『あんた、本当に一日中勉強しかしてないのね』

 波音の家。
 ひたすらに手を動かしている波音を呆れて見つめる。
 私の言葉に顔を上げた波音は、照れたように笑った。

『私には、勉強しかないもの』
『勉強しかないことはないでしょ? あんた十分可愛いじゃない』
『そう、かもしれないけど。そういう、何もしてないで手に入るものだけで勝負してたら、あの人には勝てない』
『あの人?』
『あ、ううん。なんでもない』

 今思えば、あの人というのはお姉さんの、紗音という人だったのかもしれない。

『私は7位。波音は……また1位か』
『本当、良かったっ!!』
『あんた、いっつもこの順位とってるのに毎回嬉しそうにするよね。慣れとかないの?』
『慣れるくらい簡単にとれるなら、こんなに努力してないよ。私の場合、頑張っても結果が付いてこないから、その二倍頑張って、無理やり結果をついてこさせてるの』

 波音の頑張りを、間近で見てきた私にはわかる。
 美沙があの時頑張ってるのは知ってる。知ってるけど、どこかの迷いも、きっとあった。

「能力で私に越えられないのを逆切れして正当化してんじゃないわよ」
「あんたなんかにっっ!! 私の何がわかんのよっ!!」

 顔を歪めて目を吊り上げた美沙が私に掴みかかり、押し倒した。
 首に手を当て、目を血走らせている。

「努力してないあんたに、そんなこと言われる筋合いないっ!! 私のこと、何も知らないくせにっ!!」
「知らない、わよっ!! でも、だからこそ、知らない私に同情されれば、あんたはそれで満足!? 美沙もがんばったのにねってあの時私が言って、あんたはそれで嬉しいのっ!?」
「うるさいうるさいうるさいっっ!!!!」

 首を絞める手の力が強まって、苦しさにもがく。

「うっ、ぐっ……み、さ……」

「――何してんだっっ!!」

 がっと美沙が吹っ飛んで、首の圧迫感がなくなった。
 息をいっぱいに吸い込んで、肺に酸素を取り込む。
 顔を上げると、凛がコンビニの袋を持って私たちを呆然と見下ろしていた。
 美沙は凛に引き剥がされたらしい。横で恨めしげに凛を睨んでいる。

 ……凛、帰ったわけじゃなかったんだ。

 凛はこぼれている精神安定剤の入ってる瓶や、私の様子を見て状況を理解すると、美沙の襟を掴みあげた。

「お前、佳南に何した!」

 いつもの様子からは想像もできない彼の怒気の入った表情に、美沙の顔が強張った。
 止めようと体を起こすが、その前に美沙はふっと笑った。

「滑稽だね。この自己中女がそんなに好き?」
「はぁ……?」

 美沙は凛に襟を掴まれたまま、胸元から写真を取り出し、机に放る。

「っ!」
「それにしては、隠れ美少女ちゃんとお似合いじゃん?」

 写真を見る。そこには、教室で仲良さそうに話している波音と凛が写っていた。
 凛が波音の手を包み込み、波音は恥ずかしそうにしている。

「これ……」

 凛を見ると、気まずそうに目を泳がせた。

「話してだけだ」
「それにしても、一緒に遊園地に行く約束までして、」
「それは違う!」

 遊園地、か……

 私は立ち上がった。焦る凛に目を輝かせて喋る美沙に近寄る。

「ふふっ、佳南といるときより恋人に、」

 パンっと、部屋に頬を叩く音が響いた。
 美沙を殴った手を呆然と見た私は、やがて俯いた。
 美沙は、凛じゃなく私を殴ったことに驚いているのだろう、唖然と頬を抑え私を見ている。

「帰って」
「なっ、」
「私が、私が凛のこと、好きだから、大好きだから、お願いして一緒にいてもらってるの。あんたこそ、何も知らないくせに、余計なこと、しないで」

 涙が、流れ落ちた。

「佳南……」

 これ以上凛に情けない姿を見られたくなくて、強引に美沙の手を引っ張る。

「な、なによっ!!」

 外に放り出すと、扉に鍵をかけてその場にしゃがんだ。
 それでも美沙の叫ぶような声が聞こえてたけど、しばらくすると静かになって、涙がまた流れ出した。
「佳南……」

 玄関で座り込んでる私に、凛が声をかける。

 あの日、病院で私が凛に告白した日。キスが終わったとき、凛は言ったのだ。

『ごめん、佳南ちゃん。君のことは大切に想ってる。だけど、俺は、君の気持ちに答えることは、』

 続きを言おうとした凛の唇に、そっと人差し指を当てた。

『それ以上、言わないで。わかってる、わかってるから……。それでも、傍にいてほしいの。お願い、お願いだから……』
『………………ああ』

 私は、自分が弱っていることを理由に、凛の優しさにつけこんだ。

「美沙、私のこと、嫌いだって。傷つけたかったって……」
「佳南」

 凛がそっと私を抱き寄せる。
 その温かさに、ぎゅっと縋りついた。

「俺がいる。俺がいるから……」

 ああ、いつだって、甘えてしまう。
 彼の心が私にないということを知っていながら、縋ってしまう。
 私は凛を縛ってしまっている。

「凛、大好き」

 そう言った私に、少し凛の手が弱まったことで、気付いた。
 この関係は、早くに終わらせなくちゃいけないと。
 だけど、今だけ、今だけは縋ってもいいでしょう?

 お願い、凛……私を、私だけを見て。






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