その、小さな墓を母さんは呆然と見ていた。
 やっぱりここはいつきても、楽しいところじゃないな。
 苦笑して、墓に水をかけてやる。

「母さん、お花。変えなきゃ」

 放心している母さんに声をかける。

「母さん?」
「あ、ああ、そうね」

 母さんはゆっくりとした動作で花を花瓶に差した。

「紗音ちゃんは、死んだのね」

 呆然と言う母さんに、目頭が熱くなる。

「紗音ちゃん、は………うぅ、うぅ……」
「母さん……」

 母さんは自分の身体を包むように抱くと、太陽が照らす墓に刻まれた名前を愛しそうに触った。

「ごめんね。紗音ちゃん、ごめんね……」

 泣き崩れる母さんを、私は黙って見つめ続けた。
 何も言えなかった。罪悪感が、胸にたまっていった。

「波音ちゃん……」
「うん?」
「ごめんなさいね」
「…………」
「二年間、私は貴方にとても残酷なことをしていたのね」
「そんなこと……」

 首を振る私に、母さんは振り向いて言った。
 彼女の顔に浮かんだ、微笑み。
 母さんが笑ったの、久しぶりに見たなぁ。

「そんなことないよ。だって、私には学校があったから」

 勉強があったから。
 私もまた、勉強することで現実から逃げていた。
 微笑むと、母さんは一転、悲しそうな顔をした。

「母さん?」
「波音ちゃんは頭がいいのね。私もお父さんも、そんなに頭がよくなかったのに」
「ふふっ、私そんなに頭良くないよ」

 それでも、と母さんは私を抱きしめる。

「母さ、」
「紗音ちゃんは、私の自慢だった。貴方は、私の心の支えだった」
「心の支え?」
「ええ。波音ちゃんは心が強い。私や紗音ちゃんは、弱かった。貴方は、お父さんそっくりだわ」
「父さんに?」

 私が生まれる前に亡くなった父さん。
 私が、父さんと似てる?

「昔から、お父さんは強い人でね。弱さを私に全く見せなかった。でも、父さんも完璧な人じゃない。結果、私を置いて行ってしまったの」
「…………」
「貴方は、そんな後悔をしないでほしい。私は、波音ちゃんの見方だって忘れないでね」

 涙が、止まらなかった。
 抱きしめる母さんの腕の中、久々の温かいぬくもり。
 『愛』が、こんなに温かいものだと、初めて知った。

「私、勝ちたくてっ……、姉さんのことは好きだよ? 好きだけど、みんな、紗音紗音ってっ……! 私を見て欲しいの……っ」

 もがいて、訴えると、母さんはおかしそうに笑った。

「何言ってるの。貴方はもう、とっくに勝ってるじゃない」
「え……?」

 母さんが、鞄から何かの紙を取り出す。

「去年の夏から、ずっと学年一位。あ、でもこの前はさぼったのね、もっと頑張らなくちゃ」

 ふふっと笑いながら言う母さんに目を丸くする。
 母さんが持ってたのは私の成績表だった。

「なんで、それ……」
「貴方の担任の先生にお願いして、もらったの。紗音ちゃんは優秀だったけど、貴方みたいな、頑張り屋じゃなかったわ」

 顔に手を当てて膝から崩れ落ちる。
 どうしようもない感情が胸に広がって。
 嗚咽が、止まらない。
 母さんが私の頭を撫でる。

「波音ちゃんは、波音ちゃんよ。何も紗音ちゃんに劣るものはないわ」

 私の価値が、存在が、認められた気がした。
 努力が、報われた気がした。
 嬉しくて、仕方なかった。

「母さん、ありがとう……」
「もう、お礼なんて高校生がするものじゃないわ」

 母さんが私に目線を合わせる。

「いっぱい長生きして、私より幸せになって、それで……」

 母さんの声が震えて、小さくなった。

 墓に添えられた花が風に揺られてきらめいた。





 帰りの車に揺れられる中、涙が止まらなくてテッシュをずっと顔に当てる。
 私の座席の周りには、涙で湿ったティッシュで埋め尽くされていた。
 綺麗好きの母さんは怒るかと思ったけど、何も言わなかった。

「ねぇ、母さん」

 ふと、あの人の顔が浮かんで、私は口を開いた。

「なあに?」

 優しい声で、言う母に、続きを言おうかどうか迷う。
 だけど、私を見てくれた母さんには、言いたいって思った。

「私、星蘭で友達ができたの」

 黙って続きを促す母さんに、涙ながらに告げる。

「その子に恋人ができて、私嬉しくて、だけど、悔しくて……」
「どうして?」
「恋人のその人のこと、私も好きだったから」

 私は凛のことを思い出して拳を握りしめた。
 彼のことを思い出すだけで、もう胸が張り裂けるように痛い

「でも、いいって思ったの。その子には、彼が必要だって思ったから。
 ……だけど、違ったの。好き通しじゃなかったんだって。友達は好きだったけど、恋人の方は好きじゃなかったんだって。なのに、付き合ったふりしてたの」

 それが、どうしても、

「許せなかった。だって、それってお互いを傷つけてるだけじゃん。……私の考えって間違ってる?」

 後半は、自信がなくて疑問形になってしまった。
 全部話すことが出来なくて、掻い摘んで話したけど、母さんは微笑みを崩していない。
 優しい笑みで運転している。
 私が黙ると、母さんはそっと言った。

「間違ってないよ」
「え……?」
「だけど、その二人はお互いに知ってたのよ。傷つけてること。自分たちが傷ついてること」
「じゃあ、なんで……」
「……弱いから」

 母さんが、何か遠くを懐かしむように見た。
 自分の過去を思い出しているのだろうか。
 わからないけど、その横顔は哀愁に満ちていて、黙って続きを聞いた。

「弱いから、支えてもらいたいの。弱いから、支えたいの」

 凛と佳南が、弱い……?
 首を傾げる私に、母さんは頷いた。

「貴方は強いから、あまり理解できないのよ」
「そう、なのかな……」

 何度も私のことを強いという母さんに、なんだかムッとする。

「私だって、傷つくこととかあるよ?」
「ふふっ、そりゃあ、人間だから、傷つくことだってあるわ。私が言ってるのは、そういうことじゃないの」

 じゃあ何? と聞くが、母さんは微笑むだけで教えてくれなかった。

 静かな振動が私に落ち着きを取り戻し、涙はやがて止んだ。

「ねえ母さん」
「なあに? 波音ちゃん」
「……その、波音ちゃんってのやめてよ。なんか他人行儀で嫌だ」

 ぶすっとして言うと、母さんは目を見開いて、恥ずかしそうに顔染めた。

「そ、そう?」
「うん。あと、これからはそんないっぱい仕事してないで家にも帰って来てよ」

 母さんは、わかったわと笑うと、私の頭を撫でた。

「……なんか、私子供扱いされてる?」

 母さんの手を掴んだ私に、彼女は優しく言った。

「だって、子供だもん、私の大切な」




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