最愛を捧ぐ(3/6)

『世界を救う大義の為には、一人の人間の犠牲なんて些末なことだろうね。数え切れない多くの有象無象な人類と、愛する妻の忘形見である最愛の娘を天秤にかけて……貴方はたった一人の大切な娘を斬り捨てる事を選んだ』


鋭利な氷塊が滑り落ち、突き刺さっていくかの様に。たった今まで荒々しく燃え盛っていた筈の激情が、彼女の言葉によって、冷たく凍り付いていく。


『とても立派な英断だったけど、どう足掻いても取り返しがつかない、愚かな選択だったね』


気付けば、サクの足許……その横に、彼女の亡き骸はあった。血溜まりの中に倒れたまま、ピクリとも動かない金髪を、導師サクは手で掬い上げ……その顔が露わになる。

顔色は既に青白く、生気は感じられない。血と涙で濡れた睫毛が、目蓋が、もう二度と動く事はない。


『キムラスカ王家に娘を奪われはしたけど、娘はそこで不自由無く生きていたというのに。大勢の民からも慕われ、一国の王女として立派に、己の人生を歩もうとしていたのに。

ラルゴは彼女の未来を奪ったんだね』


キムラスカの王女として、凛とした彼女の姿を思い出す。ザオ遺跡で初めてその姿を目にした彼女は…シルヴィアにとてもよく似ていた。彼女と同じ金色の髪に、彼女の生き写しのような美しい顔立ち。しかし、瞳だけは…正義感溢れる、強い意志を宿したその瞳だけは……俺と同じ色を受け継いでいた。


『たとえ傍にいられなくとも、父親として、遠くから見守るという選択肢もあっただろうに。例え、自分が父親だと名乗れなかったとしても…。娘の幸せを願う父親なら…。シルビアさんの分も、最愛の娘の幸せを見届けてあげる事も出来ただろうに』


「ねぇ、バダック」

「メリルは将来、どんな素敵な女の子になるのかしら?フフフッ、今から楽しみだわ」



ああ…そうだ。

妻の最後の願いすら、俺は、奪ってしまったのだ。

娘の命と共に…


『ラルゴの中で、メリルの命はヴァンの計画より軽かったんだね。…シルビアさんも報われないね』


そんな事は無いと、否定したいのに…言葉は出て来なかった。否、否定など出来やしない。実際に俺は…娘の命と計画(総長)を天秤にかけて……計画の為に、俺は……


『それとも、ヴァンから二人のレプリカを作ってやろうとか仄めかされた?メリルが死んでも、レプリカを作って代替すればメリルは生まれ変わるって?』


無意識に、大鎌を握る手に力が入る。確かに、総長の計画が実行されれば…導師サクの言う通りになるのだろう。レプリカの妻と娘と、俺の意思を継いだレプリカ(俺)で、再び家族としてやり直せる。預言が無ければ、有り得た筈の…幸せな未来の光景だ。

俺自身は、それを総長に望んだ事はなかった。だが、全ての人類をレプリカに挿げ替えた暁には、同じような光景が出来上がるのだろう。預言から解放された、自由な世界。そこで幸せそうに笑う…レプリカのシルヴィアとメリルと、レプリカの自分。それは、幸せに満ちている筈なのに…何故、こんなにも虚しく感じて仕方がないのだろう。


『でも、レプリカの彼等は……貴方が愛した人達じゃないよ』


ビシリ、と。幸せな光景に亀裂が走る。


『どんなに姿形が同じであっても、レプリカと被験者は別人だから…』


…ああ、そうか。これは、虚像だから…どうしようもなく、虚しくなるのか。

メリルが生まれたばかりの頃に描いた、希望に溢れた幸せな未来。今はもう失ってしまった、有り得ない幻想。かつて斬り捨てたつもりで、その実心の奥底に仕舞い込んでいた…俺の願望だ。

こんな、偽りで作られた(レプリカ)世界に、何の意味があるというのか。

目の前の亀裂は徐々に広がり、今にも砕け散ってしまいそうになっている。三人で楽しそうにしていたメリルが、俺の方に振り返った。思わずメリルへと手を伸ばそうとする俺を見て、輝く様な笑顔を浮かべながら、メリルは口を開く。



どうして私を殺したの?



瞬間、目の前の光景が……粉々に砕け散った。

メリルはもう、笑っていなかった。



「お父…さ……」



最期に俺を父と呼んだ娘の悲痛な声が、最期の断末魔が、頭から離れない。悲しみと絶望に暮れた、その表情が、容赦無く胸中を引き裂く。目の前にこと切れた娘の亡骸は……かつて目の当たりにしたシルヴィアの最期の姿と、同じだった。

メリルの亡骸と、シルヴィアの遺体が重なる。嗚呼、死顔までそっくりだとは。嫌でも思い出してしまう。海水に濡れ、冷たくなった妻の身体を抱きしめても、目を開けてくれない。どんなに声を掛けても、名前を呼び返してはくれない。もうニ度と、俺に笑い掛けてくれないと知った、あの時の絶望が、悲しみが、憎悪が、再び蘇ってくる。だが……先程感じた様な激情が、湧き上がってくる事は無かった。

最愛の妻を殺され、最愛の娘は奪われ……最期に俺が、殺した。今度は奪われたのではない。

俺が…俺自身が、この手で、命を奪ったのだ。

何よりも。何よりも大切だった。

シルヴィアが命懸けで残してくれた、俺達の最愛の娘をー…

俺が……殺してしまったのだ。

これも…預言に詠まれていたから?だから、俺はメリルを殺さねばならなかった?

否、そんなものは言い訳だ。預言の有無に関わらず、俺がメリルを殺す事を選んだ結果だ。

こんなもの、英断などではない。最愛の娘を殺す事の、何が英断なものか。

俺は、取り返しのつかない選択を、してしまったのだ。

俺はいったい……何をしているのだろう。



「導師サクよ。悪いが、総長に伝えてくれないか」


覚悟していた筈だったのに。

総長に確固たる忠誠を誓ったというのに。

それ以上に…俺はもう、生きる事に疲れてしまった。

心が、折れてしまった。



「…俺は計画から降りるとな」


俺が大鎌を振り翳したのを見て、導師サクがハッと息を呑む中。俺は、大鎌の切っ先を自身の首筋に向けて、躊躇なく振り下ろした。



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