ーー姫様は私の宝物なんですよ。
かつて、とあるくノ一がまだ小さかった姫君に言って聞かせていた。
幼い姫君。その業火を恐れた身内に隠されて、暗いくらい牢獄にたった一人幽閉されて。
いつしか心も体も衰弱し、表情も抜け落ち、広がる甘栗色の髪が月日を紡いだ。
そんな彼女を支えたのがそのくノ一だったのだ。
彼女は姫君に使える唯一の家臣。なにより、離された母親の代わりの温もりだった。
毒入りの飯を払いのけ、こそりと確かに栄養のつくものをつくり、暴力を受ければすぐさまに治療し傷を癒し、眠れないと彼女が涙をこぼせばその涙をぬぐって子守唄を聞かせた。
姫君がかの忍に救われるまで、彼女を守り、愛し、育てたくノ一。
ーー大切な大切な姫様。私はあなただけのもの。どうか、私にあなた様だけの名を戴けませんか?
姉のようであり、母だった。
不思議そうにする幼子はちょうど窓枠から舞い込んできた桜の花びらをみてぽつり。
ーー『あのはなのようにうつくしく、さきみだれてください』
『さき、どの·····?』
滴り落ちる赤。伝う命の色に彼女は目を見開いた。
忍のように騙し討ちをするつもりだったのだ。だって彼らはおのれに甘いと思ったから。
だから懐に隠した短刀を抜いて、地を蹴ったのだ。確かに、武田信玄の心の臓を狙ったのだ。
なのに、薫るのは優しい桜の香り。
「っく、姫、様。遅いお帰りでしたね」
にこりと苦しげにけれどしっかりと笑顔を作るのは麒麟に向かってだった。その胸に確かに短刀が刺さっているのに
「あぁ、きれいだったのに、御髪も切られて、けれど、お似合いです」
なぜ笑うのか。
ゆっくりと麒麟の目が絶望に染まっていった。優しく短くなった髪をいとおしげに撫でるその手は赤く染まっている。手にしている短刀をもつ手が震え、かちかちと歯が音をたてた。
『、っな、ぜ』
ひいてはいけない。
それは本能だ。槍を突き、抜いてあがる血飛沫をしっていたからこそ麒麟のては短刀から離れ、離れたことで崩れ落ち、咳き込み赤を吐き出す彼女をみつめた
ーー沙紀
それは幸の幼少期のころよりの理解者だった。
足を敵にやられ、くノ一としては使い物にならなくなったとき、幸の案で孤児を集めて開いた小さな寺子屋を任せるほどに信頼のおいた。
時折己さえも癒されに行き、佐助にどやされるほどだった。
幸の心のありどころだった
彼女は、ずっと幸のそばにいてくれた。まだ武田にくるまえも、きてからも、あの女がいたあのときも
それを、おのれは、?
手にベットリとついた液体に目を落とす。からだの震えが止まらない。
恐ろしくて仕方がない
いやだ、どうして、なんで······!!!!!
「姫様っ」
膝から崩れた麒麟にとどいたこえ。
体の震えがが恐ろしくて、自分の体を抱けばさらされている肩の肌にこびりつく赤
「っおかえり、なさい」
にこり。
血の気の失ったその顔で、苦しそうなその声で
『っぁ、』
そのまま地面に倒れて赤を広げて
『さき、さきどの、うそ、だ、うそ。わた、し』
ーーーーいやだ。どうしてこんな。
同時刻。
小田原城にて豊臣秀吉が討たれ、終戦のほら貝が無情にも鳴り響いた。
20170521