ほとんどの使用人が寝静まった深夜。








グレイ伯爵家の裏庭からこっそりと帰宅して、誰も起こさないように使用人室を横切ったつもりだった。











「あら、お早いおかえりね?」










台所女中(キッチンメイド)のメアリ・アンダーソンに呼び止められ、思わず肩を震わせた。








「てっきり朝帰りなのだとばかり思ってたわ」








メアリのからかいには応えず、名前は申し訳なさそうに眉を下げた。










「すみません……音を立てないようにしていたのですが、起こしてしまいましたか?」




「いえ、明日の朝ごはんの仕込みをしてたのよ。ほら、旦那様はよく食べるでしょ?毎食凄い量を用意するには時間が足りなくてねー」









悪態をつきつつも、この年配の台所女中の表情はどこか穏やかだった。



そういえば、彼女はグレイ伯爵家に勤めて20年以上になるといったか。
きっとこの程度の残業は日常茶飯事なのだろう。











「今日のおでかけは楽しめた?貴女を連れて街に出かけたり舞踏会に連れて行こうとしたり、坊ちゃ……いや、旦那様はすっかりあなたにご執心ね」


「いえ、そんなこと。……ミセス・メアリはグレイ伯爵家に勤めて長いんでしたよね?」







ニヤニヤと茶化す台所女中に対し、話題を変えようと話を振ると彼女は誇らしげに胸を張った。









「ええ!旦那様がこんな小さい坊ちゃんだった頃から勤めてるわ。それこそ、今のマイケルよりも幼い頃から」









メアリは膝の辺りで手の平を振りながら、当時の当主の身長を示し得意げに語った。






彼のことを坊ちゃんだなんて呼び間違えられるのは、使用人の中でも古株の彼女ぐらいだ。


あんな大胆不敵な男にも、そんな子供時代があったのかと思うとなんだか不思議な気持ちになった。






「今でこそあんな感じだけど……チャールズ様も昔はもっと素直で可愛げのあるお方だったのよ」


「へぇ、そうなんですか?あの方の我儘にフィップス様もいつも頭を抱えてますが」






メアリの語る意外な話に名前は興味深げに目を見開く。





「ふふっ、貴族の方なんて大なり小なり我儘なところあるでしょ?」









彼女がチャールズ・グレイの話をする時の眼差しは優しく、屋敷の雇用主というよりはまるで親戚の子どもを語るかのようだ。

きっと幼い頃から長く彼をみている分、思い入れがあるのだろう。










「マイケルは貴女のことをとても心配しててね、病院から帰った後も落ち着かずそわそわしてたけど、私は何も心配いらないと思ったのよ。
あの色気より食い気だった旦那様が、あなたのことを大切に思ってるのを見てるとね」




メアリは名前の手を掴み、彼女を優しく見据えた。










「色々大変だと思うけど旦那様のこと、これからもお願いね」














今まで色々な人に自分はチャールズ・グレイに特別視されていると言われてきたが、正直なところ今日までその実感はなかった。






彼は基本的に短気で仏頂面だし、何を考えているのか分かりにくいところがあったからだ。








しかし、今日の外出先での彼の態度と、この台所女中の言葉は誰よりも重みがあり、ようやくその実感を得ることができた。













(やっと、ここまでの信頼を得られる段階に入った……)










でもその程度では満たされない。









もっと、もっと、もっと









もっと深く、私を求めてくれなければ。









彼の心まで奪って、溺れさせる。







そうしたら……私があなたをこの手で……。



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