母さんは、別に私を本気で間違えたわけじゃない。
 姉さんが死んだことを、本気で忘れていたわけじゃない。

 ただ、認めたくないんだ。
 姉さんが死んだあの日、二年前のあの日から、母さんの中にある時計は止まったまま。

「母さん」
「なあに?」
「もう、休みなよ。さっきまで、仕事してたんでしょ?」

 机に散らばっている書類を見て言う。
 この様子だと、徹夜をしていたのだろう。

「そうね。仕事も一息ついたし。少し寝るわ」

 寝室へ言った母さんを見送ってから、蹲って、自分自身を抱いた。
 二年前に封じ込めていた想いが、溢れ出して、涙になって出てくる。

 母さんは、滅多に帰ってこない。
 テストでカバーしているとはいえ、私が高校に通っているのには相当な負担がかかる。
 私を育てるための仕事をたった一人でしているのだ。

 いろいろな仕事を掛け持ちして、職場に泊まり込みで仕事をしている。
 帰って来るのは、三か月に一回くらい。
 だから、実際に会うと、ああやってぎこちなくなってしまう。

 でも、前に会った時は、あんなじゃなかった。
 よっぽど、仕事が忙しかったんだろう。
 それで、多分会社の方が休みを出したんだ。

 母さんは、いつもそう。

 やりすぎなくらい頑張って、見かねた周りがいつもストップをかける。

 姉さんが死んでからは、特にそれに拍車がかかった。
 嫌なことを、忘れているんだ。仕事をすることで。
 だけどそれが、己の精神を壊していく。

 姉さんが死んで、心に傷を負ったのは、凌空だけじゃない。
 悲しんだのは、私だけじゃない。

「うっ……うっ……」

 大きな窓から射した熱い太陽が、部屋を白く照らす。
 そんな明るいところで、私は嗚咽を漏らした。
 泣き声を上げたいけど、寝室にいる母さんに聞かれるのはまずい。
 唇を噛んで、しゃっくりを抑えた。


 ――姉さん。

 人が死ぬということは、どれほど周りに影響を及ぼすのか。

 貴方が死んだことは、どれほど重い罪なのか。


 身体をぎゅっと抱いたことで痛んだ、腕の当たり。
 何気なくそこを見る。

「痛い……、痣になってる」

 少し青くなったそこを軽く撫でる。
 頭の中に、凌空の顔が浮かんで、佳南の顔が浮かんで、最後に凛の顔が浮かんだ。

 愛しい、彼の顔を思い浮かべた瞬間、私の中で決意が固まった。


 このままじゃ、いけない。

 凛は過去を乗り越えて、最愛の人を見つけた。
 佳南という人を愛した。

 誰よりも、何よりも悲しかったはずなのに。
 苦しかったはずなのに。

 私も、母さんも、凌空も。
 変わらなくちゃいけない。
 姉さんの死を、乗り越えなくちゃいけない。





「あら、これ波音ちゃんが作ってくれたの?」

 夕方、起きてきた母さんが、私が並べた料理を見て言う。
 今朝より大分顔色も良くなっている母さんに、ほっと安心した。

「そうだよ。私が作ったの。冷めないうちに食べて?」
「まあ、そうするわ。ありがとう」

 静かにご飯を食べ、箸の音が小さく響く。

「ねえ、母さん」
「なあに?」
「もうすぐ、お盆だよね」
「そうね」
「お墓参り、行こっか」
「お墓参り?」
「うん、姉さんの」

 母さんは、静かに私をじっと見つめた。
 私もそれを見返す。
 やがて、視線を下にして、頷いた。

「そうね、お盆だものね」
「うん」



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