「――黙って」
「……っ」

 私は肩にある凛の手を静かに払って、取り乱した彼を睨みつけた。

「そんな大声で、その名前を叫ばないで」

 おとなしく私から手を放した凛にため息を吐いて、正面を向く。なるべく感情を鎮めるために。

「もう一回聞く。貴方は危険区域で何をしていたの? 何者?」

 私の問いに、歯を食いしばっていた凛はやがて口を開いた。

「俺は……睡蓮の総長だよ。」


 ――“睡蓮”

 蒼一高校を中心に灰狼町を支配している暴走族。
 噂は、良くない。犯罪者がいっぱいいるとか、ヤクザの後ろ盾があるとか。
 それにみんなニックネームで呼びあっていて、多分お互いに実の名前を知らない。

 ……凛が、そういう側の人間だってことは気が付いていた。
 だいたい、私に近づくのは、そういう人間だから。
 本当は、ちょっとは期待したんだ。いや、現実から逃げてたのかな。
 この人は、ちゃんと私を見て、近付いてきてくれたんじゃないかって。
 でも、親のコネで入ったって言葉で、気付くべきだった。
 睡蓮は、ヤクザが後ろについているわけじゃない。
 ただ、一人一人が脛に傷を持つ人間。例えば、金持ちの浮気相手の子供だったり、売り飛ばされて名前だけ変えて資産家の養子として生きていたり。
 権利を、自由に操れる人が集まっている。

 私がいるから、彼は転校してきた。
 柏月紗音と同じ名字で似ている顔をした、私がいるから。

 ――ああ、駄目だな。私はまだあのことが許せてないんだ。


 私は体から溢れ出る激情に促されるまま、彼の腕をがっと掴んだ。あまりにも強い感情に、両手がぶるぶると震えた。
 彼は、怒りに目を血走らせて睨む私に動揺しながらも、こっちをじっと見つめていた。

「……“あなた”だったのね」
「…………」
「知ってたよ、知ってた。凛が関係者だってこと、知ってたけど、まさか“あなた”だとは思わなかった。私が聞いてる情報とちょっと違ったから」
「な……にを……」

 戸惑う凛を鋭く睨みつけた。ああ、これが、睡蓮の総長かと、目に焼き付けるために。


 近付いた顔と顔は、さっきキスをしたときのような色っぽさのかけらもなかった。汗が滲み、互いの濃密な感情が息となって口から何度も漏れだす。

 ……やがて、私はゆっくりと手を放すと、彼の顔を見ずに呟いた。

「ごめん」
「…………」
「いきなり、変なことして、驚いたよね。でも、そっちも同じだよ。驚くよ」

 責めるように薄笑いして言うと、凛は悲しそうな目をした。
 その身勝手な表情に激情が体の中を走る。

「そんな顔、しないでよ。優しくされて、馬鹿みたいにはしゃいでた私を憐れんでるの?」

 口を震わせると、凛がそっと首を振って私の手を握った。

「そんなこと、ないよ。今日も、本当に君と出掛けたかったんだ」
「……っ」

 その冷たいぬくもりを感じながら、先週、私の家を見ながら彼がした表情を思い出す。




 ……嘘ばっかり。

 今でも“姉さん”のことを愛しているくせに。



「……来週、姉さんに会いに行く。何を見ても受け入れる覚悟があるならついてきて」

 静かに言った私に、凛は首を傾げつつも、頷いた。





 人が絶望した顔を、人は何回見たことがあるのだろう。

 もしかしたら見たことがないかもしれないし、何百回もあるのかもしれない。


 人が絶望した顔を、私は何回見ただろうか。

 でもそれは、本心から絶望したものではないのかもしれないし、もっと深い、底に落ちるような悲しみだったのかもしれない。


 ――だけど、どうであれ、人の悲しむ顔を見るのは、とても辛い。


 目の前の、小さめに作られた“墓”を見つめて、呆然と立ち竦む彼に、傘をさしてやる。
 天気予報が外れて朝から降ってきた雨がざーざーと、『柏月紗音』と書かれた墓に降り注ぐ。
 凛は魂が抜かれたように、あ、と喉からしわがれた音を出すと、膝から崩れ落ちた。

「嘘、だろ……、紗音……紗音、さねっっ!!!!」

 耳を塞ぎたくなるような、悲痛な叫び声が、彼の口から溢れた。
 いつもの嘘くさい笑顔や、にやっと余裕のある表情をする普段の彼からは想像もつかない、衰弱した姿だった。
 傘を当てながら、それを苦い表情で見つめる。

 どれくらいたっただろう。
 長い間、その墓の前で手をついていた彼は、ふと立ち上がると、私を恨みや怒り、いろいろな感情を込めた眼で見た。

 そこには、悲しさも込められていただろう。
 苦しさも込められていただろう。

「……知って、いたんだろう」
「…………」
「俺が死に物狂いで彼女を探していることを、知っていたんだろ!?」

 がっと、凛は私の襟首を掴んだ。
 彼の強い激情にさらされて、私はふらついた。
 それでも、ずっと思っていたことを、今でも変えられない気持ちを、伝えるために口を開く。

「知ってた。姉さんと睡蓮の総長――貴方が、本気で愛し合っていたこと」
「だったら、なんで……っ!?」
「姉さんは、“紫蘭”に殺された」
「……っ!!!!!」

 正反対な声の色、怒りの種類。

「正確には、紫蘭に陶酔していた身元も知れない男たちに」

 凛の顔が、冷たく、青ざめていく。

「睡蓮の総長なら、なんでか、わかるよね?」

 なんだか泣きたくなって、掴まれていた手を振り払う。

「許せなかった。姉さんを殺した紫蘭も、その理由を作った、睡蓮も」




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