もうお前には何もない。
そう彼女には告げられたような気がしたのだ。
崩れ落ちた麒麟は動くのも億劫だった。
手にこびりついた赤。ぼろぼろと流れ落ち続ける滴。
遠くで何かが聞こえても、もう、彼女の耳には届くこともない。
自分で、壊してしまったのだ。時分が守りたかったものを。
そんな彼女のもとに降り立った豊臣の旗をかかげる忍。
信玄の横に控える鎌ノ助が武器を取ろうとするがその前に、彼女の震える体を抱き上げた。
「大谷様から、撤退しろとの命です。」
そして告げられたのは、彼女が尊んだ軍人の名ではなかった。
そのことに、全てを悟ってしまうのは、きっとかのじょの悲しい性なのだ。
全て、
『っは、んべ、さま、ひでよし、さまぁ、』
全て壊れてしまった。
こぼれる声に、ぶわりとさらに溢れだす涙。
守りたかったものを「何一つ」守れない。
愚か者だと笑われている気がしてしまって、心が痛む。
「そやつはおいていってもらおう」
そんな彼女の心を知る由もなく、武田信玄から告げられたのはその言葉だった。
忍ー日向ーは腕の中にいる未だ涙をこぼす主を抱き締める。
渡さないと目で告げれば、信玄の眉間にしわがより、何を言うこともなく鎌ノ助が槍を片手に前に出た。
「この方は豊臣の将。ここに置いていったとてに晒し首にされるが目に見えている」
「なれば、敗者は敗者らしく、したがえばよかろう」
「笑止。守ることこそ、私の仕事だ。」
両の手は塞がっていようとも、日向から出る威圧感は尋常ではなかった。
敵陣の真っ只中、そこに一人で彼女を迎えに来ただけはある。
ただ、不利なのは変わらない。時間がたてばたつほど情況は悪化する。
脱出せねばならない。
そう、腕の中のこの小さな将を守らねばならない。
「惑わされ、壊したお前たちのもとになど、おいていくか。」
煙玉を投げつける。破裂音がして一帯は煙に包まれた。
ーーーもう、私に守るものなど、ない。
最後のなにかが、割れた。
20170807