6 「――黙って」 「……っ」 私は肩にある凛の手を静かに払って、取り乱した彼を睨みつけた。 「そんな大声で、その名前を叫ばないで」 おとなしく私から手を放した凛にため息を吐いて、正面を向く。なるべく感情を鎮めるために。 「もう一回聞く。貴方は危険区域で何をしていたの? 何者?」 私の問いに、歯を食いしばっていた凛はやがて口を開いた。 「俺は……睡蓮の総長だよ。」 ――“睡蓮” 蒼一高校を中心に灰狼町を支配している暴走族。 噂は、良くない。犯罪者がいっぱいいるとか、ヤクザの後ろ盾があるとか。 それにみんなニックネームで呼びあっていて、多分お互いに実の名前を知らない。 ……凛が、そういう側の人間だってことは気が付いていた。 だいたい、私に近づくのは、そういう人間だから。 本当は、ちょっとは期待したんだ。いや、現実から逃げてたのかな。 この人は、ちゃんと私を見て、近付いてきてくれたんじゃないかって。 でも、親のコネで入ったって言葉で、気付くべきだった。 睡蓮は、ヤクザが後ろについているわけじゃない。 ただ、一人一人が脛に傷を持つ人間。例えば、金持ちの浮気相手の子供だったり、売り飛ばされて名前だけ変えて資産家の養子として生きていたり。 権利を、自由に操れる人が集まっている。 私がいるから、彼は転校してきた。 柏月紗音と同じ名字で似ている顔をした、私がいるから。 ――ああ、駄目だな。私はまだあのことが許せてないんだ。 私は体から溢れ出る激情に促されるまま、彼の腕をがっと掴んだ。あまりにも強い感情に、両手がぶるぶると震えた。 彼は、怒りに目を血走らせて睨む私に動揺しながらも、こっちをじっと見つめていた。 「……“あなた”だったのね」 「…………」 「知ってたよ、知ってた。凛が関係者だってこと、知ってたけど、まさか“あなた”だとは思わなかった。私が聞いてる情報とちょっと違ったから」 「な……にを……」 戸惑う凛を鋭く睨みつけた。ああ、これが、睡蓮の総長かと、目に焼き付けるために。 近付いた顔と顔は、さっきキスをしたときのような色っぽさのかけらもなかった。汗が滲み、互いの濃密な感情が息となって口から何度も漏れだす。 ……やがて、私はゆっくりと手を放すと、彼の顔を見ずに呟いた。 「ごめん」 「…………」 「いきなり、変なことして、驚いたよね。でも、そっちも同じだよ。驚くよ」 責めるように薄笑いして言うと、凛は悲しそうな目をした。 その身勝手な表情に激情が体の中を走る。 「そんな顔、しないでよ。優しくされて、馬鹿みたいにはしゃいでた私を憐れんでるの?」 口を震わせると、凛がそっと首を振って私の手を握った。 「そんなこと、ないよ。今日も、本当に君と出掛けたかったんだ」 「……っ」 その冷たいぬくもりを感じながら、先週、私の家を見ながら彼がした表情を思い出す。 ……嘘ばっかり。 今でも“姉さん”のことを愛しているくせに。 「……来週、姉さんに会いに行く。何を見ても受け入れる覚悟があるならついてきて」 静かに言った私に、凛は首を傾げつつも、頷いた。 * 人が絶望した顔を、人は何回見たことがあるのだろう。 もしかしたら見たことがないかもしれないし、何百回もあるのかもしれない。 人が絶望した顔を、私は何回見ただろうか。 でもそれは、本心から絶望したものではないのかもしれないし、もっと深い、底に落ちるような悲しみだったのかもしれない。 ――だけど、どうであれ、人の悲しむ顔を見るのは、とても辛い。 目の前の、小さめに作られた“墓”を見つめて、呆然と立ち竦む彼に、傘をさしてやる。 天気予報が外れて朝から降ってきた雨がざーざーと、『柏月紗音』と書かれた墓に降り注ぐ。 凛は魂が抜かれたように、あ、と喉からしわがれた音を出すと、膝から崩れ落ちた。 「嘘、だろ……、紗音……紗音、さねっっ!!!!」 耳を塞ぎたくなるような、悲痛な叫び声が、彼の口から溢れた。 いつもの嘘くさい笑顔や、にやっと余裕のある表情をする普段の彼からは想像もつかない、衰弱した姿だった。 傘を当てながら、それを苦い表情で見つめる。 どれくらいたっただろう。 長い間、その墓の前で手をついていた彼は、ふと立ち上がると、私を恨みや怒り、いろいろな感情を込めた眼で見た。 そこには、悲しさも込められていただろう。 苦しさも込められていただろう。 「……知って、いたんだろう」 「…………」 「俺が死に物狂いで彼女を探していることを、知っていたんだろ!?」 がっと、凛は私の襟首を掴んだ。 彼の強い激情にさらされて、私はふらついた。 それでも、ずっと思っていたことを、今でも変えられない気持ちを、伝えるために口を開く。 「知ってた。姉さんと睡蓮の総長――貴方が、本気で愛し合っていたこと」 「だったら、なんで……っ!?」 「姉さんは、“紫蘭”に殺された」 「……っ!!!!!」 正反対な声の色、怒りの種類。 「正確には、紫蘭に陶酔していた身元も知れない男たちに」 凛の顔が、冷たく、青ざめていく。 「睡蓮の総長なら、なんでか、わかるよね?」 なんだか泣きたくなって、掴まれていた手を振り払う。 「許せなかった。姉さんを殺した紫蘭も、その理由を作った、睡蓮も」 |