浮かび上がる英瑠の白い素肌に、張遼は背徳感を覚えた。
胸の頂に舌を這わせれば、彼女は身を捩り、紅で縁どられた唇から甘い吐息をこぼす。
曲線を描く肢体に手を伸ばしかけて、早まったかと自戒する張遼だったが、だが英瑠は彼の手に自分の手を重ね、まるで誘導するように衣の裾をたくし上げるのだった。

「私も、我慢できないのです、文遠様……、
文遠様の熱に、当てられてしまったようで」

英瑠は息を乱しながら、欲情した眼でそう漏らした。
そのあまりに艶めいた物言いに自制出来なくなった張遼は、
「煽ってくれるな、」と、これ以上事を急いたら英瑠を乱暴に扱ってしまうと言外に仄めかすのだが、英瑠は意に介すどころかさらに続けて、
「私が丈夫なのは、文遠様も知っていらっしゃいますでしょう……?
どうか熱の赴くまま、手酷く扱ってくださいませ」
などと言うのだった。

さすがの張遼も驚いて、「何を、」とは返すのだが、しかし彼女の色香に当てられたように、理性と切り離された身体が、本能的に英瑠を求め、下半身をまさぐってしまう。
彼女は咄嗟に手で口を抑えると、身体をぶるりと震わせ腰を浮かせるのだった。
すでに衣を濡らしそうなほど潤ったそこに、張遼が最後の理性を動員して英瑠の腰周りの衣を全てたくし上げて汚さないよう気を使えば、あとに残ったのは狂おしいほどの熱情と欲だった。

彼女の言葉に甘え愛撫もそこそこに屹立した熱を突き立てれば、彼女はまた手で口を抑え、声を潜めて喘いだ。

文字通り秘め事だとはいえ、英瑠の嬌声が聞けないことに残念さを覚えた張遼は、彼女の手を引き剥がし唇で唇を塞ぎながら、彼女の中を抉じ開けるように腰を落としていく。

「んっ、んっ……! はっ……、あ……っ!」


その時だった。

『手の空いている使用人は全て集合せよ!!』

廊下に、男の声が響き渡った。

「っ……!!」
英瑠と張遼は息を呑み動きを止めると、そのまま微動だにせず声を殺して気配を伺った。

『しかし、まだ将軍たちが部屋に』
『構わぬ。彼らは時間になったら自分たちで来る故、そのままにしておいて構わないとの殿の仰せだ。
それよりも宴の準備が遅れているのだ!
人手が足りぬ故、皆集合して作業に当たれ』
『かしこまりました』

バタバタと人間たちが廊下を走り去っていく音。
ややあって、周囲からは人の気配は完全に消えたのだった。


「…………」

英瑠は控えめにくすりと笑うと、張遼に視線を戻した。
張遼もそれに答え笑みを浮かべると、「仕方がないな、」と意味深に呟き、再び腰を揺らすのだった。

人気の消えたことに安堵した英瑠が息も絶え絶えに張遼を受け入れながら声を漏らすと、彼は我に返って声をかけた。
「すまぬ、痛むか」
だが英瑠は反射的に首を振り、両腕を宙空に彷徨わせながら、もっと……、と切ない声で告げるのだった。

「本当に、壊してしまうやもしれんぞ」

やっとのことでそう返した張遼だったが、彼の最後通告にも、英瑠は切なく微笑んで頷くだけで。

「後悔めされるな」

言うや否や、張遼は英瑠の脚を抱えると、欲のままに彼女の奥を突いた。
下半身を固定され動けない英瑠は、身を捩り涙を浮かべながら、切ない声を上げるのだった。


「っ、んっ……! 文遠、さま……っ」

貪るように彼女を掻き抱き、向かい合うように腰を抱え直し下から突き上げれば、英瑠は彼の首筋にしがみついて喘いだ。

律動の度に、宴のためにあしらわれた英瑠の簪が揺れ、張遼はあることを思い出す。

「っ文遠様……っ、あっ、あぁ……っ!」

「英瑠殿、知っておられるか……、
男が女に着物を贈るのは、それを脱がせたいからだと……、」

「っ、いえ……、あっ……!」

「簪はその髪を解いて乱したい、紅はその唇に口づけたいという意味だと聞く……
英瑠殿っ、この簪と紅も、すべて贈り物なのか……っ、」

張遼の胸を、まるで火矢を撃ち込まれたような、熱く激しい感情が支配していく。
彼女に贈り物をした男たちは皆、彼女のこのような姿を想像したのだろうかと考えると、いくら彼女を抱いても啼かせても足りないような気がした。
張遼はいっそ、見えるところの肌に情事の痕を沢山刻んでやろうかと思い唇を寄せ、すんでのところで自分を押し止めた。

英瑠は熱情に浮かされながらも、張遼の簪と紅の質問に答えた。

「私が買ったものでないことは、確かです……っ
だから、文遠様の手で、すべて……っ、」

英瑠は切ない声でそう告げた。

「言われずとも」

胸をくすぐるようなことを言われ、張遼は律動に合わせて飾りを小刻みに揺らす簪を、英瑠の髪から引き抜いた。

滑るように落ちて首筋に流れる髪を彼は指に通して弄ぶと、優しく英瑠の頭を撫でるのだった。

「文遠、さま……っ、はぁっ、……」

身体を揺らされながら、艶やかに彩られた英瑠の唇が切なく張遼の名を呼ぶ。
その紅も下心を持った誰かの贈り物だと思うと、張遼はまた心が掻きむしられるような感覚を覚えた。

彼女の身体を再び寝台に縫い付けると、息を乱し歯の隙間から誘うように赤い舌が覗く唇を塞ぎ、紅が移るのも構わず柔らかな唇を吸い上げ、舌を絡ませた。
英瑠は首筋に縋り付いてそれに応え、身体の奥を突かれる悦びと、奪われる呼吸に酔うように身をよじっていた。

「んっ、文遠、さま……っ、お慕いして、おります……っ」

唇を離せば、切れ切れに紡ぐ言葉が張遼の鼓膜を震わせる。
濡れて乱れた口紅が堪らなく淫靡で、張遼は英瑠の頬を手で撫で、親指で彼女の唇をなぞってから口の中に沈ませた。
英瑠はそれを蕩けるような表情で受け入れると、優しく歯を立てて緩く吸い上げるのだった。

「英瑠殿……!
私が着飾ったそなたを見た時、何を思ったか、わかるか……?
こうしてそなたを腕の中に閉じこめて、肌に触れ、そなたの身体を暴いて啼かせたいという暗い欲だ……!
英瑠殿、そなたは、ただ言い付けに従って身を整えただけであるのに……、私は嫉妬し、己を抑えられず、このような――」

「文遠様……! そんなことは、おっしゃらないでくださいませ……!
私とて、同じでございます……!
宴の前に文遠様が来てくださると聞いて、こうして触れてくださることを、期待してしまったのです……!
はしたないとはわかっていても、胸が高鳴って止められず……!」

「っ、英瑠殿……!」
英瑠の言葉に煽られた張遼は、彼女の身体を労ることも忘れ、猛ったもので彼女の肉体を犯し続けた。
英瑠もまた、そんな彼に乱され続けることを悦ぶように、うっすらと涙を浮かべて張遼の首筋にしがみついて声を上げるのだった。

「英瑠殿……っ、そなたの全てを、乱して、奪いたくて、堪らぬ……!
っ、言葉にすることが叶わぬのだ……っ、英瑠……っ!
そなたを傷つけたくはない……、乱暴に扱いたくはない……!
だが、こみあがる衝動が、私を狂わせる……!」

「文遠さま……!
っ、文遠様のお心のままに……、どうか、手加減などされませんよう……!
っ、私もこの熱に、狂っているのです……!
今だけは、全て……、文遠様に、目茶苦茶にされたいと……!っ、」

「英瑠殿っ……!」
「んっ……! 浅ましくふしだらな女だと、お思いになりますか……?
でも、私は、文遠様だけを――っっ」

「英瑠……っ!
どうか、私の前でだけは、そのままでいてくれ、英瑠殿……!! 頼む……、」

「文遠さま……っ、あぁっ!
んっ、文遠様っ、文遠さま……っ!」


限られた時間の秘め事の中で、密度を高めるように、二人の心と身体は激しく昂っていた。

互いに暗い欲を認め合い、焼け爛れた激情に身を委ね、貪った。
それは人の肉を斬る戦場の熱とは、似て非なる、異なり近い、激情だった。

互いを愛おしいと思った。
全てを暴いて、溶け合いたいと思った。


そうして。

身も心も繋ぎ合った二人は。

やがて互いの熱を放つと、僅かな時間、互いを労るように抱きしめ合い……、

ようやく静かに体を離すと、身を整え。

互いの役目を果たすために、別れて宴に向かったのだった――





使用人たちが慌ただしく準備に追われる中、要人が続々と集まりはじめ、やがて宴が始まった。

主催の曹操の音頭で盃が掲げられ、曹操軍の武将たちは有力者や富豪といった要人の客たちに混じって席についていた。
しかし、そこには英瑠の姿は無かったのだった。

張遼は、武人に興味を持った客たちと言葉を交わしながら、さりげなく場を見渡し様子を伺う。
案の定、口には出さないまでも誰かを探すように辺りをきょろきょろと見回している者が何人かおり、張遼は彼らが英瑠に粉をかけている人物たちなのだと悟った。

しかし、曹操に釘をさされたこともあり、うかつには動けない。
張遼はそれとなく周囲へ気を巡らせたまま、酒と料理と会話を進めていくのだった。

例の者たちの落ち着かない挙動が目立ってきたところで、曹操が使用人に合図を送った。
次いで、小さな歩幅を早めて宴の場に入って来たのは、あでやかな衣装を身にまとった踊り子たちであった。
張遼はすぐその女たちの中に英瑠の姿を見つけたが、努めて平静を装う。
やがて蔡文姫や甄姫が楽を奏でる中、踊り子たちが舞いはじめるのだった。

優雅に袖をたなびかせ、腰をくねらせて踊る舞姫たち。
英瑠は彼女らの中心で舞い踊り、照れたようにはにかんだ笑みを浮かべていた。
決して目立って劣っているわけではない、秀でているわけでもない、特筆すべき点のない彼女の踊り。
それを見つめる張遼の視線が、わずかに英瑠の視線と交差し、やがて逸らされていく。

客たちは女たちの舞に気を良くし、一方冒頭で辺りを見回していた男たちは何かに気付いたように指を差したり、こそこそと隣の人間に耳打ちをしていたりしたのだった。
英瑠の顔を知らない彼らだったが、さすがに自分たちが贈った衣装を纏う踊り子には気がついたのだろう。

やがて舞が終わり、一人の踊り子を残し女たちが去っていった。
曹操はそこに残った女を呼び寄せ、拱手した彼女の名を皆に告げる。
彼女が我が軍の女将軍、龍英瑠であると――

客たちから漏れるどよめきの声。
曹操は彼女に席につくように言うと、英瑠は着飾った衣装のまま宴の席に着き、再び談笑が始まると彼女は客の男たちに囲まれてしまったのだった。

そんな英瑠の姿を、半ば苦々しい想いでさりげなく遠巻きに眺めていた張遼であったが。

「……張遼殿。呑んでらっしゃいますかねぇ、」

折を見てとある男が張遼に近付き、勝手に盃を合わせてきた。

賈文和。乱世にあって、数々の主を渡り歩いてきた策士。
彼は客が移動し席が空いた張遼の隣に腰を下ろすと、そのまま喋り続けた。

「いやぁ、さすがに俺みたいな胡散臭い男には、さすがの金持ち坊ちゃんたちも近付かないもんでね。
気まずさ半端ないんで、勝手にちびちびやらせてもらってますよ。

……ところで張遼殿。
英瑠殿が気になるのはわかるが、そんなにじろじろ見てたら俺も気が気じゃないんでね。
恋敵に殺気出し過ぎですって」

「っ、何を……!! 私は別に、」

動揺してがたりと卓を鳴らす張遼を、賈クが苦笑しながら宥める。

「あははあ、自覚が無いってのも厄介なもんですなぁ。
……もっとも、宴に夢中なお客さんたちは気付いてないだろうから問題ないんですがね。
んー、戦場ではあれだけ冷静な判断が出来る張遼殿が、女には冷静さを失うとは……
おっと、けなしてるわけじゃないんでそんなに気色ばまないでくれ。
別にあんたらのことも、皆に言い触らそうなどとは思っちゃいないよ。安心してくれ」

「…………。」

張遼は、賈クのふざけた物言いにはじめは憮然としていたが、やがてため息をつくと肩の力を抜いた。

「……申し訳ない。
私はそんなに挙動不振であったか……。
賈ク殿には、余計な心配をおかけしてしまい大変申し訳ないことを致した」

「あははあ。そんなに固くなりなさんなって。
別に責めたわけじゃあない、ただの軽口よ……!

……それよりも張遼殿、今回の宴は一筋縄ではいかないんですよねぇ」

「っ……、何を、」

「まぁ見てなさいな。もうすぐわかるでしょうよ。
……さ、今の内にこれを楽しんでおかなきゃね」

賈クは意味ありげにそう小声で張遼に告げると、酒を満たした盃を一気に煽って胡散臭い笑みを浮かべていた。
張遼はそれを訝しみながらも、男たちに囲まれる英瑠を尻目に、何とか平静を保ちながら宴を見守ることにしたのだった。




「殿!!!!」

酔いが回り程よく盛り上がる宴の中、散々男たちに言い寄られていた英瑠が突然立ち上がり、大声で叫ぶと共に曹操の元に走り寄った。

周囲の人間が何事かと目を向けた瞬間、給仕の男が盆の下に隠していた弩を構え、曹操に向かって矢を発射した。
英瑠は獣のような俊敏さで手を伸ばし、その矢を掴む。
ありえないというふうに目を見開く給仕――に紛した刺客の男。

直後に許チョが、「英瑠殿〜!!」と叫び、どこからか出した長物を彼女に放り投げた。
宙空で回転したそれを、英瑠はたしかな手つきで受け止める。
刺客が顔を歪ませた瞬間、宴の場に沢山の武装した兵士たちがなだれ込んできた。
異変を察知して立ち上がる武将たち、怯える客たち。
そんな中で、今まで大人しくしていた客の一部が「曹操!!! 覚悟!!」と叫んで立ち上がった。

誰もが息を呑む中、曹操は笑いながら大仰に声をあげた。
「皆々様方!! 余興の始まりでございまする!!
どうか、席を立たれずにご覧くださいますよう!!」

刺客たちが、訝しげな表情を浮かべる。
立ち上がった怪しい客は、曹操の言にわずかに目を細めたが、我に返って兵に目配せすると兵たちは一斉に曹操を取り囲んだ。

張遼もその光景に息を呑み、武器を手にしていない自分に何が出来るだろうかと頭を巡らせる。
隣の賈クは、ようやく始まったかというふうに座ったまま落ち着き払っていた。

「殿に手を上げたくば、この私を倒してからにしなさい!!」

緊迫した空気を切り裂くように、英瑠が高々と長物――方天戟を天に掲げ、曹操を庇うように立ちはだかり、咆えた。

その姿は優美な舞姫であり、周りの客たちは何が起こったかわからないまま、口を開けて彼女を見つめていた。
それを聞いた謀反の主導者と思われる客の男が、再び兵に目配せを送る。
兵はたちまち英瑠の方向に刃を向け、その隙に許チョと夏侯惇が曹操の傍を固めていた。

「その女を討てたら、わしの命をくれてやろう反逆者どもよ!!」

英瑠の背後で曹操が叫ぶ。
余興と聞いたためか、客たちの一部は表情を緩ませはじめ、曹操の悪ふざけが過ぎる発言も迫真の演技だと信じたようだったが、張遼をはじめ何も知らない歴戦の勇士たちはそんな戯れ言は信じてはいなかった。

これは紛れもなく本物の刺客と反逆者の手の者たち――

しかし、何かを知った上で場を『演出』する曹操と夏侯惇ら側近の手前、勝手に動くことが出来ず緊張したまま事の成り行きを見守るしかないのだった。
そうこうしているうちに、英瑠は広い空間に兵士たちをおびき寄せると、艶やかな衣装を纏ったままたった一人で武装した兵たちと対峙していた。

舞姫姿の英瑠が、白い細腕でゆらりと方天戟を構える。
鈍く光る刃。かつての鬼神と同じ、重く長い、物騒な得物。
何とも異様な光景だった。
先程まで穏やかな淑女にしか見えなかった彼女の眼は、すっかり殺気をたたえた武将のそれに変わっている。

「全員同時にかかって来ても良いですよ。
反 逆 者 の お 方 々」

挑発するような英瑠の物言いに、兵士たちが一斉に剣を構える。
いくら何でも多人数に対しあの服装では立ち回れないだろうと危機感を覚え、思わず立ち上がろうとした張遼の腕を、隣の賈クが押し留め事の成り行きを見守るように目で訴えた。

女一人に明確な殺意を持って振り下ろされる無数の刃。
しかしそれらは一太刀として彼女に届くことはなく、英瑠の方天戟に薙ぎ払われるのだった。

圧倒的だった。
戟の旋風に兵たちが吹っ飛ばされ、手から離れた剣が放物線を描いて飛び、とある客の近くの床に勢いよく突き立った。
ひっ、という悲鳴が上がる。

たじろぐ兵たちに、謀反人であろう客の一人が「怯むな! 敵は一人だ!やれ!!」と叫ぶ。
その声に奮い立った兵士たちは、再び剣を構えて一斉に英瑠に襲い掛かるのだった。

英瑠は衣の袖を翻し方天戟を振るうと、迫りくる刃を受け止め、返す刃で思いきり敵を斬り捨てた。
飛び散る血が美しい衣装や簪を濡らす。
客たちから悲鳴が上がる。

「余興じゃなかったのか……!」という声が口々に上がったが、曹操は満足そうに戦闘を眺めているだけで、誰も止めには入ろうとしないのだった。

「くそ!!!」

客席の謀叛者の一人が、落ちている剣を拾って曹操の方へ走り出す。
しかし夏侯惇に難無く斬られ、その場に崩れ落ちて果てた。
弩を手にした刺客は、今一度曹操に矢を放とうと構えたが、死角に回り込んでいた夏侯淵の放った弓に射られ、あっけなく倒れ伏した。

英瑠は戟を振り、反抗する兵をことごとく斬り伏せていく。
形勢不利と見て焦る客席の反逆者たちは、曹操の手の者たちによって追い詰められ、やがて捕らえられたのだった。

敵が残らず排除されると、すぐに曹操の使用人たちがやってきて倒れた敵を回収し、血の跡や乱れた調度品などを手早く片付けていく。
見事な手際だった。

幾ばくも経たないうちに片付けは終わり、まるで荒事など一切無かったかのように宴の場は元の美しい姿を取り戻す。
……こうして、曹操が『余興』と称する、反逆者の撃退は難無く終了したのだった。

血濡れの戟を使用人に任せ、英瑠はゆっくりとした足取りで席に戻って来る。

その服にも、簪にも、化粧を施した顔にも、無残に返り血が飛んでいた。
しかし彼女の眼は既に元の穏やかなものに戻っていて、とてもたった今敵を斬ってきたとは思えないような柔らかな声で告げるのだった。
「皆様……、せっかくいただいたものを汚してしまい申し訳ありません……」と。

その姿はまるで、目の前で突然近しい人が斬り殺され、返り血を浴びつつも悲鳴を上げて命からがら逃げおおせてきたような、宮中の政変に巻き込まれた哀れな令嬢のようであった。

しかし実際は、その返り血は令嬢自身が振るった剣によるものだったとしたら。
か弱く可憐な姿ですがりつくその女が、実は瞳の奥に強い意志を秘めた、鋭い抜き身の刃のような、殺傷力そのものの権化だとしたら。

先程まで彼女に言い寄っていた男たちは、皆波が引くように距離をとっていた。
英瑠の謝罪に、気にするなだの、さすが武将だなどの言葉を返していた彼らだったが、その顔は無残なほど引き攣っていた。

あれが余興などでないことは、皆さすがに悟っている。
彼らは心底曹操の力を、またその配下たちの力を恐れ、『余興』についてそれ以上の言及を避けたのだった。
曹操はその光景を見て嗤うと席を立ち、先程まで英瑠に執心していた男たちの近くに寄って、言った。

「これはこれは皆様方、余興はお気に召しませんでしたかな……!
そこな彼女は、我が軍の勇猛な女武将。
恋を知る前に剣を知り、夫に仕える代わりに武に仕え、子を叱る代わりに敵を斬って生きてきた。
もはや、血に飢えた彼女の猛りを静められるのは、同じく勇猛な武将の男だけよ……
もし武に無縁な男が彼女を娶ったとして、そやつに彼女の猛りを静めることが出来るであろうか……?
もし、出来ないというのであれば…………
『斬られる』やもしれんな」

曹操は二重の意味を込めたように『斬られる』のところでナニかをちょん切る仕種をし、不敵な笑みを浮かべた。
それを聞いた育ちの良い男たちは一斉に震えあがり、顔を引き攣らせた愛想笑いを浮かべると、そそくさと英瑠から離れて行ってしまうのだった。

それきり、英瑠が男たちに声をかけられることは無かったのだった。


「……英瑠。
目的は果たされた。苦労をかけたな。もう下がって休め。
その血濡れの体を清めて来るがいい」

曹操の言葉に、英瑠は小さく頭を下げると、そのまま宴の場を後にした。


一部始終を見ていた張遼は。

曹操に内心礼を述べつつ、ほっと胸を撫で下ろし、納得と安堵の表情を浮かべていた。
横で賈クが口を開く。

「……ま、宴に乗じて殿を亡き者にしようっていう不届きな輩の噂があったもんでね。
探りを入れあらかじめ謀反の全貌を把握した殿が、敵をあえて泳がせてたってところかな。
あははあ、あんな強烈な勇猛さを見せつけられちゃ、育ちの良い金持ち坊ちゃんたちはすっかりビビっちまっただろうね。
殿も人が悪い……

おっと張遼殿、そろそろ宴もたけなわだ。
こっちのことは気にせず、彼女の元へ行ってやんなさいな」

張遼はさすがに躊躇し、すぐに彼女を追って退席するわけにはいかないと周りを見渡しながら暫くは席に着いたままで居たのだが、『一番の汚れ役をやった彼女を労らなくて良いのか、ここはもう大丈夫だ』と賈クに言われ、ようやく腰を上げると英瑠の後を追ったのだった。





「英瑠殿」

「文遠様……!」

部屋に戻り身を清め着替えた彼女は、いつもの英瑠であった。
妖艶な化粧も今は無く、服装も動きやすい普段着に変わっていた。
英瑠は部屋にやってきた張遼に駆け寄ると、やや興奮した様子でまくし立てる。

「文遠様……! いろいろとお恥ずかしいところを見せてしまい申し訳ありません……!!
今回のことは勿論殿の発案だったのですが、まさか舞いまで覚えることになるなんて……!
割と練習はしたのですが、熟練の踊り手の皆様になかなかついて行けず、迷惑をかけてしまいました……。
でも、目的である反逆者の征伐が無事成功したので、本当に良かったです!
ただ……、殿方たちには怖がられてしまいましたが……」

英瑠は自嘲するように肩を竦め、両手の指先を合わせて寂しそうに目を伏せた。
張遼の心にちろりと小さな炎が生まれ、自然と口から本心が漏れる。

「私も子供らに恐れられてしまっている故、恐怖を持たれる事に関しては思うところが無いわけではない。
……だが、今回の件に限って言うならば、男たちが去って行って正直せいせいしている。
英瑠殿の武を見て恐れるような男は、英瑠殿には相応しくはない……!」

気色ばんで言い切った張遼に、英瑠は目を丸くすると、すぐに安心したように微笑んだ。

「文遠様もそのような私的なことをおっしゃるのですね。
何だか……新鮮で、嬉しいです……!」

「英瑠殿。私も男だと、今一度念を押さねばわかってもらえぬか?
反逆者の排除とその他の客への牽制のみならず、英瑠殿の強烈な武によって邪魔な男たちの気をくじくという殿の策。
私は心から感嘆し、安堵し、今とても晴れやかな心持ちになっている。
見ず知らずの男たちが、英瑠殿に執心し馴れ馴れしく付き纏っていた光景を思い返すと……、そなたが思っている以上に私は不愉快になるぞ」

「っ……! 申し訳ありません……! 配慮がなさすぎました……
でもそんなふうにおっしゃっていただけると、本当に嬉しいです……!
それに私自身も、これで自由になれてちょっとほっとしております……! 舞を覚えた甲斐がありました……!」

「英瑠殿……。
……今度は、私の前でだけ舞ってはくれまいか。
余計なものに気を取られず、そなたの舞だけを見ていたい」

「文遠様……!!」

二人の距離が一段と近くなる。
どれだけ言葉を交わしても、体を重ねても、心の奥底から生まれ続ける熱はいっこうに冷めてはくれないのだ。


「おい貴様ら。こんなことだろうと思って来てみれば案の定か……!
先程の謀反の件でいろいろ後始末がある。貴様らも後で手伝え」

「……っ」
「……!」

開け放っていた部屋の扉から突然夏侯惇が顔を覗かせ、二人は瞬時に硬直してしまう。
夏侯惇は続けた。

「それから張遼。貴様がそいつをつなぎとめておかなかったせいで、孟徳が余計な苦労を抱える羽目になったのだ……!
いつまでもこそこそとしとらんで早く祝言をあげろ!
とっととけじめをつけてこれ以上孟徳に迷惑をかけるな! わかったな!!」


用件を伝えた夏侯惇はすぐに去ってしまったのだが……、二人はしばらく顔を見合わせると、それからはにかんだ笑みを浮かべるのだった。

「……だそうですが……」
「……そのようだな」

短い言葉を交わしながら、二人は互いの顔を見つめ続ける。
やがて、意を決したようにいたずらっぽく笑った英瑠が、音もなく張遼の首筋に手を回していくのだった。

「可愛らしいお人だ」

張遼もそれを受け入れ、そのまま彼女を抱き上げる。
英瑠が控えめにはしゃぐのが張遼にもわかり、彼も英瑠を見つめて微笑んだ。

「これほど軽いのにあのような力を秘めているとは……、いつ考えても本当に興味深いな」

「文遠様こそ……獣の女に心を寄せて下さるなんて、とても興味深いですよ」

「……さようか」

「さようでございます」

「……英瑠殿。私の妻になってくださるか?」

「……はい。でも、本当に私で良いのですか……?」

「そなたでなければ駄目だ。そなたを誰にも渡したくはない。
惨めな嫉妬に囚われるのは二度と御免被る」

「私も……、文遠様でなければ嫌です。
他の方に声をかけられることが二度とないように祈っております」

「まことか」

「まことでございます」


英瑠を抱きかかえたままの張遼と、張遼に抱き上げられたままの英瑠。
触れた部分から互いの熱が伝わり、そのまま溶けてしまいたい欲に駆られていく。

「……、こうやって、文遠様に抱き上げられるのが好きです」

「……私も英瑠殿を抱えているのが好きだ。
このまま、連れ去ってしまいたい」

「文遠様のお好きなところへ連れて行ってくださいませ」

「二度と離さぬぞ」

部屋の扉は開け放たれたままだというのに、もはや二人には互いの存在しか見えていなかった。


そうして二人は、そのまま見つめ合い――


「貴様ら!!! 前言撤回だ!!
後ではなく今すぐ来い! このボンクラどもが!!」

戻ってきた夏侯惇の怒鳴り声が部屋中に響き――

慌てて離れた二人は、顔を見合わせて笑うのだった――




余談。

「孟徳!! まったく、あいつらときたら……!!!」

「ふむ……。覇道と恋路は似ているものよの……。
それを求めずにはおれぬ、焦がれてやまぬ……
どれ、詩を一篇詠んでみるか」

「孟徳!」





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