49





「こんな所に来てしまうとは、不運な娘だ…」
「招待状は貰ったよ。どうやら宛名違いだったようだけど」

ヴォルデモートの目を真っ直ぐに見つめながら、ここに居る誰よりも堂々と言い返したカノン。

「このお嬢さんは、今自分がどんな状況に置かれているか理解していないようだ」

嘲るように言ったヴォルデモートの言葉を肯定するように、死喰い人からは嘲笑が沸き起こった。だがルシウスだけは、驚愕の瞳でカノンを見つめている。カノンはキッと眉を上げて、死喰い人達を睨み付けた。

「私が現れたおかげで、闇の帝王の矛先が自分から逸れたとでも思ったの? まったくおめでたい頭だね。平和ボケしてるんじゃない?」
「ほう…俺様が何者か知って、その態度を貫くか…中々に面白い小娘だ」
「知っているよ…ヴォルデモート」

微塵も恐れを含まない声に、死喰い人達がたじろぐ。墓石に縛り付けられたハリーもまた、酷く驚いた顔でカノンを見ている。

「度胸も、魔力も申し分無い…それに賢そうだ。スリザリンの気質を持っていそうだな?」
「その通り、ご名答だね」
「成程…ならば、お前には特別に選択肢をやろう」

カノンと数メートル間を開けて正面に立ったヴォルデモートは、彼女を品定めするように眺める。そしてニヤリと笑ってから、言い放った。

「ここで醜く朽ち果てるか、闇の印をその体に刻み込むか…」
「悪いけど、闇の道には興味ないんだ」
「では、死を選ぶか。愚かしい娘よ」

ゆるりと笑ったヴォルデモートが杖先をカノンへと向ける。それに静止の声を掛けたのは、意外な人物だった。

「我が君、彼女は"純血"マルディーニ家の令嬢でございます…殺してしまうには惜しい血筋かと」

それまで黙っていたルシウスが、震える声でカノンを庇う。スリザリンという事は仄めかさず、あくまでマルディーニ家の娘として彼女を扱うルシウス。彼がマルディーニ家に忠誠をおいているというのは、嘘ではなかったようだ。

「カノン家か…古くからある名家だ。確かに、滅ぼしてしまうのは少々勿体ない。では少しの間、そこで静かにしていてもらおうか。もしかすると、これから心変わりするやもしれん」

そう言ったヴォルデモートが軽く杖を振ると、カノンの体に黒い布が巻きつく。それはさらりと柔らかいにも関わらず、粘着テープのように張り付いた。

『カノン、大人しくして…今は、まだ大丈夫だから。僕がこれを解いてあげる』
「わかった、頼んだよ」

彼女はリドルの言葉に動きを止め、大人しく成り行きを見守った。
カノンから視線を外したヴォルデモートは、ハリーに向かってなにやら話し始めた。


「ハリー・ポッター、生き残った男の子。13年前にお前から受けた死よりも苦しい苦痛を、忘れた事は無かった…お前の母親が己の命を賭して、意図せずにかけた"守り"は非常に強力だった。俺様はその魔法に阻まれ、そして生きているとも死んでいるとも言い難い存在に成り下がったのだ」

はぁ…と物憂げなため息を吐きながら、彼は話し続けた。

「それからの時間はとてつもなく長かった…そして、長い時間の中で俺様はやっとチャンスをつかみ取った。今年の"三校対抗試合"の情報を手に入れたのだ。バーサ・ジョーキンズからな。そしてホグワーツの中に、最も忠実なしもべを潜り込ませた。結果は見れば分かるだろう。あ奴は立派に成し遂げた…」

ヴォルデモートは苦悶の表情を浮かべるハリーの周りを歩きながら、心底清々しそうな顔で続けた。

「お前を殺し、俺様の完全なる復活をこの魔法界に知らしめるのだ」
邪悪な表情で笑ったヴォルデモートは、苦痛にゆがむハリーの顔を見る。

「ワームテール! こやつの縄をほどき、杖を返してやれ。無抵抗のまま殺してしまうよりも、戦いの権利を与えたほうが俺様とこやつの力の差が歴然とするだろう。今度こそお前たちの頭に、俺様の力を刻み付けよう」

今まで墓石に縛り付けられていたハリーが、ワームテールの手によって解放される。ワームテールはセドリックが倒れこんでいる場所に行き、ハリーの杖を拾い上げた。そしてその杖をハリーに押し付けると、素早く死喰い人の一団の中へともぐりこんだ。


「ハリー…決闘のやり方は知っているな? 先ずは互いに、礼だ」

ヴォルデモートが低い声で言う。ハリーを真っ直ぐに見据えながら、彼は軽く腰を折った。
だがハリーはヴォルデモートの言いなりになるのが嫌なのだろう、微動だにせず杖を握りしめている。

「ダンブルドアはお前に礼儀を守るように教えただろう…さぁ、頭を下げろ」

それでもハリーが頑なに頭を下げないのを見て、ヴォルデモートは杖を一度振った。

「お辞儀をしろと、言ったのだ」

すると今まで真っ直ぐだったハリーの背が、ぐぐぐ…と90度に曲がる。ハリーの意識外での事だったのだろう。彼自身も驚いていた。

「よろしい…さぁ、決闘だ!」

その鋭い声を合図に、ヴォルデモートはハリーに向かって杖を突きだした。

「クルーシオ!」

許されざる呪文のひとつ、磔の呪文だ。
それをまともにくらったハリーは、崩れ落ちて地面をのた打ち回った。耳をつんざくような叫び声が辺りにこだまし、死喰い人やヴォルデモートが愉しげに笑い声を上げた。

「どうだハリー、苦しかろう…こんな苦痛を味わうのは嫌だろう…」

ふらふらと立ち上がったハリーが、再び倒れこむ。だが死喰い人達がそれを許さず、彼の体を再びヴォルデモートの前へと押し出す。

「素直になれば良い、もう『いやだ』と言うのだ。そうすれば楽にしてやる。インペリオ! 」

次にヴォルデモートが放ったのは、服従の呪文だった。
人を愚弄するにも程がある、とカノンは鋭い目でヴォルデモートを睨み付ける。だがヴォルデモートは目の前のハリーに夢中で、それに気付かなかった。

「さぁ言え、いやだと…最後くらいは従順に逝け」
「いやだ…言うもんか…言うもんか!!」

ハリーは服従の呪文を振り切り、強い瞳でヴォルデモートを睨み返した。するとヴォルデモートは気に入らなそうな顔をして、再び杖を振った。
だが今度のハリーは、磔の呪文が当たる前に身をひるがえし、素早く墓石の裏に回り込んだ。彼に当たり損ねた呪文が墓石に当たり、ガシャン! という音を立てながら石が砕けた。

「ハリー、俺様達はかくれんぼをしている訳ではあるまい。さっさとそこから姿を現して、正々堂々立ち向かえ!」
「リドル、早くこれ取って!」
『待って、今必死に呪いを解いているんだ。結構ややこしくて…』

動きを止めていたカノンが、体をよじって布から抜け出そうとする。何としてもハリーが殺される前に、何かしら手を打たないと。そんな焦りが彼女の心を支配していく。
そして、意を決したハリーが墓石の裏から出てくるのと同時に、カノンの体を取り巻いていた黒い布がふわりと消え去った。


「アバダ・ケダブラ! 」
「エクスペリアームズ! 」

ふたつの呪文がぶつかり合った。
しかし、明らかに普通のぶつかり方ではなかった。その緑と赤の閃光が、2人の間で長い紐のように繋がったのだ。
2人の様子を見ていた死喰い人達が、素早く杖を構える。しかし、自由の身になったカノンがそれを許す筈が無い。

「コンフリンゴ! 」

ドォン! という音を響かせながら、死喰い人の足元の地面が大きくえぐれた。

「ハリー・ポッターに一歩でも近づいてごらん、その頭を粉々に吹き飛ばしてやる!」

ギラリと冷たい眼光。年若い少女の目つきではない、その眼に射抜かれた死喰い人が一歩後ずさる。
カノンは油断せずにそれを横目で睨みながら、ハリーとヴォルデモートの戦いを確認した。
彼らの杖を繋ぐ金の糸が、だんだんと本数を増やしている事に気づいた。その糸は次第に広がり始め、2人を包み込むように金色のドームを作り出した。
カノンはハリーと分断される危険を感じ取ったのか、走ってそのドームの中へと滑り込んだ。

彼女が入り込んだ次の瞬間、金の糸の束は楕円状のドームへと変形した。ドームの外を死喰い人達が取り囲んだが、ヴォルデモートがそれを見て唸りを上げる。

「手を出すな! ハリー・ポッターは俺様の獲物だ!」
「カノン…僕の、後ろにいて!」
「うん、わかった」

カノンはハリーの言うとおり、彼の後ろに回り込んだ。
この不可解な現象が起きている今、無暗に手を出すべきではないと判断したからだ。今保っている均衡が崩れた結果、高確率でハリーが不利な状況になってしまうだろう。

少しの間、この金色の糸が揺れ続けると、次第に糸から何かの音が聞こえてきた。その音は歌のようで、楽器のようで、なんとも形容しがたい"音"だった。
確実に言えることは、その音がカノンやハリーに良い印象を与えるものだということだ。
優しく慈しむような音が語りかけている。糸を切ってはいけない、と。それはハリーも感じ取れたようで、彼は一層強く杖を握りしめた。

今や杖同士を結ぶ金色の糸は、間にいくつもの光の玉を作り出していた。
光の玉は行ったり来たりしながら、杖先に触れるか触れないかのところを彷徨っている。
光の玉が近づいたほうの杖は一層激しく揺れ動いている。きっと杖に触れてしまったら、この不思議な空間が崩れ去ってしまうだろう。
ハリーは全神経を集中させ、光の玉を反対側に押しやるように杖を握った。すると光の玉はゆっくりと動きを変え、今度はヴォルデモートの杖先へと向かっていく。
カノンはハリーのすぐ後ろに立ち、その背を支えた。
ゆっくり、ゆっくりと動いていく玉は遂にヴォルデモートの杖のすぐそばまで迫っていた。それを見るヴォルデモートの瞳には、確実に恐怖の念が浮かんでいる。

そして、まばゆく光る玉が、ヴォルデモートの杖に触れた瞬間だった。

ヴォルデモートが持っていた杖が、悲鳴を上げるようにしなったのだ。
今にも砕けてしまいそうな杖から、ゆらりとした何かが噴き出してくる。銀色に光る手だ、靄のような姿で、くるくると生まれてきた。
カノンにはそれが何か分からなかったが、ハリーには見覚えがあるようだ。
そして次には、もっと大きいものが杖から噴き出した。灰色のそれは次第に形を整え、一人の青年へと姿を変えた。


「セドリック…」
「カノン…ハリー、がんばって。」

セドリックの声は、どこか遠くから響いてくるように反響していた。彼は穏やかな目でこちらを見ている。
その後に続いたのは、年老いた男性と中年女性の姿だ。そのどちらもセドリックと同じように灰色の姿をしている。3人はハリーを激励しながら、ドームの中を巡っていた。

そして、その直後だった。杖から再び灰色の人が現れた。長く豊かな髪を垂らした美しい女性だ。
20代前半くらいの年だろう、理知的で優しそうなその人はハリーとカノンに微笑んだ。

「ハリー、頑張って…お父さんもこちらに来ますよ…大丈夫…」

その女性の次に現れた男性。
彼女の言葉がなかろうとも、彼がハリーの父親だという事はすぐに分かっただろう。ハリーとよく似た顔に、クシャクシャの髪の毛。彼は先ほどの女性の隣に立ち、低い声で静かに告げた。

「ハリー、杖のつながりが切れたら、私たちは少しの間しかここに留まっていられなくなる…でも、お前の為に目一杯時間を稼いであげよう。後ろの女の子と一緒にポートキーの所まで行きなさい、それがホグワーツへの帰り道になる」
「はい」

ハリーは震える手で杖を握りながら、はっきりと頷いて見せた。

「ハリー、僕の体を持ち帰ってくれないか? 父さんと母さんのもとに…」
「ああ、わかった、セドリック」
「さあハリー、切りなさい!」

その声を合図に、ハリーは持っていた杖を大きく上にねじり上げた。金色の糸は呆気なく切れ、3人を包んでいたドームが消え去った。同時にカノンが死喰い人の集団に向けて杖を振った。

「インセンディオ!」
カノンの杖からおびただしい量の炎が飛び出し、死喰い人たちとの間に壁を作った。

「ヤツを捕えろ!! 俺様が殺してやる!」

背後からヴォルデモートの怒り狂った声が聞こえてくる。炎の向こう側から、いくつもの呪文が閃光となって飛んで来た。
カノンはかろうじてそれを避けながら、盾の呪文を唱えて自分たちと死喰い人を分断した。
大きな墓石の裏側に身を隠し、カノンは一瞬だけ息をつく。

「カノン」

混乱の中、セドリックがカノンの名を呼んだ。

「君にはまだ、沢山話したいことがあったけど…言えず終いみたいだ。どうかこのまま無事に帰って、幸せになって」
「セドリック…」
「今までありがとう、大好きだよ」

静かに、微笑みながら告げられたその言葉。
カノンは大きく目を見開く。そしてその言葉にしっかり頷いてから、走り出した。彼の最後の願いを、何としても叶えなければいけない。
セドリックの亡骸までたどり着いたカノンは、満身創痍のハリーに代わって呼び寄せ呪文を唱えた。

「アクシオ、優勝杯!」

ハリーとカノンは、互いに身を寄せてポートキーに触れた。
双方ともしっかりとセドリックの手を握り、そして3人はホグワーツへと戻って行った。



prev * 79/115 * next