お前はおれのものだ


名前が研修に行って4日が過ぎた。明日帰ってくるというのに、このタイミングでボルドー医師に学会への出席を頼まれた。
それも県外での学会のため、3日間出張扱いで出ることになった。

「ターナー先生も一緒だからね、よろしく頼んだよ。トラファルガー君」
「…」
「ははは、君ならそういう顔をするだろうと思ったよ」

ターナー医師は整形外科のドクター。医局では隣の席だし、同じ歳でもあり、よく話しかけられる。おれが真剣に話を聞いたことはないが、気にせずよく喋る男。話は通じないし、おれの大嫌いなタイプだ。

おれの顔を見て笑ったボルドー医師は、笑い終わると何かを思い出したような顔をして、声のトーンを下げた。

「そういえば妻に聞いたが、苗字さんと恋人同士なんだって?」

さすが女の情報伝達速度。昨日、主任と会ったということは師長にも伝わるだろうと思ったが、夫婦である部長にまで伝わるのが早すぎる。昨日の今日だぞ。

「…アイツは知られたくないみたいなんで、このことは内密に」
「ははは!懐かしいな。私たちもそうだったよ。もちろん、これ以上は漏れないようにしておく」

一番の問題はお喋り好きの主任にあの日、アイツのマンションで出会ってしまったこと。
名前には敢えて言わなかったが、この分だと外科で広まりそうだな。

おれは学会の資料を受け取り、携帯を開いた。
彼女に出張の事をメールで一応、伝えておく。

研修期間中、メールのやり取りはしていたが只でさえ素っ気ない彼女はメールだと更に素っ気なく感じる。
もう顔も声も聞いてない期間が4日。
今までは同じ病棟で働いているおかげで、連絡を取らなくても殆ど彼女の姿も声も見ることが出来たのに。

3ヶ月などあっという間に過ぎてしまう。
彼女と期限なしで付き合えるようになればこうした不安や寂しさを感じなくなるのだろうか。

仕事を終わらせ、家に帰ると携帯をつい確認してしまう。
そういえば、こうして携帯を見る時間も増えてしまった。
彼女からしたら、早く諦めて欲しいと思っているのだろう。

いっそのこと他の女に手を出してみるか。
…いや…まあ、それは3ヶ月後に落とせなかったらでいいな。今それをすれば、確実に自分の首を締めるだけになるだろう。

出張の準備とホテルの手配、シャワーを済ませてソファで一休みしている時だった。
携帯が着信を知らせて勢いよく起き上がって、テーブルの上に置いていた携帯を取った。

「お前からかけてくるなんて珍しいな」

『お疲れ様です。先生』

久しぶりに聞いた声に一気に疲れが吹っ飛んだ。

「どうした?」

『明日から出張なら、しばらくは声を聞けなくなると思いまして…電話しちゃいました』

おれの心が激しくかき乱された。
先程、諦めるかという考えも軽く吹っ飛ぶ。
これが彼女が狙って、こういう駆け引きをしているのだとしたら恋愛に関しては完璧だろう。

現におれは完全に彼女に落ちている。

「可愛いこと言うじゃねェか」

『先生こそ。ワンコールで出るなんて可愛いですね』

「くくく。言ってろよ」

『ふふ。あっ、先生にお土産買ったんです。そのうち会えたら渡しますね』

「お土産?」

『シロクマのキーホルダーです。シロクマのベポ好きなんですよね?車のキーにも付いてましたし、家にもチラホラ見かけたので』

「観察力いいな。さすが優秀ナース」

『天才外科医さんには負けますけどね』

電話の向こうから楽しそうに名前の笑う声が聞こえてきて、おれもつられて笑う。
その後も研修の話しをしたり、病棟の話しや新人の話しをしたりと、気が付いたら日付を跨いでいた。

『ああ!もうこんな時間になっちゃいましたね!すいません!!』

「いや、おれは大丈夫。お前は明日も研修だよな?」

『私もそうですけど、先生こそ朝早いですよね?もう寝ましょう』

「ああ、おやすみ名前」

『おやすみなさい、ローさん』

通話が終了したが、今日は何だか距離が近かった気がした。以前の彼女はおやすみを言う前にさっさと通話を終了していたが、今日は名前まで呼んで直接言ってくれた。
なぜかさん付けになっているが、とりあえず今はいい。

「はー、ガキかよ…」

電話一つでこんな舞い上がり、時間も忘れて夢中で話し続けてしまった。
頭を乱暴に掻いて、携帯でアラームを設定するとすぐに眠りにつくことが出来た。







「あ、トラファルガー先生。3日間よろしく頼むよ」
「ああ」

新幹線で隣に座った整形ドクターが挨拶をしてきて、適当に返した。
それ以上は話す気のない、めんどくさそうにするおれの態度に全く臆せずにいつも通りしつこく話しかけてきた。

「消化器外科の病棟って美人多いね」
「…」
「あー、あの子…新人の…ああ!バーキンさんとか」

相槌も打たない相手によくここまで話しかけられるな。おれは呆れながらも、目線は窓の外。それでも、続けて話しかけてくる。

「まあ、一番はやっぱ名前ちゃんだな。美人だし、仕事も出来て、男慣れしてないとこが堪んないんだよね」
「ヘェ…」

てめェ、誰の了承得て名前で呼んでんだよ。と掴みかかりたくなるのをぐっと堪えた。

「あ、そういえば!彼女を来週から1ヶ月お借りしちゃうらしいね。悪いね、外科の戦力取っちゃって」
「さっさと返せよ」
「ははは、うちの病棟の師長はそのまま貰っちゃいたいみたいだけどね」
「うちにとっても戦力なんだ。奪うんじゃねェよ」

そもそもそうなったのはてめェの所為だろ。
そうツッコミたくもなる。だが、無駄に話を広げそうでそれ以上は口を閉ざした。

「トラファルガー先生が来る前に外科合同の飲み会があったんだけど、おれあの子に鞄に連絡先を忍ばせといたんだよ」
「…」

同じ方法を取る男がコイツと知った今、自分の行動を激しく後悔した。

「そしたらシュレッダーにかけといたって言われたんだぞ?ありえるか?シュレッダーだぞ?」
「…妥当な行動じゃねェか」
「はー、トラファルガー先生も変わってるなー」

おれがやられた時はとにかく呆然としたけどな。

「でも、ガード固くされると崩したくなるのが男なんだよな」
「…」

嫌な予感しかしねェ。まさかコイツ…

「男としては落としたくなるよな」

恋敵の出現とかいらねェんだよ。なんだよこの展開。
おれが必死に落とそうとしてる時にそういうのいらねェんだよ。

「…アイツ、男居るぞ」

一応、釘を刺しておくことにした。
期間限定とはいえ、おれと彼女は恋人同士だ。せっかく良い雰囲気になってきたというのに。
いらねェ邪魔者は排除しておくに越したことはない。

おれの発言にターナーはニヤリと笑った。

「奪うのが楽しいんだよ、トラファルガー先生」

宣戦布告か。いや、コイツはおれとアイツが付き合っていることを知らないんだろうが、おれへの挑戦として受け取っておく。





ホテルの部屋も隣同士で、学会の席も隣。つくづくおれは運が悪いらしい。ターナーはホテルに着くなりおれの部屋に来て酒を差し出した。

「女の子も呼ぼうかな」
「おれはいい」
「まさか彼女が居たりとかする?」
「…いる。だから女呼ぶなら自分の部屋に呼べ」

期間限定とはいえ彼女という肩書きな筈だ。嘘はついていない。それに他の女と話したり“そういう事”をするぐらいなら、よっぽどアイツと電話しているほうがいい。

「彼女一人で満足なの?」
「満足も何もアイツ以外と関わりたくもねェよ」
「…トラファルガー先生勿体無いよ。せっかくカッコよくて、医者なんだからたくさんの女の子と関わった方が楽しいよ?」
「てめェの価値観を押し付けんな。おれはいらねェ」

おれが切り捨てるようにきっぱりと言い放つと、言葉を詰まらせてターナーは盛大な溜息をついた。

「そんないい女なの?同じ職場の子?もしや看護師さん?」
「…相手が誰であろうとお前には関係ない」

向こうは隠したがっているという言葉は飲み込んだ。言えば安易に同じ職場であることを言っているもんだ。でもコイツに限っては言っておいた方がいいか。

アイツの男がおれだと言うことを言っておけば、仕事以外に絡むことは無くなるだろうか。まあ、絡んだところでアイツの堅さは身をもって分かっているためあまり心配はしていないが…いや待てよ。コイツもおれのように強引に進める奴だったら…案外押しに弱いアイツならホイホイと家に招いたり家に行きそうだ。間違いない。整形の医学書が家にたくさんあると言われたらアイツなら行きそうだ。

「えー、教えてよー」
「…お前が先ほど落としたいって言ってた看護師だ」
「…嘘でしょ?」
「残念ながら事実だ」

おれの言葉に目を丸くして、頭を抱え出した。
これで落とす気もなくなるだろ。

「なんだ…そうか……。なら、尚更燃えるね」
「…」

完全に想定外だ。
煽ってねェよ。煽るつもりで言ったんじゃねェよ。

ターナーは酒を回収して、おれの部屋を出て行こうとしてドアの前で立ち止まった。

「奪われても、おれを恨んだりしないでくれよ」

こちらを睨むようにして言ってきた男を鼻で笑った。
安い挑発だが、乗ってやるよ。

「くく。奪えるもんなら奪ってみろよ」

おれが口角を上げるとターナーは悔しそうに顔を歪めて立ち去っていった。





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