嗚咽もだいぶ収まって、床に座り込んで放心していると、奥の部屋の電気がついていることに気づいた。
 あれ、私出たとき電気全部切ったよね?
 不思議に思いながら立ち上がって、泣きはらした目を拭いながらその部屋へ向かう。

 ドアをゆっくり開けると、空き缶が部屋そこら中に広がっていて、真ん中の机にはスーツを着た男が突っ伏して寝ていた。

「お父さん……!?」

 すぐ駆け寄って、その肩を揺する。
 家に帰っているのも珍しいのに、もっと驚いたのはお酒を飲んでいたことだ。
 お父さんは滅多にお酒は飲まない。

「ちょっと、お父さん!」

 がくがくと体を揺すると、うぅと唸り声を開けてお父さんは薄っすらと目を開けた。

「……う、ん……? 佳南か……?」
「何やってるんですか! こんなにお酒を飲んでっ!」

 いつも厳格で眉を吊り上げている彼の有様に思わず怒鳴った。
 だが相当酔っぱらっているようで、状況にピンときていないらしい。
 私を見て、赤い首を傾げた。

「……なんだぁ? 言いたいことがあるならさっさと言えぇっ!! 俺は忙しいんだぁ」

 手をばたばたと動かせながらそう叫ぶお父さんに、私は頭を抱えた。
 完全にできあがっている。
 お父さんの『俺は忙しいんだ』は口癖なのだ。
 とりあえずキッチンに行って水を持っていくと、お父さんはそれをぐいっと一気に飲んだ。
 水を飲んだら少し落ち着いたようで、下がっていた眉がどんどん吊り上がっていった。
 いつもはいらいらとさせるこの厳しい顔も、こういう時はほっとさせる。
 お父さんは手を頭にあてて蹲った。

「……頭が痛い」
「はぁ。当たり前じゃないですか。お酒強くないのに、こんなに飲んで」

 散らばった空き缶を見ながら言う。

「何かあったんですか?」
「……いや」
「いや、って……。どう見ても何かあったようにしか見えないんですけど」

 最後の方は小さくぶつぶつと不満を言うと、お父さんは目を細めた。

「お前は最近口が悪くないか? 佳南」
「そんなことありません。もしそうだとしても、お父さんに似たんですよ、きっと」

 お父さんはぴきぴきとこめかみをひくつかせた。

「そういう減らず口も……。まあ、いい。俺は少し寝る」
「寝るって、この空き缶ちゃんと片付けてくださいよ。私がやるの嫌ですよ」
「……本当に嫌味な娘だな」
「なにか?」

 じっと睨みあって、同時に目を離した。
 お父さんが空き缶を片付けるのを片目で見つつ、美沙の弟のことを思い出す。
 とはいっても、酔っぱらっているときに話すのは嫌だな。

「お父さん、少し話したいことがあるので後で時間を作ってくれますか?」
「話?」
「お金のことです」
「……わかった。明日話そう」

 重い足取りで寝室へ向かう彼に苦笑が漏れる。

「あ、そういえば……ってお前……」
「っ」

 お父さんが振り返って、私の表情に気づいた。

「なんで泣いてるんだ」
「………」

 気まずくて、目を逸らす。
 涙は相変わらず、私の目から流れていた。

「おい」
「なんでもないです」
「なんでもないことはないだろう」
「……そうですね。でもお父さんには関係ないです」

 あんた達親には、私のことなんて関係ない。
 そうでしょ?
 お父さんはふんっと鼻を鳴らした。

「そうだな。どうでもいい」
「…………」

 そのまま寝室に入ってしまったお父さんに、ちくりと胸が痛んだ。
 なんでだろう。
 いつもならそんなこと言われたくらいで傷つかないのに。

「はぁ……」

 もういいや。
 寝よう。

 リビングから出ようとしたとき、机に置かれた書類に目が行った。
 お父さんの仕事の書類だろうか。
 手に取って、文字を読み進める。

 なに……これ……

 思わず手で顔を覆った。
 最後に書かれた、お父さんとお母さんの署名。
 私のこと、どうでもいいって思ってるって思ってたのに。
 私はその場で蹲って、一人また泣いた。




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