わたしとあなたとの距離


整形外科は本当に忙しかった。
すでに1週間経ったが定時で上がれたことは一度もないし、骨折一つに対しても分からないことだらけで休日は本屋へ行って整形の参考書を買い漁って勉強三昧だ。私はまだマシだが、小児外科から応援できた看護師はもっと大変そうだった。その人とも一緒に勉強したりしていたが、彼女は整形外科の看護師との人間関係も上手くいかずにその相談に遅くまで電話で話していたため気がつけばトラファルガー先生と連絡も取らずに過ごしていた。

離れれば離れるほど不思議と先生を求めてしまっている自分に笑えた。こんな事になるのだったら気持ちを伝えてもっと甘えてしまえば良かった。

しかもまさか自分がこんな気持ちをもつなんて思いもしなかったが。
自分が思っていた以上にトラファルガー先生のことを好きになっていたのだ。

記録をしながら思わず盛大にため息をついてしまった。

「名前ちゃん、そんな溜息ついちゃうと幸せが逃げるよー」
「…ターナー先生。名前で呼ばないでください」

出張から帰ってきて、久しぶりに出勤してきたらしい整形外科の先生の一人。ナース3股事件の犯人だ。女の敵だ。

「彼氏とは上手くいってる?」
「…仕事中です。先生、リンナイさんが指示書を書いて欲しいと探してましたよ。仕事してください」
「相変わらず冷たいねー、そんな所も好きなんだけど」

やばい。鳥肌が。
この先生はどこからの情報か知らないが、私に彼氏が居るという情報を入手したらしく、こうして絡んでくることが度々あった。
相手がトラファルガー先生だというのは知らないのかもしれないが、病棟でこの話題はぜひともやめて欲しい。

整形外科の看護師さん達はみんなこの先生のことが好きなようだが私は全く魅力を感じられない。
根っからの女好きという感じで、男性の患者さんには冷たいし、高齢者にも冷たい。女性の患者さんには気持ち悪いほど優しい。
まだトラファルガー先生のように分け隔てなく全員に冷たい方がマシだ。
仕事も抜けが多いし、こちらが言わないと指示を出さないし、とにかく軽い。
整形外科部長に文句を言いたいところだが、ドクター確保も大変だろうからきっと誰も何も言えないのだろう。

「ターナー先生、この患者さんの術後の指示がまだです。これに指示を書いてください」
「んー、連絡先教えてくれたら書くよ」

ぶん殴ろうか、このクソ男。
つい握り拳に力が入ってしまったが、息を吐いて怒りを吐き出して落ち着かせる。

「仕事中にプライベートな話しをしないで下さい」
「んー…トラファルガー先生にもそんな感じなの?」
「?なぜトラファルガー先生の話がいきなり出てくるのですか」
「だって、君たち付き合っているんだろ?」

なっ!なんでこの先生がそのことを?!
動揺が顔に出ていたのか、ニヤリと笑ったターナー先生が書き終えた指示書と共に電話番号を書いたメモを渡してきた。

「約束する。プライベートで連絡してくれれば仕事中は話しをしないようにするよ」
「…」

あなたに電話する時間があるならトラファルガー先生に電話してます。
とりあえずメモをポケットにしまうと、手を握られた。

「今度はシュレッダーにかけないでね」
「…」

過去に連絡先をシュレッダーしていた先生の一人だったのか。どうでもいいから忘れていた。
どちらにしろその手を振り払って、私は仕事に戻った。






その後もターナー先生にはしつこく電話まだかとせっつかれたがいつも通りシュレッターにかけて、リリーフもやっと2週間が経った。
2週間もすればさすがに慣れてきて、余裕も出てきたところ。トラファルガー先生とメールのやり取りだけで過ごしてきたが、やっと少しだけ電話で話したりする時間が出来たのだ。

ターナー先生の話が出て、お付き合いのことを言ったのはトラファルガー先生本人だったことも教えてくれた。成り行き上、仕方なく話したらしい。

そして、嬉しいことに整形の看護師長が外科師長に頼まれたらしく有給消化のために土日は休んでと連絡があった。
久しぶりに土日休みになったことをトラファルガー先生に伝えたらドライブに行こうと誘われ、私自身も久しぶりにストレスを発散したかったし、喜んでオーケーを出した。

ニットのワンピースにタイツを履いて、コートとマフラーを巻きつけたら久しぶりのお出かけに随分と私の心も高揚した。
マンションの前に出ればすでに車で待機していて、私は助手席に乗り込んだ。

「お久しぶりです。ローさん」
「久しぶりだな」
「どこ行くんですか?」
「秘密」

車内は暖かい上に、私がシートベルトを閉めるとふわりと膝掛けを掛けられた。

「ふふ。私を寝かせる気ですか?」
「その方がお楽しみだ増えるな」
「お楽しみが増えるのは良いですけど、今は久しぶりのトラファルガー先生を堪能したいので」
「…」

黙り込んだ先生に不思議に思いながら顔を覗き込むと、片手で口元を押さえながら耳が赤くなってる。

「先生、顔赤いですよ?」
「お前、それは反則だろ…」

先生でも照れることあるんだなあ。
カッコいいとは思ってたけど、先生がこんなに可愛いと思えるのは初めてだ。ただでさえ童顔な先生の照れ顔は、私の胸をキュンとさせる。

うわぁ、どうしよう。先生が好きって気持ちが膨らむ。
ああ…なんだろう…この気持ち。
これが人を好きになるってことなんだなあ…。

「あと1週間か…」
「土日休みになったので5日間日勤で、また土日休みで、月曜からはやっと戻ってこれます」
「来週も土日休みなのか?」
「ハミルトン師長から連絡がありまして、そうなりました」

整形では夜勤はやらずに日勤だけだったので、元の病棟戻ってもしばらくは日勤でと言われ、戻った1週間は平日日勤の土日は休み。次の週からは夜勤も入ってもらうと。

そういえば…電話の最後に先生によろしくと言われたが…

「…もしかして師長って私たちのこと知ってるんですか?」
「…おれが出張前にお前の家に行ったの覚えてるか?」
「夕飯を食べに来た日ですよね?」
「その日に主任に会った」
「あー…なるほど」

あの主任に会えば師長に伝わるのは目に見えている。本当は隠しておきたかったが、見つかったのなら言い訳も出来ない。
医者が看護師の自宅に足を運ぶというのはそういう事以外にないだろうし。

「悪ィ」
「先生は何も悪くありません。以前先生が言っていたように、別にやましい関係ではありませんし」
「……。そういや、話しって来週には聞けんのか」
「あー…」

もう今日、伝えてもいいんけども…でも待って。先生って最近、以前のような強引さがなくなったような…。
よくよく考えてみたらもう先生の心が離れてる可能性もあるんだよね?
だって思えば好きだって最近は言葉も聞いてないし…
仕事が忙しくて相手に出来ないって、今までお付き合いした人たちもそれで離れていったのだし。

ナミの言う通り、あの時に伝えればよかった。
なんて後悔しても遅いけど。

「…早く聞きたいですか…?」
「…悪い話ではないんだろ?」
「…」

もしトラファルガー先生の心が離れていれば悪い話になるのだろうか。
今更何だよって感じだよね…。

「…悪い話になるかもしれません…」
「…」

狭い車内に沈黙が流れ、私は窓の外を眺めた。
そこには真っ青な海が広がっていて、太陽に照らされてキラキラと光っているようだ。

「海…」
「好きだろ?息抜きによくこの辺りを車で走るって聞いてたから」
「覚えていてくれたんですね」
「覚え悪いように見えるか?」
「いーえ、全く」

先程の沈黙が嘘のように私は笑ってしまった。
やっぱり今日伝えよう。
結果がどうであれ、今日気持ちを伝える。

それでも、せっかくのデートを悲しさで台無しにしたくはないから、せめて最後の別れ際にでも伝えよう。

「浜に降りるか」
「ぜひ、降りたいです」

車をコインパーキングに止めると、車を降りて先生が手を差し出してきた。
私はその手をぎゅっと握って2人で浜辺に降りた。
冬の海は誰も居ないから静かで、まるで私たちだけが取り残されたような、2人だけの世界かのような錯覚に陥る。

「海を見てると懐かしい気持ちになるな」
「前世は魚か海賊だったんですかね」
「そこは船乗りじゃねェのか」
「先生は口も悪いですし、荒っぽいとこもあるので海賊ですね」
「そうかよ」

先生を見れば私の目を見て、頬を撫でられた。
擽ったくて目を細めると、頬を撫でていた指が唇に触れてきた。
その指を少し口を開いて唇に挟むと、先生がびっくりした顔になってすぐに抱きしめられた。

久しぶりの抱擁に、ドキドキと煩く鼓動を早めているのは果たして私の心臓なのか。それとも、密着している先生の心臓なのだろうか。

顔を先生の胸に押し付けると、先生の匂いと体温が私の体を包み込んでくれている感じがする。

好きです。トラファルガー先生。

好きです、ローさん。

「好き…」
「え?」

あ、思わず声に出てしまっていたらしい。
ガバッと体を引き剥がされて、トラファルガー先生の驚愕の表情が見えた。







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