時刻は午後3時を回った。
空はまだ活動時間だと訴えかけるように青空を強調する。日差しが眩しくて、女はもう紫外線を気にしているのだろう。
高杉は眩しかったのかカーテンを閉めた。緑色の学校用カーテンは、独特の色を保健室に滲ませた。
随分疲れてしまったのか、結の寝息が響く。自分が保健室から出て行って帰ってきたころにはもう眠りについていた。
きっと起きたら腰や頭が少し痛くなっているかもしれない。こんな寝方じゃあそうなって当然だ。
でも仕方ないかもしれない。今日はたくさんの記憶を戻したのだから。精神的な疲れは肉体的疲れと違って回復が遅いから、今はそっと寝かせてやろうと思った高杉は、結の寝顔を横目にしたらもう一度背を向けた。
「可愛い寝顔だなぁ」
「!!」
しかし結の方から声がした。振り返ってみたら、触角のようなものが左右に揺れていた。
結と同時期に転校してきた得体のしれない男だ。まるで結がこの学校に編入してくる事を前々から知っていたように、結が学校で困った日には必ずいる。高杉はそんな気がしてならなかった。
謎に包まれた転校生―神威は、結の前髪に触れてそっとかき分ける。彼女の寝顔を、微笑を浮かべて見つめた。
「何でテメェがココにいんだ。いつもはお前が怪我人を作ってここに送り込んで来くるくせによォ…」
「あははー先生ごめんね。でも仕方ないよ、俺じゃなくて向こうが喧嘩をふっかけてくるんだもん、自業自得だよ」
神威は学ランを脱いで結に羽織らせた。
すると右腕に痛々しい赤が広がるのがよく見える。神威はそこに指をさすといつもの笑みで言った。
「今日は俺が怪我しちゃったんです。先生、ココ見てくれませんか?」
「……」
それでも尚笑みを浮かべる神威をじっと見つめた後、高杉は「仕方ねェ」と呟いて包帯を手にした。
「まさか運動部でもなくお前みたいな不良が保健室に来るとはなァ」
「事実は小説よりも奇なり!って言うじゃないですか。あれ、違う?」
「ちょっとだけな」
「そういえば一応俺って留学生っていう設定なんですよねー。そこんところはご愛敬で」
「…よく喋るな、怪我人のくせに」
「痛い痛い言ってる方が良かった? Sだね先生」
「……」
どうも調子が狂う。
いつ見てもニコニコと目を細め笑う神威。何を考えているのかなんて読めない。けれども何故だろうか…自分には、彼の思う事が分かる気がした。
「で、今日は何で学校にいたんだ? 怪我の治療くらい帰ってできただろうが」
高杉は会話を続けようと思い、真っ先に疑問を口にした。
そうだ、なんでコイツは学校に居るんだろう。
「ちょっとすぐそこでまた絡まれたんですよ。帰って阿伏兎に任せてもよかったんだけどね、今日はここにお姫サマが眠ってたから」
「ックク、随分と可愛らしい事言うじゃねェか」
「先生、俺結に一目惚れしたんですよ」
「!」
思わず視線を神威に移した。彼はしっかりと目を開けてこちらを見ている。もしかしたら初めてと思われる彼の瞳に高杉は驚いた。
…何故俺にわざわざ言うのだろうか。
「ねぇ先生、もしかして先生も結の事好きなの?」
「―――」
「でも先生と結は兄妹じゃないか。運命は残酷だよねぇー」
「…何で知ってるんだ」
「知ってるよ?俺は。ずっと前から結の事を見てきたから」
真顔になって高杉と会話を交わす神威。その表情からはいつも以上に気持ちがしっかりと見えた。いつも笑顔を浮かべているからだろう。
それ以上に高杉は今の言葉に些細な恐怖心を覚えた。
この謎めいた雰囲気は……なんなんだろうか。
「だから先生のことだって…」
「終わったぞ」
「あ、どーも」
「とっとと帰れ」
「冷たいなぁ先生。…まあいっか。別に俺先生に好かれたいなんて思ってないし。
んじゃあ最後に」
神威が何か呟いたと思ったら、次の瞬間神威は結の頬に唇を落とした。
「テメッ…」
「妬かないで下さいよ。実際この子は貴方のじゃないんだし、今は先生にとやかく言われる筋合いはないと思います」
ああ言えばこういう…とは少し違うが。生意気な神威の言葉に高杉も返す。
「じゃあ銀八ならテメェに口出しする筋合いはあったのか?」
高杉は前々から神威が二人の関係に気付いている事は知っていたから堂々と口に出せた。
神威はまた笑顔を曇らせるとむっと拗ねたような表情になる。
「……どーだろうね」
ぷいっと顔をそむけた神威はそのまま窓から校舎を飛び出して、次の瞬間にはカーテンが重々しく風になびかれているだけだった。