あれからどの位歩いただろうか。
秘密の抜け道の階段をくだると、塹壕のような長い地下道が続いていた。
恐らくこの道はもう屋敷の外に伸びているのだろう。
『着いたよ』
チャールズが左手に持ったランプを掲げると、木製の扉が照らし出された。
右手に名前の手を引き、両手の塞がった彼はその扉を勢いよく蹴破った。
(ドン!)
扉の先はやはり外で、開かれた瞬間ひんやりとした冷気が頬に触れる。
強い潮風に顔を顰めると、うっすらと磯の香りがした。
秘密の抜け道はグレイ伯爵家の屋敷の裏手に続く海岸につながっていた。
視界に飛び込んできた景色に、名前は思わず息を呑む。
「すごい、なんて綺麗なの……!」
眼前には、満天の星空の下に広大な海が広がっていた。
満月の光に照らされて、白い花が辺り一面に咲き乱れてる。
『小さい頃さ、10歳になると度胸試しに、お爺様からここにしか生えてないっていう花を満月の夜に取りに行かされるんだよね』
滅多に自分のことを話さない彼が、珍しく思い出話を語ってもその顔はどこか不満気で、どうやらあまり良い出ではないらしい。
「……怖かったんだ?」
『べ、別に!?』
チャールズの子供の頃を想像するとなんだか可笑しかった。
夜に外を歩くのが怖かった子供が、今ではこの国の女王のロイヤルガードなのだ。
『ちょっと!何まだ笑ってんの?この道はもしもボクに何かあった時のために君に覚えててもらわないと困るんだよ?』
わかってる?といつになく真剣な眼差しで覗き込む。
「ふふっ。確かにこの抜け道を使う機会がないことを願うけど、でもこの場所はとっても素敵。こんな綺麗な星空、ロンドンではなかなか見られないから……」
彼は名前の言葉に呆れたように、腰に手を当ててため息を吐く。
『君ってほんっとーにお気楽……』
グレイは夜空を仰いで瞳に星空を映す妻の手を引き、自分の方に向き直す。
彼女の視線は星にだって奪われたくない。
『ボクはあんまり本邸に帰って来られないし、父親?らしいこともできないかもしれないけど……』
彼が瞳を細めると、白く美しい睫毛が微かに揺らいだ。
引き寄せた手のひらが優しく重ねられる。
『そんなにココが気に入ったんならさ、そのお腹の子が生まれたら3人でまたここに来よう』
珍しく穏やかに笑う彼に、名前は胸の高鳴りが抑えられなかった。
結婚したばかりの頃は想像もできなかった。
チャールズとこんな風にお互いを思いやれるような関係になるなんて。
「うん……っ!絶対よ?」
第一印象は最悪で、この結婚は間違っていたのかと悩んだ時もあったけど……
こうして大切にされ、愛する人との新しい命を授かり今はとても幸せだ。
今日までのことを思い起こし、もうすぐ誕生する命に想いを馳せると、名前の瞳から自然と涙が溢れた。
***
──それから、4年後。
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