5.都へ


英瑠は迷ったあげく、すぐに洛陽に向かうことにした。
継母と下弟には、しばらく修業の旅に出ると告げて。

当然反対されたが、彼女は父親に遺言で武の道を追求することを許された旨を伝え、今までの育ての恩に感謝を述べ、不孝を詫び、継母に頭を下げ続けた。
継母がいくら詰り、宥め、最後には水を浴びせ掛けても英瑠がそのまま微動だにしなかった為、とうとう継母は諦めて英瑠に、どこへなりとも行きなさいと言った。

洛陽に着いた英瑠を、弟は喜んで迎えた。
見習いの住む仮住まいである部屋は狭く、それでも自分を受け入れてくれた半分しか血の繋がらない弟に、英瑠は深く感謝し、一生彼の力になることを誓うのだった。

英瑠はまず、どうにかして力ある者に自分を認めてもらわねば始まらないと考え、官軍や有力者の元へ自分を売り込みに出向いた。
しかし女の身ではどこへ行っても門前払いで、それどころかある日、柄の悪い董卓兵に目をつけられ、斬るわけにも行かず脚力だけで強引に逃げ切る羽目になる有様だった。
女人の力を遥かに凌駕する膂力で、洛陽の街をひた走る英瑠。
その行為が衆人の目を引く光景であることに、英瑠は無頓着すぎたのだった。

ほどなく英瑠は弟と住む仮住まいを特定され、怪しい人物だとして董卓兵に連行されることになってしまう。
姉にかけられた嫌疑に必死に弁解をしようと、賄賂まで用意する弟に英瑠は目で合図し、首を小さく振って止める。
その目には決意が宿っていた。

連行された先で、下卑た視線の兵たちに囲まれる英瑠。
しかしその顔色は全く変わらないのだった。
男の一人が彼女に手を伸ばした次の瞬間、男は宙を舞って地に伏していた。
何が起こったかわからない兵たちが次に思い思いに英瑠を抑えつけると、彼女は腕力だけでそれを払いのけた。
男たちの視線が、化け物を見るようなそれに変わる。

英瑠は落胆していた。
この程度の人間たちが、強者として君臨している現実に。
自分の武を預けられる強者は何処にいるのか。
英瑠がそんな激情に駆られた時だった。


「そこで何をしている!」

既視感。
冷水を浴びせるような凛然とした声に、いつかの林道での出来事を思い出す。

「ちょ……、張将軍!!」

柄の悪い兵たちの顔が一瞬で青ざめ、背筋が伸ばされる。

「こ、これは……、この女が怪しい行為をしていたので捕らえて来たのですが……
この通り、強情でして」

「怪しい行為?
一体何をしていたのだ? 何の嫌疑で連行して来たのだ? 誰の命令だ?」

張将軍と呼ばれたその男は兵に矢継ぎ早に質問を浴びせ、兵たちが「あの……、へへ……」とごまかすような笑みを浮かべたあたりで、「もう良い。 さっさと立ち去れ!!」
と声を荒げると、兵たちは蜘蛛の子を散らすように去って行ったのだった。
まるで、いつかの光景のように。

「兵たちが申し訳ないことをした。
いま洛陽は殺気立っている。疑われるような行為はやめられよ。
兵に目をつけられぬよう、一人歩きはせぬことだ」

そう言ってようやく英瑠に目をやる『張将軍』を、彼女はしっかりと見据えていた。
あの時とは違い戦装束に身を包んだ彼は、英瑠の前で圧倒的な存在感を放ち、立っている。
張将軍の方も、何かに気付いたように目を見開いた。

「っ……!
貴公はどこかで……、もしや、あの時の」

英瑠は、こみあがる感動に手を震わせながら、彼に拱手をして頭を垂れた。

「はい……!
あの時、林道で助けていただいた龍英瑠です。
覚えていてくださったとは……、
そして、こうしてまた、二度も助けていただけるとは……!
この上ない恐悦至極に存じます、張将軍……!」

今は洛陽に住んでいるのかと問われ、英瑠は矢継ぎ早に張将軍――張遼に身の上を話した。
弟が官吏の見習いであること。
武で身を立てるため、上京してその弟のところで世話になっていること。
あちこち回ったが、女の身ではどこでも雇ってはもらえなかったこと。
兵に目をつけられ、いっそ兵たちの前で武を振るえば認めてもらえるのではないかと思い、逆らわずに連行されて来たこと。

一通り話し終えると、英瑠は己の浅はかさを恥じ、張遼の手を煩わせる結果に終わってしまったことを詫びた。

それを聞いた張遼は、まず英瑠の無謀を諌めた。
反抗する間もなく多勢に囲まれたらどうするつもりだった、背後から昏倒させられたらどうするつもりだった等々。
無謀と勇気は違う、己を過信して蛮勇を振るってはならないと強い口調で怒られ、返す言葉もなく詫び続ける英瑠なのだった。

しかし、と張遼は顎に手をやって言葉を続ける。
「貴公がそれほど腕に自信があると言うのなら、その武がどれほどのものか試させてもらいたい」
と。

「っ……!! 本当ですか……?」
「ああ。 ちょうど鍛練に向かう途中であったし、良い機会だ。
得物は無くとも構わないな?
さあ、参られよ」

纏う雰囲気が好戦的なそれに変わり、やおら間合いを取って身構える張遼に、英瑠は面食らって慌てて言葉を返す。

「えっ、あの、将軍じきじきにお相手をしていただくなどと……!!
恐れ多いです、あの、」

「私が相手では不足か?
それとも、組手には自信がないと申すか?」

「いえ、あの……、そんなことは」

「では問題ないであろう。
張文遠、いざ参る!!」

がらりと気配が変わった次の瞬間には、踏みこんだ張遼が英瑠の襟を掴もうと手を伸ばしていた。
武の気に当てられ、英瑠も反射的に頭が切り替わる。
身構えてから張遼の手を払いのけると、拳を握りその懐に飛び込んだ。
胴を捉えたその一撃は身を捻ってかわされ、背後を取られた英瑠の背筋に悪寒が走る。
反射的に身を低くし勢いつけて前方に飛び込むと、張遼の手刀が空を斬る音がした。

「ほう……
その身のこなし、たしかに只者ではないな」

振り向いた彼女にそう返すと、張遼はまた間合いを取って英瑠に相対した。


***********************


「おい来てみろよ、あの張将軍が女と!!」
「あの女は誰だ? 将軍と組み手をしてやがる!」
「おーいこっちこっち!」

いつの間にか二人の周りには兵が集まってきていた。

英瑠の体術は、並の使い手では敵わないほど鋭かった。
張遼が、これで終わりだろうと躊躇いながらも一発腹に入れた拳に、彼女は怯みながらも、しかしさほど堪えている様子はなく反撃に転じてきた。
訝しんだ張遼が今度は胸倉を掴んで投げ飛ばせば、猫のような身のこなしで受け身を取り、地に倒されても瞬時に飛び上がって拳を繰り出して来た。
しかし攻撃の単調さは、まだ未熟さを感じさせるものだった。
身体能力と反射神経、そして打たれ強さに頼っている部分が大きい。

投げ飛ばした時に彼女のおおよその体重は目算出来た。
鍛えられている為か見た目よりは重いが、やはり女人の域を出ない体格であった。
体重から打撃の重さを予想し、特に危機感もなく彼女の拳を腕で防御しようとした時に、嫌な予感が張遼を襲った。

彼は鋭敏な反射神経を以て、考えるより早く咄嗟に身体を引いて腕を振るい、衝撃を受け流した。
空を裂いた拳が纏う凶悪な気配と、姿勢を崩して足でその場に踏ん張った彼女から伝わる大地の揺れに、その衝撃の重さを知った。
外見そして体重と、そこから実際に生まれる破壊力の圧倒的な差。
まるで猛獣が飛び掛かってきたようだと感じた。

たとえば。
普通の人間が、体重では負けていないからと、自身と同等の重量の野生の獣――
たとえば豹などとと素手で対峙したところで、果たして人間は『良い勝負』が出来るだろうか。
たとえあらかじめ牙や爪を除いておいたところで、そもそものしなやかな筋肉から繰り出される『筋力の差』に、翻弄されて力負けするのではないだろうか。

いま張遼と拳を交えている彼女は、その獣の力を、もっと凝縮し、無理矢理人間の女の身体に閉じ込めたような違和感があった。
素手の彼女はさしずめ、牙を持たない獣であるように思えた。
獣の力を持つ人間の女。それは。やはり……。


そうして。
英瑠の武に早々に『人ではないもの』の可能性を見い出してしまった張遼は、英瑠が間合いを取って構え直したところで手を挙げ、口を開いた。

「……人が集まって来たようだ」

張遼が辺りに目を配れば、英瑠もつられて辺りを見回した。

彼女の身体はところどころ泥が付着し、髪もだいぶ乱れていた。
しかし息は僅かに乱れているだけで、張遼を見据える眼差しには確かな光が宿ったまま、痛みや疲労を堪えているような様子は見てとれないのだった。

技術こそ一流ではないが、それでも兵の中で武で彼女を圧倒できる者は恐らく居ないだろう。
人外。逸材。傑物。
そんな単語が張遼の頭を過ぎる。

好奇心から二人の組み手を観戦していた兵たちをひとまず解散させ、張遼は落ち着いて話せる場所へ英瑠を連れて行ったのだった。



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