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小さなノックをする音でおれは本から顔を上げた。
目の前のナマエの声を顰めながら耳元で「布団に包まって隠れてろ」と言って、布団に頭までかぶらせるとベッドの端に移動させた。
傍から見れば布団を丸めて端に寄せてるとしか見えないだろう。

床に足を下ろしてナマエに背中を向け、医学書を膝の上に乗せると「入れ」とノックへ返答した。

「失礼します」

入ってきた女はおれを見て、その後ろからシャチがついてきた。

「どうした、ナマエ」
「一緒に医学書読みに来ました。シャチ、一緒に居てもつまらないよ?」
「いつも一緒に居るじゃんか」

この女はまだクルーとナマエの関係性を掴めていない印象だった。
そのため、シャチのその言い分も特に違和感なく、シャチもなかなか機転のきく奴だと内心笑った。

「お前が以前、シャチやイルカを補助兼護衛として傍に置きたいっつったんじゃねェか」
「そうですけど…」

おれの単純な予防線にかかるくらいの程度の奴であればこのくらい堂々とした嘘もつける。まあ、単純と言ってもまさかベポの嗅覚で違いが分かったなんて思いもしないだろうが。一応、ナマエの匂いをさせるために身ぐるみを剥がしたのだろうが。

「で?何の用だ」
「その…一緒に医学書を読もうかと…」
「ここにある本は読みつくしただろ」
「…もー、キャプテンと一緒に過ごしたいだけです」

ナマエに為りきれてねェ。コイツはそんな素直に言わねェよ。
どんなに変装技術があろうが、たった数日コイツを観察したぐらいじゃ性格を掴めるはずもない。これは予防線を張らなくてもすぐに違和感に気が付いただろうな。

この船を沈める気だったり、ハートを壊滅させる気であればこんな中途半端な潜入はしないだろうし。船長であるおれの前にこんな頻回に会おうとしない。
まずは戦闘能力の低そうなクルーから徐々に減らしたり、医療知識もあるんであれば毒物を仕込むことだって考えられる。
なのにその行動は起こす所か馴染もうとする様子を見ていると、本当にペンギンの言う通り、おれを落とすとかいう馬鹿みたいな目的じゃないかと疑う。

「キャプテン?」
「…面白くねェ。そんな女に成り下がったんだな。おれは追うのは好きだが、追われるのは好きじゃない。完全におれに落ちたお前に用はない」

背中に当たる布団が震えた気がする。
馬鹿。てめェに言ってんじゃねェんだぞ。勘違いすんじゃねェ。

そうすぐにでも言ってやりたいが、こればっかりはどうにもならない。
傷ついたような表情の女の顔はナマエそのものだ。さすがに変装と分かっていても、そんな顔を見ていられずに目線を医学書に戻した。

「元のクルーと船長の関係に戻る。クルーとして乗る気がねェなら次の島で船から降ろすからな」
「っ!」

涙を流しながら部屋から出ていく後ろにシャチがついていった。
あの女はとりあえずシャチに任せて、おれはこの布団の中でどうせ泣きそうな面をしているだろう本物のナマエに目をやった。

「てめェに言った言葉じゃねェからな」
「…」
「聞いてんのか」

布団を掴み、顔を見ようとすれば中から布団にしがみ付いて剥がさないようにしているのか剥がれない。

「てめ…ざけんな」
「今はダメです」

布団の中からくぐもった声が聞こえてきたが、声が震えている。
力任せに引きはがして両手をシーツに押し付けた。
しっかりと顔を見ることができたが、その顔は涙で濡れていた。

「泣くなよ…」
「分かってます。ああ言った方がキャプテンに迫ることもなくなるって。でも…なんだかキャプテンの深層心理のように思えて…」
「んなわけねェだろ」
「…すいません。ちょっと頭冷やします」

拗ねた顔は納得していない証拠だ。
これではおれたちを仲違いさせるつもりであろう女の思うツボだろ。

「手、離してください。男性部屋にでも居たほうが安全です」
「馬鹿言うんじゃねェ。お前は次の島に着くまでここの部屋から出すつもりはねェよ」
「…キャプテンの…分からず屋…」
「じゃあ、あの女と抱き合ってもいいっつーのか」
「どうぞお好きに」

思わず押し付けている手に力が籠った。
数日前に愛を深め合って、互いを守り合うと約束したばかりなのにこれでは互いに傷つけあっているだけだ。

それにこの女は従順そうに見えて頑固だ。
ここでおれが怒りに任せて言葉でも体でも押さえつけたとしても、事態を悪化させるだけだろう。

怒りを吐き捨てるように溜息をつくと、押し付けていた両手を引っ張り起こして抱きしめる。そして、窘めるようにゆっくりと、声のトーンを落として囁いた。

「あの時、互いに守り合うと誓ったよな」
「…」
「今のこの状況、傷つけあってると思わないか」

おれの背中にまわされた腕に力が入った。
ナマエが顔をおれに押し付けるようにして、小さく「すいませんでした」と呟く声が聞こえる。

「…もう気にしてませんから…」
「ああ」
「…私…キャプテンに完全に落ちてませんから…」
「…気にしてんじゃねェか…」

少し体を離してナマエが顔を上げて、おれと目が合うと触れるだけのキスをされた。

相変わらず素直じゃねェなコイツ。
意地らしい行動に胸を締め付けられる感覚に陥り、少し愛を深めようと押し倒そうとしてナマエの腰を引き寄せたところでバタバタと走る足音が聞こえてきた。
すぐにナマエを布団で隠し、医学書を膝に乗せドアが開かれるのを待った。

バンッと勢いよく開かれて、走り込んできたイルカに目をやる。

「どうした」
「アイリスが正体をバラしました。暴れてたのでシャチが抑え込んでます」
「どこに居る」
「甲板です」

鬼哭を持ち、部屋を出ようとしてナマエが後ろからついてきた。

「もう正体がバレているのなら私が居てもいいですね」

その言葉に頷いて、イルカと共におれの後をついてくるナマエをちらりと見た。
このことはまた改めてこいつを話し合うか。
そう思いながら鬼哭を抱えなおした。







縄で両手を縛られながらナマエのつなぎを着た女の顔を見た。
その横には人間の皮膚じゃないかと思わせるぐらい精巧なフェイスマスクと小型の機械。
機械を手に取り、クルーの一人に声かけた。

「これは」
「変声機らしいです。口の中に仕込まれていて、ナマエの声に変えられます」
「へェ…そりゃすげェな」

単純に関心した。こんな機械を作れるのならこんな馬鹿みたいなことをしなくともどこぞの海賊でも拾ってくれただろうに。
まあ、この船には乗せるつもりはない。
ここの船に乗るのなら、他のクルーとの関係性が築けるかも重要だが。それ以前におれの女であるナマエに敵意をむき出しにする女を乗せておくわけにはいかない。

「目的は吐いたか」
「おれの言った通りです。キャプテンが狙いだったみたいです」
「…本気か?」

ペンギンの言葉に耳を疑った。
真面目な顔をしてペンギンが頷くと、鬼哭を抜いた。

「“ROOM”」
「?!」
「気を楽にしろ…すぐに終わる」

女の首を胴体と切り離して、女の叫び声が甲板に響いた。

「うるせェよ」
「わ、私の、私…首、首だけ…」
「それで?どうするつもりだったんだ」

涙で汚らしい顔をした女がおれの横に立っていたナマエを睨みつけた。

「その女が羨ましかったのよ!愛されて、大切にされて!そのことが当たり前かのようにふんぞり返って座っているその女が!」
「私はふんぞり返ってないし当たり前だとも思ってない!」

女に掴みかかろうとするナマエの腕を掴んだ。
コイツ、意外と喧嘩っぱやいな。
そんなことを冷静に思いながら、再び女に視線を戻した。

「私は愛されたかっただけなの…」
「…」
「…ねぇ、ナマエ…私…愛されたかっただけなの…妬ましかっただけなの…でも…」

女の体が手すりに近寄ると、ナマエがおれの腕を振り払って駆け出した。

「っ!ナマエ!」

女の顔が愉快そうに笑みを浮かべて、女の胴体が海に投げ出される直前にナマエが女の胴体を甲板に引き戻し、手すりに背中を向けた瞬間に女の胴体がナマエにタックルをした。


ナマエの体が海に投げ出され、一瞬の出来事におれも仲間たちも対応できなかった。

スローモーションかのように、ゆっくりとアイツの体が船から投げ出されるのを

おれは

何も出来ずに、見ていた。


駆け出そうとしたおれの体をペンギンとシャチが止めて、イルカが海に飛び込んだ。

「離せ!」
「キャプテン落ち着いて!」
「キャプテンまで海に落ちても助けられないでしょ!」

女の高笑いが目障りだ。
“ROOM”を展開したままだったので女の頭を切って口を聞けなくすると、他のクルーがしているように手すりに掴まりながら海を覗き込んだ。
こういう日に限って海が荒れている。

おれの体がズシッと重くなり、能力による体力が削られ始めるのを感じると焦燥感が募った。ナマエがROOM内を出たか、意識を失ったかだ。

「ペンギン、おれも潜ってくる」
「分かった」

シャチが飛び込んでイルカが顔を出した。
その手にはナマエの姿はなくて、おれの心臓がありえないぐらいに鼓動を早めた。

頼む。シャチ見つけて来い…。

そう願いながら、再び潜りに行ったイルカとシャチがナマエを引き上げてくれるのを待った。
手すりを掴む手が震えてきて、手すりが壊れるんじゃないかというぐらいに力強く握った。

「キャプテン!遊蛇海流が来るよ!みんな船に入って!!…あれ?どうしたの?」

ベポの慌てた声が遠く聞こえた。

頭がクラクラする。
クルー達の指示を仰ぐような不安げな表情が見えた。

海面をもう一度見て、
目元を隠す様に帽子を深くかぶりなおす。


おれは、この船の船長だ。


「シャチとイルカを引き上げろ。全員船内へ」
「キャプテン…ナマエは」
「一人のためにクルー全員を危ない目に合わせるわけにはいかねェだろ。その女は海にでも投げ落としておけ」

それだけを伝えると、誰にも会いたくなくて能力をつかって船長室へ戻った。
ベッドに腰掛けると、布団からまだナマエの温もりを感じられて、目元がカッと熱くなった。


敵の女を助けようとしやがって。お人好し過ぎだろ。

それにおれの手を振りほどくんじゃねェよ。

おれを置いて行かないっつったじゃねェか。嘘つき女。


自分を渦巻いている感情が怒りなのか、哀しみなのか、喪失感なのか、何も分からない。

アイツは何度、おれにこの焦燥感や喪失感を与えれば気が済む。



おれが途方もない感情に苛まれていると、バタバタと走る足音が二つ聞こえてくる。
勢いよく開かれたドアを見ると、びっしょり全身を濡れたシャチとイルカが入ってきた。

「キャプテン!諦めるのは早いッスよ!」
「…」
「人魚に連れてかれたのを海中で見ました!」

シャチとイルカの言葉に、奥歯を噛みしめた。

まだ諦められねェ。

思えばあいつは何度も死んだんじゃねェかって思わせて、ケロッと目の前に現れた。
悪運の強い奴だ。だから、諦めるにはまだ早い。

諦めるな。
まだ、失ってねェ。



「人魚の行方を追う。潜水しながら進んで、シャボンディ諸島の次は魚人島だ。何が何でもあいつを探し出す」
「「アイアイ!!」」





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