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がやがやと賑わう競技場内。いつもクィディッチの競技場として使われているその場所は、随分と姿をかえていた。

広々と芝生が広がっていたグラウンドは、今や6メートルにも及ぶほどの高い生垣で一杯だった。それが何を意味するのか。説明の無い今でも、予想はついた。


「紳士淑女の皆さん! いよいよ三校対抗試合の最終課題が始まります!」

呪文で大きく拡声された、バグマンの声が響き渡った。雑談の絶えない観客席の隅まで行き届くような大声だ。

「代表選手はこの広大な迷路の中を進み、中心にある優勝杯を目指します。途中には様々な障害物が、彼らの往く手を阻むでしょう。恐ろしい怪物…謎に満ちた試練…勇気を試される場所…それらをくぐり抜け、いち早く優勝杯を手にした者がこの戦いを制するのです!」

バグマンが口にした言葉は、ここにいるほとんどの生徒が予想していたものだった。

「さあ! それでは得点の高い順に迷路へと入って頂きましょう! 先ずは同点一位、ホグワーツ魔法魔術学校代表の…セドリック・ディゴリー! ハリー・ポッター!」

競技場じゅうから爆発のような歓声が沸き起こった。2人はそれに応えながら、迷路の入り口へと立つ。カノンも2人に手を振って、それぞれの背中を見送った。

「次に、ダームストラング専門学校代表、ビクトール・クラム!」

クラムはのしのしと迷路の入り口へと歩み寄り、大きく深呼吸をした。
代表選手の中で一番落ち着いている彼は、きっと大観衆に囲まれる事に対して免疫があるのだろう。クラム! クラム! と上がる声に、腕を振り上げて応えた彼は、迷路の中へと走り去っていった。

「そして、ボーバトン・アカデミー代表、フラー・デラクール!」

最後に迷路の入り口に立ったフラーは、少し青ざめて見える。凛々しい表情を崩さない彼女だったが、代表選手の中で唯一の女生徒という事もあって心細いのだろう。だが彼女は拍手や歓声を背に受け、スッとひるむことなく迷路の中へと入って行った。



代表選手が迷路に入った後、生徒たちはガヤガヤと予想に予想を重ねて話し込んでいた。
迷路の中の試練とはどんなものか、どんな恐ろしい怪物がいるのか。生徒たちの雑談は途切れることなく続いていた。

カノンがドラコ達と競技を見ていると、突如ボシュッ! という音と共に生垣に大きな穴が開いた。
教員席から少し離れたこの場所で起きた異変に、教師はまだ気づいていないようだ。主にスリザリン生が固まっていたその場所に開けた穴。

すると、その穴からはのっしりと巨大な尻尾爆発スクリュートが這い出してきたのだ。非常に気が立っているようで、観客席に向かってズルズルと近づいてきた。

「ステューピファイ!」

最前列に座っていたカノンがスクリュートに向かって杖を向け、妨害呪文を放つ。そして近くに座っていた生徒に呼びかけた。

「誰か先生を呼んで! 早く!」

だが騒ぎに気が付いた教師が来るよりも早く、カノンの妨害呪文が解けてしまう。
ノロノロとした動きから一転して、スクリュートは素早い足取りで進み始めた。

「呪文が解けた…何で?」

カノンは不信に思ったが、観客席からひらりと飛び降りて再び妨害呪文を掛ける。更に得意の束縛呪文で、極太の鎖を出した。

「インカーセラス!」

鮮やかな杖捌きに、混乱していた観客席も落ち着きを取り戻す。この騒ぎなのに、何故教師のひとりも来ないのだろう。
カノンがそう疑問に思った瞬間、そこに到着したムーディがスクリュートを生垣の中へと押し込んで穴をふさいだ。


「全く…何の騒ぎかと思えば、怪物が生垣を破りおったのか!」
「この生垣、外周には防護魔法がかけられていますよね? 何故スクリュートが出て来れたんでしょうか」
「…さあな」

ムーディがそう返した瞬間、迷路の方から赤い火花が打ち上げられた。
パァン! と、大きな破裂音を出しながら空を彩るその火花は、会場中の視線を集めた。誰もが皆、リタイアしたのはどの選手だろうと首を長くしてそれを見ている。

「フン! 何とも、タイミングの良い事だ。」
「タイミング?一体何のこと…」

どこか満足げなムーディがそう呟くのを、カノンが不可解な顔で見る。するとムーディはカノンの腕をつかみ、観客席の間を強引にくぐった。

「何かご用ですか?」
「少しだけだ…少しだけ、眠っておれ。指導者の末裔を知る者よ」
「え…」

驚きの表情を浮かべたカノンが「何故それを」と聞く前に、彼女の体を赤い閃光が貫く。そして彼女の体は、力なく地面へと崩れ落ちた。


「赤い瞳に、このアンクレット…間違いない、隠された血筋に関する何かを、こいつは持っている…今宵ポッターと共にこいつをご主人様の元へ献上すれば、あの方はきっと俺をお褒め下さる」


くったりと力の抜けたカノンの身体を抱き上げるムーディ。その瞳の中には明らかな狂気が輝いていた。



***



「う…」

意識を失ったカノンが次に目を覚ました場所、そこは暗く湿っぽい墓地の中だった。土と草の匂いが鼻をつくその場所、そこに彼女は倒れていた。

ちょうど大きな墓石の裏側に寝そべっていたカノンの体は、すっぽりと覆われて他者からは見えない位置になっていた。
地面に寝たままの状態のカノンは、頭の中にリドルの声が響いてくるのを感じ取った。

『カノン、目が覚めたのかい? そのまま静かにしていて』
「どういうこと? ここはどこ、ホグワーツじゃないよね」
『落ち着いて…今、ヴォルデモート卿が完全に復活した』
「な…」

リドルが囁くように言ったその言葉に、カノンが微かに息を呑む。彼女が耳を澄ますと、少し離れたところから男の声がする。

『良いかい、君がスリザリンの血を継ぐ人間だという事は、絶対に知られてはならない』
「秘密は守られてるって、ルシウスおじさまが言っていたけど…ヴォルデモートにそれが通用すると思わない方が良いみたいだね」
『ああ、勿論だ。僕が魔法で君の目の色を青に変える。それからアンクレットは靴下の中に隠しておくんだ』
「…分かった」

リドルが言葉を切るとほぼ同時に、カノンは自分の瞼が冷たい何かに覆われるのを感じた。そして静かに靴下を下げ、中にアンクレットを入れてからもとに戻した。

「リドル、何で私をかばうような真似をするの? あれ、あんたの本体でしょ」
『君と一年過ごしてるうちに、僕の価値観が変わりつつあるみたいでね。再びヴォルデモートとして生きるには、ぬるま湯に浸かりすぎたようだ』

リドルのどこか諦めたような、それでいて開き直った様な声色をしている。
今の彼は、闇の帝王とは別人だと捉えて良いのだろうか。カノンが判断しかねていると、リドルは小さく舌打ちをした。

『君にはここから動かずにいてほしいけれど…そうも行かないようだ』
「え?」
『向こうに、ポッターがいる。それから、ディゴリーが』
「ハリーとセドリックが?」
『いや、でも、待って。あれは、まさか』


どこからか様子を伺ってきたのだろう。リドルの声が動揺をはらんだものになるのが分かった。カノンは眉根を寄せてその続きを待つ。

『カノン、どうか落ち着いて聞いてほしい』
「それって、悪い知らせ?」
『ああ、最悪の展開だ』

リドルが一息入れると、意を決したように言い放った。

『おそらく、ディゴリーは…既に殺された後だ』
「は…?」



殺された。殺された。殺された。

その言葉だけがカノンの頭の中をくり返し駆け巡る。
セドリックが、あの優しくて口下手な好青年が、何の罪もない彼が殺された?

信じられない、信じたくないと喚き散らせればどんなに楽だろうか。
だが物分かりの良いカノンは、自然と理解してしまった。リドルはこういう時に笑えない冗談を言う男ではない。リドルの言ったことが紛れもない真実だという事を。
カノンは震える腕を地面にたたきつけ、目を覆う涙に気づかぬふりをした。

そして体を起こして、杖を握った。



「…行かなくちゃ。」
『ああ、君ならそうすると思っていたよ』

その場からすくりと立ち上がったカノンが、ヴォルデモートと思わしき男が立つ方へと歩を進めた瞬間。
バサリバサリとマントやローブを翻す音が、何人分も聞こえてきた。黒い装束に身を包んだ集団…死喰い人がこの場に現れた。

「よく集まった…我が同胞達よ…」

黒い集団は一人の男を取り囲むようにして円を描いた。中心の男は、一目見て普通ではないと分かる風貌をしている。
蝋のように青白い肌、蛇のような平べったい鼻孔、骸骨に皮が張られたかのような細い腕。そして、カノンと同じ血の色の瞳。

トム・リドルの雰囲気を一切残さない男だったが、すぐにこの男こそがヴォルデモートなのだとカノンは理解した。
ヴォルデモートは死喰い人の前をゆっくりと歩きながら話す。何故今まで自分を探さなかったのか、今までどこでぬくぬくと過ごしていたのか。

一人一人の名を呼びながら、プレッシャーをかけている。


「…ああ、昔からお前はずる賢い男だった。ルシウス。マグルを徹底的に嫌っていながらも、世間からは立派で慈善的な男として通っている…クィディッチ・ワールドカップでの騒ぎも聞いておるぞ…何故そのエネルギーを、お前の主人を探すために使う事ができなんだ」
「我が君、私は常に貴方様をお待ちしておりました…」

深いフードの下からルシウス・マルフォイの声が聞こえてきた。その声は他の者よりもずっと冷静に聞こえたが、やはり恐怖心がにじみ出ている。

「貴方様のご消息が少しでもこの耳に入ったのならば、すぐさま駆けつけるようにと…」
「だが、お前は俺様の忠実なしもべが打ち上げた闇の印を見て逃げ出した。俺様は失望させられた。口先ばかりで忠誠心の無いお前達にな」

そう言ったヴォルデモートは、弄んでいた杖をするりと構えた。骨の様な指でそれを持ち、ぐるっと円状に並ぶ死喰い人を見回す。円を描く死喰い人の間には、ちらほらと空いている空間があった。

「ここにはレストレンジ達が立つ筈だった…忠実な者たちだ。俺様を裏切るよりもアズカバン行きを選んだ」

ヴォルデモートは、その空間を見つめながらそう呟いた。アズカバンの名を聞いた死喰い人達が、気まずそうに顔を逸らす。

「そしてここには、6人もの死喰い人が欠けている。3人は死に、1人は戻らぬ…きっと思い知ることになるだろう。1人は永遠に俺様の元を去った、死と言う形でな。もうひとりは既に俺様の手足となり、任務を遂行している」

するすると足音を立てずに歩くヴォルデモートは、最後に一人分の空き場所を見つめた。

「ああ…ここだ。俺様を崇拝し、狂人となった男がここに居る筈だった。任務の途中で捕まり、アズカバンへと収監された…ギルバルト…奴もまた、最も忠実な部下の一人だ」

ヴォルデモート以外に音を立てる者はいなかった。

妙に静かなその中で、サクリと草を踏む音が響く。その音に反応したヴォルデモートは、闇の中に紛れるように立つ、一人の少女に目を止めた。

「ほう…娘が、こんな場所に何か用でもあるのか?」


黒い髪と青い目をしたカノンが、まっすぐにヴォルデモート卿を見つめていた。





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