父親が没したあと、英瑠の弟は中央官吏の見習いとして、都である洛陽に赴いていた。
父親の遺言を、自分を慕う上の弟にだけ打ち明けた英瑠に、弟は、ならばまず自分が中央の様子を見てくると伝え、一緒に引っ越すと言った母親と下の弟の申し出を断り、一人で都に移り住んだのだった。
折しもこの頃都では、皇帝を保護した董卓が力を強めており、それに反発する勢力もあり、時勢が目まぐるしく変動していた。
早く呼び寄せて欲しいとせっつく母と下弟を、落ち着くまで待って欲しいと押し止める英瑠の弟は、密かに英瑠にだけは書簡を送っていた。
未だ道場に通いながら様々な依頼で自分の自由になる金銭を貯めていた彼女は、弟からの待ち望んでいた書簡に目を通した。
そこには、こんなことが書かれていた。
いわく、いま中央で一番勢いがあるのは董卓だと。
しかし、董卓は横暴で、皆怯えている。
董卓には呂布という最強の武将が居て手出しが出来ない。
正直、いくら腕が立つと言っても英瑠のような若い女性がいま都に来るのは勧められない。
しかし、有力者に仕えたいというのであれば、都で機を伺うのが一番良いとは思う。
英瑠が来てくれるなら、彼女の仕官先が決まるまでしばらくは彼女と折り合いの悪い母と弟は呼び寄せず、狭い部屋だが自らに宛がわれた家で彼女を養う
……と。
英瑠は忙しい政務の合間を縫って書簡を送ってくれた弟に深く感謝し、さてどうしたものかと思案する。
いま弟の元に向かえば、このまま地方にいるより時勢がはっきりとわかるだろう。
董卓や呂布といった英傑の名前も気になる。
しかし、母や下の弟を差し置いて、自分だけが弟の世話になって良いものか。
それに彼は、英瑠が危険に晒されないよう、身を案じてくれている。
弟にこれ以上余計な気苦労を背負わせるのはどうなのだろうか。
英瑠は悩んだ。
悩んだ上で、決断した。
bkm