標的5 宿題
「いやー、腹一杯。」
「そりゃ、よかったな。」
満足そうに呟く武に、すき焼きの鍋を洗いながら応える。武も洗い終わった皿を拭きながら、棚に戻していく。
「おい、武。お前数学のプリントのこと忘れてねーか?」
つい先刻の、本当の目的の方を告げたところで、最後の皿を洗い終え、キュッと水を止める。
「あ……。」
「忘れてたんだな。」
濡れた手を拭き、エプロンをはずす。
「んじゃあ、やるか。私もそのプリント終わってねーし。父さんたちはまだ飲むだろうしな。」
カウンターから居間を覗けば、二人は雑談をしながら徳利を傾けている。
「うっす。よろしくお願いしまーす、桜先生。」
最後の皿を棚に直し終え、勝手知った様子で三階へ上がっていく。
「教えるだけだぞー。解くのは自力で解けよ。」
「うっ…、が、がんばる…。」
「………わっかんねぇ…。」
数式の並んだプリントを前にして言葉を漏らす武。
「…おい、まだはじめて十分もたってないぞ。」
「だってよー、わかんねぇのなー。」
駄々っ子のようにぼやきながら、武はシャーペンを頭の上にのせてバランスを取り始めた。器用だなおい。
「……まだ一問目すら埋まってねーし。」
「二元一次ほーてーしき?ってなんだっけ?」
よっと、といってシャーペンを受け止める。文具で遊ぶな。
「根本的なとこ聞いてんじゃねーよ。この前習っただろ。」
つい先日、というか今日の授業でも何回か復習されていた範囲だ。そう言ってやれば、武はプリントを見詰めながら首をかしげる。
「…………寝てた?」
「シバくぞお前。」
やる気の問題だろうが、その辺りは。ほんっとに、野球バカ…。ひとつ大きくため息をついてシャーペンを持った。
「…とりあえず、原理を教えりゃわかるようになるだろ。」
「おっ、出た!桜センセー!」
「…マジでしばくぞお前。」
茶化すようなその言葉に、真面目に殺意が沸いた。
「そういや、明日は補習か?」
原理を説明すればあらかたは解ったのか、野球馬鹿は先程よりも埋まっていくプリントに向かいながら応える。
「んー、ツナとか獄寺とかと一緒になー。」
「てか、補習を受けなきゃいけなくなったことに何か感じろよ。」
「おっしゃ、終わった!」
「人の話を聞きなさい。」
全問終わったプリントを掲げるアホっぽい…じゃなくて、アホな幼馴染みの頭を軽く叩く。
「だってよー、朝練の後とかねみーだろ?」
「ほんっとに野球バカ…。」
本当にこいつの頭は全て野球のことでしか出来ていないんじゃないか。
そう思って頭をかかえると、武が筆記用具などを直しながら返す。
「ハハッ、褒めるなよー。」
「褒めてねーよ。ばーか。」
立ち上がりながら、時計を確認する。時刻は九時少し前といったところか。
「お、そろそろ帰んねーとな。」
「あぁ、そうだな。剛おじさん、明日の朝も早いだろうし…。」
そう言って二人で二階に降りれば、おじさん二人は、ほろ酔いで頬を赤く染めながらまだ飲んでいた。
「父さん、そろそろお開きだ。剛おじさんも明日早いんだし…」
「いやー、まだまだ行けるぞ!」
御猪口を掲げる父。もう結構出来上がってしまっているようだ。
「父さんが行けても、おじさんがダメなんだよ。」
はい、おしまい。と、酒を取り上げる。武も、剛おじさんを立たせている。
「しょーがねー。日本酒一本でゆるしてやろー」
「駄目だ。もうおしまい。」
父さんとそんなこんなで話している間に、武が玄関へ向かっている。
「おつかれー、じゃあまたな。」
玄関先まで見送る。
「おー、んじゃなー。」
ちょっと前まで、剛おじさんを連れて帰るのも大変そうだったのに、今では軽々だ。成長期とはすごいもんだな。近頃ほんとに感じる。幼馴染の成長と、変わらない部分を感じながら、玄関の扉を閉めた。
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