標的13 肉じゃがと秋刀魚の塩焼き
「た、ただいま……。」
ほとんど梅さんに担がれるようにして、自宅への扉を開く。
「おー、おかえりー。」
相も変わらずのほほんとした気の抜けた声とともに、父が家の奥から顔を出している。フワリと家中に漂う香りから察するに、晩御飯の用意をしてくれているようだ。申し訳ない。私の担当だというのに。
「どうだー、修行の方は。」
出していた顔を引っ込め、声を張る父。夕飯の支度に戻ったようだ。
「まぁまぁさね。」
さっさと家へ入っていく梅さんに、小さく礼を告げ、なんとか自力で靴を脱ぎ、『花鳥風月』を道すがらの部屋に放り込む。
一、二日間のバジルとの修行を終え、なんとか死ぬ気モードも維持できるようになってきた。そして、最近の修行は専ら梅さんとの手合わせが主流だ。
早朝に家を出て、帰る頃にはとっぷり日が暮れている。家に付けばクタクタだ。そういえば最近包丁を握っていない。父に任せきりだ。
「悪いな、父さん。色々させて……。」
父に感謝を告げようと、リビングに向かえば、あれ、なんだか人口密度が高くないか。
台所のコンロ前に父。リビングのソファに梅。ここまでは最近よく見ている光景だ。今日は、その梅の隣に作業着姿の男性、家光さんが座っている。父の向かいのカウンターに座っているのは、二、三日前に手合わせしていたバジルだ。
「え……?」
数秒間の思考の後、取り敢えず浮かび上がってきた驚きを声に乗せる。
「ええええ!?い、家光さんっ?!それにバジルも!」
「お、桜ちゃん、久しぶりだなー。お邪魔してるぞー。」
全くのいつも通りに、笑っている家光さん。突然のことに頭がついていかない。鼻歌交じりに料理をダイニングへ運んでいる父に、視線で説明を求める。
「おし、出来たぞー。」
取り敢えず座れとばかりに、顎で指される。疲れていることもあり、大人しく指示通りにちゃぶ台へ着席する。
先程からかつお出汁のいい香りがすると思ったら、どうやら今日は肉じゃがのようだ。そして秋刀魚の塩焼き。随分と秋を感じる。
湯気を醸す白米が届けられれば、もうあとは腹に収めるだけと言ったところで。今日一日の修行で困憊した腹が、情けなく悲鳴を上げている。
「そんじゃま、いただくとしようか。」
家光さんのお土産だろうか。日本酒をひと瓶抱えながら、梅さんが御猪口を突き出す。飲む気満々と言ったところだな。
その声に、各々食事前の挨拶を済ませ、箸を手に持った。そして口をつける前に、再び父に視線を注ぐ。どういう状況なんだよこれは。
その視線に気づいた父は、家光さんに酌を継ぎながら、仕方ないとでも言うように、口を開いた。
「この前の手紙に書いてあっただろう?」
「あ。」
数日前に送られてきた手紙の追伸に、そういえば飯を食いに来ると書いてあったことを思い出した。ヴァリアーやリングの云々ですっかり抜け去っていた。
「ところで、どうだ?桜ちゃん。修行の方は。」
家光さんが肉じゃがを口に運びながら、表情を綻ばす。よかったな父さん、気に入ってもらえてるみたいだぞ。
「順調と言えば、順調……ですかね。」
苦笑いを浮かべながら、梅さんへお酌をする。この人は見た目イタリア人のくせに、こう言った日本的マナーにはうるさいんだから困ったもんだ。
「当たり前だろう。誰が監督してると思ってんだい。」
梅さんが機嫌悪そうに眉間にシワを寄せる。本当にこの人は、私のことを誇ってくれているのか、自分自身の指導手腕を誇っているのか、たまに分からなくなる。
その梅さんの自信満々に、堪えきれないように笑いを漏らしながら、御猪口を傾ける家光さん。
「まぁ、二人の心配はしてなかったがな。」
「えぇ。桜殿は死ぬ気モードの体認も早かったですし、流石です。」
二、三日前に拳を合わせていたバジルがニッコリと微笑んでいる。しかし手元の秋刀魚は無残なことになっており、そういえばバジルは魚の身取りが下手くそだったと、思い出す。
「まぁ、今回はある程度炎がコントロール出来るようになれば良かっただけだしな。」
バジルの手元の皿を取り、簡単に骨をとってやりながら応える。バジルのような瞬間の死ぬ気パワーの放出や、収縮などはまだまだ修行が足りない。
「他の守護者はどうなんだい。きちんと頭数くらいは揃えてんだろうね。」
グイグイと浴びるように酒をあおりながら尋ねる梅さん。そう言えば、確かこの前ツナ君に聞いた限りでは、獄寺と武と雲雀と、それから笹川先輩だったか。全部で守護者は七人だから、二人足りないな。
頭の中で勘定しながら、バジルに皿を返す。おお、と目をキラキラさせながら、頭を下げるバジル。まぁ、普段は箸もあんまり使わないもんな。
「大丈夫ですよ。リングは全て配ってあります。」
家光さんが、少し含みを持たせてにっと笑う。その様子を見て、梅さんは少し呆れたように眉をあげ、軽くため息をつく。
「ま、あんたが言うなら大丈夫何だろうけど。」
そして再び、何回目だと聞きたくなるくらいのハイペースで御猪口を開けた。
猪口はそんなグビグビ飲むためにあるんじゃないと思うんだが。もっとチビチビ飲むもんだろう。
「そう言えば、家光さん。武の……他の守護者たちの修行はどうですか?」
順調ですか?と、じゃがいもを飲み込みながら聞く。あー、やっぱり空きっ腹に染みるわ、父さんの手料理は。
「あぁ、獄寺は最初は冷や冷やしたが、何とかなってると言ったところか。雲雀は、元々ポテンシャルが高いからな。今はディーノに連れられて、どこにいるんだかって感じだ。」
確かに、雲雀が誰かに教示を受けて修行している姿なんて想像出来ない。ディーノさん、ちゃんとロマーリオさん達の前でやってるかな。部下の前じゃなけりゃ、瞬殺で噛み殺されてるだろうなぁ。
「沢田殿も、かなり死ぬ気モードを物にしてきました。そろそろ拙者も手を抜いてはいられません。」
バジルが嬉しそうに話す。ほう、バジルがそこまで言うってことは、かなりの成長が期待できそうだな。ヴァリアーが偽物のリングに気付くまで、あと五日はある。その間に何とかやってくれるだろう。
「山本は、もう父親、剛との伝承を終えて、自分の鍛錬次第っつーとこまで来たな。」
お、守護者の中じゃ早いほうじゃねーか。あいつも中々要領がいいからなぁ。そういう意味ではそこから先が、また苦労しそうな感じはするが。
「ん、山本っつったら、あのチビの野球小僧かい?」
梅さんが記憶をたどるように、明後日の方向を見ながら尋ねてくる。チビ……、チビか?あぁ、でも梅さんから見たらチビなのか。武がチビなら私やツナ君はなんだ、豆か?
「梅さん、あった事あったっけか?近所に住んでる、あの竹寿司のとこの子だよ。」
「あぁ。剛の小僧のとこの子か。てことは、時雨蒼燕流の継承者……かい……。」
今まで一切手放さなかった御猪口を、初めてテーブルに置き、考え込むように顎に手を添える梅さん。
なんだか、とんでもなく嫌な予感がするのは気のせいだろうか。その予感から逃げるように、食べ終えた皿をキッチンへ運ぶ。同じく食べ終えたバジルの皿も受け取って洗っていると、突然梅さんが素っ頓狂なことを言い出した。
「よし、明日は竹寿司に行くか。」
「え?梅さん、修行は?」
泡立ったスポンジで茶碗を洗いながら問い掛ける。すると、梅さんはこちらを向くこともなく、再び御猪口を手に取った。
「そろそろほかの剣術と試合をしてもいい頃合だ。明日はその野球小僧と手合わせだね。」
「えええ?!!」
あの武と、手合わせ?
驚きのあまり、皿を一つ無きものにする所だった。危ない危ない。
「何驚いてるんだい。剛と手合わせするのと、大して変わらんだろう。」
「いや、まぁ……それはそうだけど……。」
持ち直した皿を洗いながら、口ごもる。まさか、あの武と真剣の手合わせをする日が来るとは想像もしていなかった。私とは違ってあいつは一生、そういったものとは縁のない、陽向で暮らしていくものだと思っていたから。私自身それを強く望んでいたから。生まれた時から隣で、奴のマフィアにはてんで向かない明朗さを見てきたからこそ、少しの複雑な気持ちが渦巻いていた。
多分、恐怖心もあるのだと思う。その純粋で大らかな、よく知る幼馴染が、自分の全く知らない、鋭さと殺意をもった人間に変わって行ってしまうことが。
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