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このあいだとは明らかに違う、その戦場の空気に、唐突に帰りたくなってしまったのは、許してもらえるのだろうか。
「弥月君、今は医療班の方へ行ってもらえるかな。」
彼の後ろを歩いているせいもあるのだろうが、次々と指示を出している彼は、その容姿とはつりあっていない。そして唐突に私に指示を出すものだから、返事をするのを忘れて固まってしまった。
『え、あ、はい。』
「緊張しなくても大丈夫だよ。もしかしたら、後で呼ぶかもしれないから…覚悟はしておいてね。」
遅れた返事に、彼が笑う。
けれど突然のその言葉に私どころか私の周りにいた兵士たちすらざわついた。
いや、ざわつくよね。仕方がないよね。私だって驚いたわ。突然見ず知らずの女が上司から派遣するかもしれないからね、なんて言われたら誰だって驚くよね。
「それじゃあ、僕は秀吉のところへ行ってくるよ。君も持ち場につくといい。」
ひらりと、一度手を振って、彼が雑踏のなかに消えていく。目立つ白い姿のはずなのにあっという間に見えなくなってしまった。
とはいうものの、まだ戦は始まっていないからいいのだが、私も早く軍医さんたちと合流しなければ、と振りかえり、こちらを見ていた一人と視線が交わった。
「弥月…?」
硬直。
その言葉がきっとよく合う。初めてあった時と同じ山吹色をその身にまとい、大きな槍を手にこちらを凝視している一人の青年の姿。
そしてその後ろでこちらを睨んでいるのも、あの日と同じ戦装束を身に付けた人だ。
「何故、お前がここに居る。」
そのまま、言われた。はくっと言葉になっていない空気が口からこぼれる。私の様子を気にするつもりはないらしい彼はそのままずかずかとこちらに歩み寄ってきた。
歩きながら、彼の武器である刀の鯉口がきられる。
一瞬、低い姿勢から大股で一歩。気がついた時には、首もとにぎらつく刃。ひゅっと喉がなったのは、明らかに向けられた殺気から無意識に出たもの。後ろで徳川家康が彼の名を叫んだ。
「確かに使えるといったのは私だ。だが、半兵衛様がお前を信用したとしても私は貴様を信用しない。秀吉様や半兵衛様の足を引っ張ってみろ。そのときは私が斬滅してやる。」
尊敬、敬愛。
きっとそれ以上の。
まっすぐ透き通る美しい瞳に、殺気とはまた別のものを感じれば、体から恐怖が抜け落ちた。
一歩、後ろに下がって、そのまま、膝をついて頭を下げる。よりいっそう、まわりがざわついたが、それはただの野次馬だ。今の私に、彼に一切の関係はない。
『御意に、石田様。』
吐き出した言葉は、いままでで一番しっかりとした音を発した。数秒の間。刀が空気を切るその音が聞こえて、静かな納刀。
そのまま静かな足音と共に、彼が遠ざかっていく気配がする。
緊張がとければそのまま、地面に手をついてしまうのは安堵からだった。
殺されるかもしれないという恐怖と、信頼されていないという不安。同時に、彼は自分を絶対に斬らないという謎の安心感があった。
「大丈夫か?」
『…大丈夫です。…びっくりしました。』
駆け寄ってきた徳川家康が私に手をさしのべてくれる。その好意を受け取ってその手を握ればあっさりと引っ張りあげられた。鍛えられた腕は伊達じゃないということだろう。
「驚かせて悪かった。…すまない。三成のこと…悪く思わないでやってくれ…」
そして唐突に言われた謝罪と、その言葉に今度は私の方が首をかしげる。彼が謝る理由はひとつもない。もちろん、石田三成が咎められる理由も、私が責められる理由も、いまはまだなにもないだろう。
ただ、野次馬からの視線がちょっと痛い。ちょっとした事件に近いから仕方がないのかもしれないが。
『そんなこと、思ってませんよ。』
「本当か?」
『本当ですとも』
とりあえず、彼を安心させるためにその言葉を告げれば、数回瞬きをして、その頬が緩んだ。
「…良かった。」と、続けて吐き出された言葉は、安堵。
『え?』
「いや、なんでもないんだ。」
何故、彼が。
そう思ってしまって首をかしげたがすぐに彼は笑って首を横に振った。相変わらず周りの視線が痛い。
「儂のことは家康でいいぞ、弥月。」
『…ですが…』
「見たところ同い年ぐらいだろう?それに、堅苦しいのは忠勝だけで充分だからな!」
『はぁ…』
それから、当たり前に告げられた言葉に否を唱えるも聞き入れてはもらえなかった。
呆れて一つため息をこぼしてしまったが、人ごみの中から彼を呼ぶ声が聞こえてくる。
『行かなくていいんですか?』
「敬語もなしだぞ!って、あぁ、そうだったな。では、また後で」
『出来れば怪我をしないで。』
「善処する。ではな!」
その声に、返事をして、駆け出していった。彼はその背にどれだけのものをこれから背負うのだろうか。
そんな未来のことを考えるのは、私がこの先の未来を知っているからだろう。
こんなことならもっと歴史を勉強しておけば良かった。と、今更ながらに後悔してしまうが、今、私は私なりにできることをする。それだけだ。
『(1人でも・・悲しむ人が出ませんように・・)』
だから、どうか。
この願いだけは届いてくれと。
20130116
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