カリカリカリ……

「ああ、もうっ!!」

 私は苛立ってばっと机をたたいた。今やってるこの問題、何回解いても答えに辿り着かないのだ。本当に腹立たしい。
 そんな私を三日月さんがびくっと肩を震わせてありえないとばかりに見た。

 ……あ、やばい。三日月さんいるの忘れてた。

「……いきなり何?」
「ご、ごめん。この問題が解けなくて」

 睨んでくる三日月さんに縮こまると、彼女はその問題を覗き込んで来た。
 転がってたシャーペンを持つと、こんなのがわかんないの? とばかりに式をかきだす。

「ここは、x y zをそれぞれkを使って表すのよ。それぞれの比がちゃんと書いてあるんだから」
「え、あ、確かに!!」

 途中式まで書いてくれた三日月さんに頷くと呆れたような顔をされた。

「……あんた、こんなんでよく学年一位なんてとれるわね」

 逆に尊敬するわと言った三日月さんにうぐ、と呻く。
 そうなのだ、私は、去年の夏ぐらいから全教科学年一位をキープしている。

 でも、

「私、そんなに頭良くないよ。起きてる時間全部勉強に費やして、やっと授業に追いつけるくらい」

 そう、私は別に、地の頭がいいわけじゃない。元々、前通っていた中学では成績は中の下で、この学校に受かるのも無理って言われていたくらいなのだ。

「ふーん、なんでそんなに勉強にこだわるの?」

「えっと、理由はいろいろあるんだけど、この学校定期考査で5位以内をとると一定期内の授業料が免除になるでしょ? 私、シングルマザーで、あんまりお母さんに頼りたくないの」
「……そう」

 納得したのか、三日月さんは黙って下を向いた。
 そうしていると、やがてぽつりと呟く。

「24時間勉強に費やしても、この学校じゃ1位なんか取れない人はいっぱいいる。別にあんたは頭が悪いわけじゃないよ」

 その言葉に、私は目を丸くして、笑った。
 なんだかんだ言って、この人は優しい。

「そうかな。そうだといいな。……でも三日月さんだってすごいじゃない。いつも順位は一桁だし、美人だし」

 笑って言うと、三日月さんはばっと顔を上げた。
 その顔は恨めしそうに私を見ていて、えっと声を漏らす。

 私、変なこと言っただろうか。

「それ、嫌味?」
「え?」

 三日月さんは手を伸ばすと私の頬を触り、それから胸をぎゅっとつかんだ。

「ぎゃあっ!!」

 思いがけない行動に悲鳴を上げる。
 三日月さんは眉を顰めた。

「胸、Dはあるわね……、顔も、綺麗な顔してるし。いつもダサい眼鏡してるから気づかなかったわ」
「な、な、なっ!!」

 さらりとそう言う彼女に顔を赤くして唇を震わせる。
 三日月さんは顰め面のまま手を放した。

「あいつの言っていたことがわかったわ。確かに私以上……いや、私と同じくらい……」

 ぶつぶつと呟く三日月さんに恐る恐る声をかける。

「あの、良かったら、これからも勉強教えてくれないかな。私一人だと、すっごく効率悪いの」

 ダメもとで聞いてみたのだが、意外とあっさり三日月さんは頷いた。

「そうね。泊めてくれた恩もあるし、私、あんたのこと気に入ったわ」
「あ、ありがとう、三日月さん」
「……その、何? 三日月さんってやめてくれない?」
「え?」
「佳南って呼んで。長ったらしいたらありゃしないわ」
「か、佳南……さん」
「佳南、よ!」

 え、え、もしかして呼び捨て!?

 無理無理無理無理と手を振る。

 そんな虎に突進するようなことできるわけ……

 ひきつった笑いを顔に浮かべていると三日月さんはぎろっと私を睨んだ。

「なに? 私の言うことが聞けないの?」

 ひ、ひぃぃ

「か、佳南……」

 絞り出すように言うと佳南は満足そうににこっと笑った。







「そういえば、なんで佳南は凛と一緒にいたの?」

 もう寝よう、というとき、私は気になっていたことを聞いた。
 佳南はびくっと肩を震わせる。
 なんか、聞いちゃいけないこと聞いちゃったかな?

「あ、言いたくなかったらいいんだけど……」

 別に無理に聞きたいわけじゃない。
 でも、佳南は私のベットの隣にひいた布団に潜り込むとぽつりぽつりと離してくれた。

「隣町に行ってたの」
「隣町? って、灰狼町?」
「うん」
「なんでまた……」

 あそこは治安が悪いって有名だ。特に私達みたいな星蘭の生徒は近寄らない。

「会いたい人がいたの。その人を探してた。そしたら、知らないうちに危険区域に入ってて……」
「危険区域!?」

 法律も通用しない無法地帯っていう、あの!?

「……それで、お、襲われそうになって……」

 声が震え出した佳南に、私はベットから飛び出して寄り添った。
 それは、怖かっただろう。
 背中を撫でるとてっきり怒られると思ったのだが、佳南は意外にも私に抱き着いてきた。

 なに、これ……、すっごくかわいいんですけど!!
 場の空気に反して、私は少し身悶える。

 だが、次の言葉を聞いて私は凍り付いた。

「それで、凛が、助けてくれて。なんか、私を襲った男たちと知り合いみたいで……」
「それって、危険区域にいた……?」
「……? うん」
「………」

 黙って佳南の背中を撫でているとやがて寝息が聞こえてきて、私は自分のベットに戻った。
 自分の顔が、やけに青ざめているのがわかる。
 凛が危険区域にいた。そして、その男たちと知り合いだった。
 蒼一高校にいたって話から、まさかとは思ってたけど……。

 はぁぁと深く息を入って、目を瞑る。

 別に、私の情報を深く与えなければいいだけの話だ。

 ただ、それだけの話。

 そう自分に言い聞かせ、私は浅い眠りについた。




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