30 暗闇をひたすらに歩いていた。 誰もいなくて、孤独で、泣きそうになっていたとき。 ぱっと光が弾けた。 「波音ちゃん、こんなとこで何してるの?」 母さん…… 「あ、波音。このアイス一緒に食べようよ」 姉さん! いつの間にか私は家のリビングにいて、そこには母さんと姉さんがいた。 笑顔になって、二人に飛びつく。 「姉さん! 母さん!」 「ちょっと波音!?」 「波音ちゃん……」 しばらくそうやって笑いあっていると、チャイムの音が聞こえた。 誰だろう。 「あ、はーい」 姉さんがその場で返事をすると、凛と佳南が現れた。 「二人とも!」 「波音ちゃん、久しぶり」 「波音! ちゃんと勉強してる?」 二人がソファに座って、円のような形になった。 全員をぐるりと見渡す。 嬉しくて、嬉しくて、顔が勝手に緩んでいった。 良かったぁ、みんないて。 私、一人じゃないんだ。 それに、みんな私を見てくれてる。 姉さんじゃなくて、私を。 楽しいな。 * ぱちりと、目を開けた。 体はまだ夢の中にいるらしく、脳が状況を理解していない。 ゆっくりと現実が頭に入って来て、胸がどくんどくんと鼓動した。 顔を青ざめさせて、胸のあたりを抑える。 今の夢……何? とてもリアルな夢だった。 胸に手を当てると、まだ「楽しい」という感情が心に残っているのがわかる。 でも、実際そんなことはなくて。 布団からばっと飛び降りて階段を転げ落ちるように降りた。 「母さんっ!!」 いない、仕事だ。 「姉さん!!」 何言ってるの、姉さんは死んだんだよ。 「佳南!」 私が突き放したんじゃない。 「凛……っ!」 呼んでも、もちろん返事が聞こえることはなくて、へなへなと床に座り込んだ。 私、何してるんだろう。 涙が流れてきて、慌てて立ち上がった。 なんで泣いてんだ、私! これじゃあ過去に後悔してるみたいじゃないか。 私は変わるんだ。 顔を洗って、水を飲むと、少し落ち着いた。 時計を見ると、二時半を指していた。 「……もう、寝れないな」 寝るのが、怖い。 もしまたあの夢を見てしまうかと思うと、ぞっとする。 外の空気でも吸おうかな。 そう思って、外へ出ると、家の影に人影ががさっと動いた。 「…………」 な、なにっ!? こんな夜中に、私の家になんのよう!? 幽霊、ストーカー、凌空が頭に浮かんで、ぶんぶんと頭を振った。 き、気のせいよ。多分野良犬とかが…… そっと、音がした場所に近寄る。 「だ、誰かいるの!?」 恐怖で震えた声になってしまったが、私の声に隠れていた何かが反応した。 そして、びくっと肩を跳ねさせたた私の前に、気まずい笑みを浮かべてた人物が現れた。 「り、凛!?」 「……久しぶり、波音ちゃん」 見知った彼の顔に、安心して足の力ががくりと抜ける。 「おっと!」 倒れこみそうになった私を凛は抱えた。 「なんでこんなとこにいるのよ」 「ここを通り過ぎたとき、この家から俺を呼ぶような声が聞こえて……、いや、気のせいかもしれないんだけど……」 目を泳がせながら言う。 そうだ、あの時、 『凛……っ!』 確かに私は大声で凛を呼んだ。 気まずそうにしてる凛にぷっと吹き出すと、彼は目を丸くした。 「……呼んだよ、凛のこと。まさか本当に来てくれるとは思わなかったけど」 泣きそうだったので彼から必死で目を話してぱちぱちとさせる。 「とりあえず、家入ったら」 * 「夢を見たの」 お茶を出して、向かい合うように座ると、さっきの出来事を話した。 「……でも、目を開けたら、誰もいなくて。ちょっとさびしくなっちゃってさ」 照れたように笑う私に凛は悲しそうな顔をした。 「そんな顔しないで? ただの夢だもん」 笑いかけると、凛も笑顔になってくれた。 「……佳南とはこの前別れた」 しばらくの沈黙の後、凛が苦しそうに口を開いた。 「彼女には、本当に悪いことをしたと思ってる。……でも、」 後悔はしてない、と言った凛に、微かに頷いた。 「……わかってる。私も、無遠慮なこと言って、ごめん。あの時、二人はお互いが必要だったこと、わかってるよ」 「波音ちゃん……」 小さくありがとうと言った凛に胸が高鳴る。 「今日は、バイクに乗ってたんだね」 私の家の前に置いてあったバイクのことを思い出した。 格好もいつもとは違って、Tシャツに緩いズボンとラフな感じだ。 「ああ、灰狼町に行った帰りだったんだ」 「そっか」 テレビをつけると、アニメがやっていて二人でそれを見た。 * 時計の針が進んでも、眠気は全然なくって、なんだかそわそわして顔を俯かせた。 理由はわかっている。目の前に凛がいるからだ。 遊園地に行ったのは八月に行ってすぐで、今は八月の下旬だから、凛とは約二十日会ってないことになる。 久しぶりに凛と話して、胸の奥がざわめいてる……というか、無性に触りたい。 代わりに自分の髪の毛をくるくると回して凛を見ると、彼は睨みつけるようにテレビを見ていた。 な、なんであんなに睨んでるんだろう。 だけど、そんな表情もかっこいいんだけど。 っていうか、やばい、私。 長い間彼と話してないせいで、なんか、欲求不満? みたいなことになってる。 少し、少しだけなら、いいよね? のろのろと彼の元まで這うように移動し、胡坐をかいてる彼の腕を少しだけ掴んだ。 すると凛はばっと飛び退いて、ぎょっとしたように私を見た。 えっ、何!? 目を丸くした私を見ると、凛はため息を吐いた。 「……どうしたの?」 「え、あ、いや……」 言えないよね、触りたかったなんて…… でも、凛は私が好きなこと知ってるわけだし。 あれ、知ってるの? そういえば、遊園地の時は、私がただ嫉妬してることをぶちまけただけで好きだなんて伝えてないし、凛だって、姉さんと私を重ねてるかもしれないし…… 「波音ちゃん?」 「は、はいっ」 悶々としてるときに名前を呼ばれて顔を上げる。 凛はさっきと表情から一転、にやりとした意地の悪い顔をしていた。 「なに考えてるの?」 「え、べ、別に……」 「ふーん」 凛はテレビを消すと私の手を掴んで自分に引き寄せた。 「り、凛……?」 「…………」 胡坐をかいた凛の上に座るような形で抱えられて、彼の顔が私のうなじにうずめられた。 さらさらと髪が首元にかかりこそばゆい。 彼の身体が私の背中にぴたりと密着していて、心臓は前より一層鼓動を早くさせた。 「……こうしたかったんじゃないの」 耳元で吐息を飛ばすように囁かれ、身をよじった。 それでも凛は離してくれなくて、私の身体をぎゅっと抱いた。 心臓がばくばくと音を立てるのが聞こえる。 こんなに密着してるのだから、彼にも聞こえているだろう。 でも、だめだよ。 顔の火照りが、鼓動が、もう限界で。 私は彼の腕から無我夢中になって脱出すると、くるりと後ろを向いて、彼の首に手をまわした。 そのまま、唇を重ねる。 凛が、かすかに動く気がしたけど、目を開ける勇気がなかった。 顔を放して、そっと目を開くと、凛の整った顔が至近距離にあった。 その目に揺らめく熱情の灯。 それに気が付いた時には、私は床に押し倒されていた。 今度は凛から唇を重ねられて、私からしたキスとは全く違う、深いキスが降り注ぐ。 思った通りだ。 彼とのキスは、凌空とするのと全然違う。 だけど、予想より少し苦しい。 体の力が入らなくなって、彼の胸を少し押すと、凛は私の頬をそっと撫でた。 「紗音が死んだのは、俺のせいだ」 喉から絞り出すように彼は言った。 違うと、言おうとした私にゆるりと首を振る。 「佳南ちゃんも、傷つけた」 「り、ん……」 「君だって、今も、守れていない。……君は今まで、どれだけ一人で泣いていた?」 彼の言葉が呪文のように、直接心に響いてくる。 ずっと、思い悩んでいた。 一人で。 「君は、こんな最低な俺を許せる?」 恨んだ時もあった。なんで私が、こんなに悩まなくちゃいけないのって。 なんで彼を好きになっちゃったんだろうって。 でも、 「……違うの。違うんだよ……、私のせいなんだよっ、全部、全部……っ」 凛の顔がぼやけて、涙が頬を伝った。 それを凛の長い指が優しく拭う。 「許すとか、許せないとか、もう関係ないの……。だって、苦しいくらい凛のことが好き、なんだもん」 「波音、ちゃん……」 凛が私の名前を呟いた。 愛しさが、いっぱいに溢れ出す。 その時、脳裏に凌空と、姉さんの顔が浮かんだ。 「ねぇ、凛」 「ん?」 「私のこと……好き?」 震えながら聞いた私に、凛は優しく微笑んだ。 「好きだよ。どうしようもないくらい、ずっと君のことを考えてる」 「姉さん、じゃなくて……?」 凛は目を丸くして、瞳に剣呑な色を滲ませた。 「当たり前だ! 紗音と君を比べたり、重ねたりしたことは一度もない!」 「ご、ごめん……」 「……いいよ。でも、そんなことは二度と言わないでくれ」 眉を寄せて私を抱きしめた凛に、温かなものがじわじわと胸に広がる。 こんなに幸せなことがあるだろうか。 一生、叶わないと思っていたのに。 伝わることがないと思っていたのに。 「波音」 大好きな人の口が動いて、私の名前を呼んだ。 佳南や、姉さんのこと、呼び捨てにしてて、ずっと羨ましかった。 「……凛、好き。大好き」 凛の目がぎゅっと細められ、ゆっくりと彼の顔が近づいた。 |